俺、水沢先生に呼ばれる

 古文の授業が終わった後、俺は水沢先生の指名を受けた。

樋笠ひがさ君」

「はい?」

「わかるよね?」

「え、何だろう。もしや俺に先生からプレゼント?」

「そうよ、良いものをあげるわ」

「わーい、嬉しいなあ……」

 俺が棒読みするとクラス中から笑い声が起こった。

 今回は何の件だ?

 落ち着きがなく、問題児でもあった俺は担任の水沢みずさわ先生によく呼び出される。それをみんな知っているから笑い飛ばすのだ。

 前の席の真鶴まなづるさんが体半分振り返り、お気の毒に、と言わんばかりの顔をした。

 梨花りかは呑気に「あはは」と笑い、璃乃りのは「アホだな」とこき下ろした。

 俺は昼休みに職員室に行くことになった。水沢先生とご対面だ。

「小テスト、出来が悪かったわね」

「いや、たまたま前の日寝てしまって」俺は頭をいた。

「このままでは中間テストが悲惨なことになるわよ」

「危機感はありますです」

 明音あかね梨花りかと遊ぶのは楽しいが、ひとりになってからいろいろ考えさせられる。中等部時代を思い出したりして眠れなくなることもあるのだ。

 俺はかなり背伸びをしてS組十傑のしんがりを維持しているし、かなり無理をして何の悩みもないチャラ男を演じているのだ。

 そのことを水沢先生は知っていた。これでも担任だ。しかも四年目の付き合いになる。逆に俺も水沢先生のことをよく知っているくらいだ。水沢光咲みずさわみさき。二十八歳。独身。彼氏なし。

「とても心配だわ。だから特別に課題を用意したの」

「げっ!」

「げっじゃないわよ。これを仕上げなさい」

 俺は宿題のようなものをもらった。

「これは樋笠君を贔屓ひいきしているのよ」

「良いんですか? そんなことして」

「クラスのためよ」

 後で知ったことだが課題をもらったのは俺だけではなかった。「君だけよ」がたくさんいたわけだ。それが水沢先生のやり方だ。可愛い顔してすることがエグい。

「ところでもうひとつ気になっていることがあるの」

 ほら来ました。ここからが本題だ。

 水沢先生はゆるふわ系美人で、ちょっとネジがゆるんだ天然なところがあり、生徒にもいじられる先生だが、その昼行灯ひるあんどんが全てではない。とぼけたふりしてクラスのことをよく把握している。

 思うに、水沢先生はクラスの中に生徒のことを報告するスパイのような存在を何人も抱えているのだろう。実際俺がその一人だった。

 学級委員の和泉いずみ秀一しゅういちから話を聞くだけでなく、他の生徒も情報収集に利用しているのだ。案外真鶴さんあたりもその一人かもしれない。確証はないが。

「S組十傑は解散したの?」

 その言葉に俺はすぐに答えを返せなかった。

「S組十傑というのは」俺は改まったように言った。「全教科総合成績の上位十名を差す言葉です。ランキングが公表される以上それがなくなることはありません」

 とはいえ、ただの順位による関係でないことは俺がいちばんよく知っている。

「ふうん、そう答えるんだ?」

「何ですか」怖いのですけれど。

「最近十人揃ってワイワイやっているところを見たことがないわね」

「みんなそれぞれ忙しいですからね。部活もいろいろですし」

「ふんふん」まともに聞いてないな。

「それに俺たち目立つじゃないですか。三、四人で何か食っただけで新聞部のSNSニュースになるんですよ。生徒会には呼び出されるし。こじんまりと動くようになったのです」

「そういうことにしておいてあげるわ」してねえし。

「私が気にしているのは毎年夏休みに東矢とうや家の別荘に招かれて避暑していたよね。あれを今年もするのかどうかなの」

「もうその話ですか?」

「いつも四月には日程が決まるのよ。今年はどうなのですかと東矢理事に訊かれたもので」

 俺たちは毎年夏休みに泉月いつきの祖父が所有する別荘地で二泊過ごすのが恒例になっていた。メンバーは成績上位者十数名が招待される。

 泉月の祖父は全国に二十以上の総合病院を有する財団法人の創始者で、全国の別荘地に職員組合員向けの宿泊研修施設を有していた。中規模のホテルだったりペンションだったりする。

 そこに泉月の友人として十数名が招かれる。なお俺たちS組十傑はほぼ毎年参加している。

 ほぼと言ったのは俺は中等部一年生の時まだ二十位台後半にいて招かれなかったからだ。その後二年続けて招待されているが。

 そして引率者というかたちで教職員が一、二名付き添うことになっていたから水沢先生は毎年参加している。

 費用は東矢財団もちだから水沢先生もただで避暑地を満喫していることになる。なかなかの役得だと思うが俺たちがヤンチャなため気を遣ってストレスも半端ないかもしれない。

「今年はできるのか?という感じで訊かれたわ。初めてのことよ。いつもは日程だけ訊かれるのに。だから東矢泉月とうやいつきさんが今年はなしにしたいのかと思ったわけよ」

「なるほど……」俺は考え込んだ。

 まあ、あんなことがあったからな。俺たちの関係にひびを入れた出来事。

 S組の中でも多くの者はそれを知らない。当事者にしたって自分に関係したことしか知らない。

 俺はその一部を偶然目にしたが、それは一部であって全体像ではなく、本当に全てを知っているのは神だけなのだろう。

「意識が飛んでるわね。考え中?」

 水沢先生につっこまれて俺は帰還した。「ああ、すみません」

「というわけで、あなたたちがどう思っているのか知りたいの。できれば東矢さんの本当の気持ちも」

「東矢さんが今年はにしたいのならそう東矢理事に言うのでは?」

「あの子が本音を言わないことは知っているでしょう? 全体の調和を第一に考える子なのよ」

「確かに」

「そういうことで東矢さんの意思確認もお願いね。単刀直入に訊く方法以外で」

「ムチャ言いますね」

「樋笠君ならできるわよ。なんてったって気配りの樋笠君だもの」

「はあ……」

 俺は引き受けてしまった。水沢先生の笑顔はずるい。

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