悩む水沢先生といじる俺

 その日、俺たちの班は放課後の掃除当番に当たっていた。

 班分けは席次の縦の列だから俺は耀太ようたと同じ班だ。前の席の真鶴まなづるさんとも同じだ。

 終わったら担任に報告に行く。担任もしくは点検担当が見に来てオッケーなら解散だが、部活ヘ急ぐ生徒もいて、見きり発車的にいなくなることが多い。

 耀太は武道部の佐田さたに連れていかれた。柔道初段を持つ耀太は武道部に籍こそおいていないがよく練習に付き合わされるのだ。

 同じく部活ヘ急いだ生徒がいて、結局六名中俺と真鶴さんだけが残った。

 報告は一人で良いが二人して職員室ヘ向かった。

 四月も半ばを過ぎていたから真鶴さんとも話ができるようになっていた。

 真鶴さんは、ずっとA組にいてクラスメイトだったが、あまり接点がなかった。真面目で無口な印象があったが、こうして話をするようになると意外に冗舌だった。

 彼女は俺たちS組十傑にとても興味があるようだ。そのうちの三人(俺、梨花りか璃乃りの)が後ろに並んだものだから後ろにも目や耳を用意しなければならないと言った。なかなか興味深い。

 もっと仲良くなったら名前で呼び合えるようになれるかな。

 職員室に水沢みずさわ先生はいた。咳払いするかのように口許くちもとに握りこぶしを当てて難しい顔をしている。

 何か悩み事、厄介事でもあるのだろうか。

「先生、掃除終わりました」俺は気づいてもらえるように小学生みたいな口調で言った。

「あ、ああ、もう終わったの?」ずっと心ここにあらずの状態だったみたいだ。

「みんな部活があるので速攻でやりました」

「ちゃんとできた?」

「はい」俺は自信満々に言った。

「そう」先生は立ち上がった。見に来るようだ。

 俺と真鶴さんを含む三人で教室へと移動した。

 その途中、俺はいつもそうするように水沢先生にツッコミを入れる。

「先生悩み事でもあるのですか?」

「どうして?」と聞き返すのはという証拠だ。なければ「ないわよ」と水沢先生は答える。

「お肌の調子が……」

 俺のにネコパンチが飛んできた。

「先生の暴力だあ!」俺が大袈裟に騒ぐ。

「言葉の暴力に対して返礼しただけよ」

「ひどいわ!」俺は女の子みたいに両頬を押さえた。

 コミカルなやり取りに真鶴さんはクスッと笑った。

「考え込むのは良くないですよ。ほら何でも打ち明けないと」

「うちのクラスのお調子者を黙らせるにはどうしたら良いか常に考えているのよ」

「それって誰です?」

「相手にしないのが一番ね」

 水沢先生が溜め息をついたので俺は「」と謝った。

「はあ……」溜め息は続く。

 そして教室に到着。

 誰もいなかった。綺麗に並んだ机だけが俺たちを待っていた。

「これでやり直しってなったら二人でするつもりだったの?」

「その時はその時です」

「でも、まあ合格点ね。ご苦労様。解散よ」

「ありがとうございます」俺と真鶴さんは頭を下げた。

「それで何を考えていたのです?」俺は改めて訊いた。

「例の避暑会よ」

東矢とうやさんの? メンバー選考ですか?」

「引率者の件。私以外にもう一人決めないといけないのだけれど、なかなかいなくて」

倉敷くらしき先生と小町こまち先生には断られたのですよね?」

「他の先生も軒並みダメ。もうかなり若い先生しか残ってないわ」

「先生が若くないみたいな言い方ですね」

 またネコパンチが飛んできた。

 真鶴さんが静かに笑う。

「今年も去年と同じ軽井沢のホテルなのですか?」

「那須高原のようよ」

 毎年違う場所だ。東矢財団はいったいいくつ避暑地を持っているのだ。

「プールはあるのでしょうか?」

「プールはないみたいだけれど……」

「なんだ……」俺はちょっと落胆した。

「近くの温泉スパに連れていってもらえるみたいだからそれなりの格好は必要ね」

「また先生の水着が見れますね」俺はワクワクした。

「あれは封印よ」

 去年和泉いずみたちが水沢先生の水着姿をスマホで写真に撮っていたが、それが俺たち男子に回ってくることはなかった。完全なる封印だ。

