恭平が来る

「は? 恭平きょうへいが来てるの?」

 明音あかねが目をいた。そして立ち上がろうとしてまた腰を下ろす。

 俺には明音の思考が手に取るようにわかる。恭平が来る前にバックレようとしたが、逃げるのもしゃくさわると思い直したのだ。そういう負けず嫌いなところがある。いや、ありまくりだ。

「恭平、いるの?」

 梨花りかは嬉しそうだ。決して空気が読めないわけではない。梨花は知らないだけだ。そして梨花は恭平のことが好きだから奴が来るのは大歓迎だ。

「どうせテニス部のハーレムなんだろうな」

 耀太ようたの言葉が暢気に聞こえた。こいつも知らない。

 この中で明音と恭平のいわくを唯一知る俺はうろたえた。

「そっちでよろしくやってろと言ってやろうか」

 ついそう言ってしまったら梨花にジト目を向けられた。あの可愛い梨花が怖い。俺は落ち着かなかった。

 耀太が歌っている間、俺は明音を盗み見た。一応梨花と一緒に次の曲を選んでいる。あわよくば歌っている最中に恭平が来たら良いと思っているかもしれない。そんなので奴が何も言わずに帰るわけがないのに。

 同じクラスでありながら恭平と明音は教室では最低限の挨拶しか交わさない。

 恭平が常に多くのクラスメイトに囲まれ、一人一人とじっくり話をする時間がないから恭平と明音が挨拶しかしなくても違和感はない。

 明音の挨拶が「おはよう、チャラ男」だったとしてもそれは明音のキャラだと誰もが思うだろう。

 実際恭平はチャラ男なのだから。はっきり「チャラ男」と言って悪いことはない。

 実は明音の方が恭平を避けているなんて誰が思うだろう。いや、避けているとしてもそれは単なるポーズなのだと思われるだろう。

 そして恭平自身もそう思っているようだった。明音は俺に気がある、しかし素直になれない、だからつれない態度をとるのだと恭平は思っているのだ。

 間違っているぞ。お前はタイミングを外したんだよ、恭平。


 何の前触れもなく扉が開いて恭平が中に入ってきた。明音は梨花と一緒にFIANAフィアナの「オレンジ・チーク」を歌っていた。

 梨花がニコッとして恭平に手を振る。

 明音は形だけ片手を上げた。無視することができないのは明音らしくない。いや明音らしいか。

 恭平の後ろには男子ひとり女子二人いた。馴染みの顔でないから高等部新入生だろう。

 女子の一人は村椿むらつばきさんだった。ちょっと目がつり上がった感じで怖い雰囲気だがぞっとする美人だ。そして恭平はきつい感じの美人が好みだ。そばにおいて観賞するのだ。

「恭平、座れよ」耀太が呼び寄せた。

 俺は一旦立ち上がった。

 耀太と俺の間に恭平たち四人が座った。U字型に並んだ六人分のソファーを全部占領してしまった。

 狭い。しかも俺のすぐ隣に村椿さんがいる。テニスの親善試合をした後でジャージ姿だったが良い匂いがする。何か制汗スプレーでも使ったのだろう。恭平の隣に腰掛けないところを見ると見かけによらずつつましいところがあるのかもしれない。

 明音と梨花が歌い終わった。座るところはない。

「恭平」梨花が満面の笑みで手を振る。

「俺の膝に座るか?」恭平が言う。

「え、良いの?」と梨花が、呆気にとられる村椿たちさんの前を通って恭平のところへ行こうとする。

 村椿さんたちが足を引っ込めたタイミングで明音が梨花の首根っこをつかまえて引き戻した。

 俺たちにとってはお決まりの寸劇だ。実際に梨花が恭平の膝に座ることは……あまりない。いや少しはある。多分、ときどきある。

「すまん、俺だけ顔を見せるつもりだったんだが、十人以上いるし、でもお前たちに挨拶したいって言うから三人連れてきた」恭平が言った。

「わざわざどーも」俺は軽いノリで村椿さんに挨拶した。

 そしてもう一人の普通の美少女と何やら好奇心旺盛で落ち着きのない感じの男子にも「ちーす」と挨拶した。ああやだ。俺こそチャラ男だ。

「噂のS組の皆さんに挨拶をと思って」調子の良い野郎が梨花に手を差し出した。

 日暮ひぐらしとか言ったな。お前もチャラいな。

 俺は梨花に向かって差し出されたそいつの手を握った。「樋笠ひがさでーす。よろしく~」

 日暮は苦笑した。梨花は「あはは」だ。

「次、俺だな」耀太が立ち上がった。

 巨漢耀太がソファーから離れると明音と梨花の二人が座れないこともない。しかしそれは恭平の隣なのだ。

 梨花がぴょんぴょんと跳ねる素振りをして恭平のところに向かう。窮屈だから実際に跳ねることはできない。

 明音はもう一つのマイクを握って耀太の隣に立った。

「お、似合うねー」俺は一声入れた。