 そんな写真が存在することを行かなかった生徒が知るはずもない。さらには水沢先生が水着を着たことすら知られていない。

 事実、それを今聞いた真鶴さんが目を丸くしていた。

「まさか自分より若い先生と水着姿を比べられるのがイヤで悩んでいたとか」

 両手ネコパンチが何発も飛んできた。痛い。でも先生可愛い。

 真鶴さんは呆気にとられていた。水沢先生のそんな姿を見たことがないのだろう。

 そんな姿を見たことがあるのは、おそらくS組をはじめとする避暑会メンバーだけにちがいない。

「日程と招待される生徒は決まったのですか?」真鶴さんが訊いた。

「日程はほぼ決まり」水沢先生は日付を口にした。「そして招待されるのはA組を主として一学期の総合成績で第一位から順に十六名予定よ。参加できない人がいたら次の順位の人が繰り上がる。そういえば真鶴さん、毎年日程が合わなくて不参加だったわね」

 そうだった。真鶴さんもコンスタントに十五位以内に入っていたな。今までは都合で参加できなかったのか。

 俺は真鶴さんを見た。

「その日程なら今年は参加できそうです。初めて。ぜひ参加したいです」

「お勉強頑張らないとね」

「はい」

樋笠ひがさ君も」

「そうでした」

「じゃあ」

 解散したけれど俺はそのまま水沢先生の後をついていった。

「悩みはそれだけじゃないんじゃないですか?」俺は訊いていた。

 職員室に戻るまでは俺と水沢先生の二人だけだ。すれ違う生徒がいる時は口を噤む。

「まあいろいろあるのよ」教えられないこともあるらしい。

 しかし俺はいつかは教えてもらえると思っていた。

 何だかんだ言いながら俺は信頼されている。そもそも水沢先生には愚痴を言う相手がそうそういないのだ。同僚にしろ生徒にしろ同性でない方が言いやすい愚痴もある。

「先生、婚活してますか?」

 こういう質問も俺だから許される。ネコパンチは飛んでくるが。

「そんなヒマあると思う?」

「ヒマの問題でしょうか? やる気だと思いますが」

 水沢先生が横目で睨んだ。恨めしそうに。それがまた可愛い。

 職員室に戻ってきた。用もないのに俺は水沢先生の後に続いて入ってきた。

 同じ学年の担任団は同じ島にいるから水沢先生のまわりは顔馴染みの先生ばかりだ。

 社会の古織こおり先生と英語の市ヶ谷いちがや先生がいた。水沢先生より二つ三つ若い。この先生たちにも避暑会の引率を頼んで断られたのだろうか。

 二人とも水着姿を観賞したい凹凸のある体をしていた。ただタイプは著しく異なる。

 清楚系ゆるふわ系美人教師が多い中、古織こおり先生はスーツにタイトスカート、黒タイツだ。冗談はあまり言わない。クールビューティとも言えるが何となく港区のクラブに通っていそうな雰囲気を感じた。ちょっと魅惑的だ。

 それに反して市ヶ谷いちがや先生は清楚系で水沢先生に近いタイプだったが華奢な体にしては豊満な胸をしていた。明るいスーツでスカートもふわっとしている。

 そんな二人がひそひそ話をしているのが耳に入ってきた。それがどうやらの話らしく、俺の耳はになった。高等部三年の担任団の先生に誘われて参加するかどうかを話し合っているようだった。

 先生たちもそんな話をするのか。俺から見て大人の女性だが客観的にはそういうお年頃なのかもしれない。

 水沢先生が席に着くなり市ヶ谷先生が水沢先生に声をかけた。

「先生、合コンどうされます?」

 どうやら俺がいることに気づいていない。喋っていない時の俺って、実は存在感がない?

「おほん」水沢先生はわざとらしく咳払いをした。

「あ!」市ヶ谷先生は俺に気づいた。隣の古織先生に肘鉄を食らっている。

 俺は何だか可笑しかった。まるで授業中の密談が見つかった女子高生みたいだ。

 俺は「それでは失礼します」と大きな声を出し、そして退室する間際に水沢先生に囁いた。

「婚活してるじゃないですか」

 俺は足を踏まれた。「いて!」

 ネコパンチを予想していたのに。

 俺もまだまだだな。

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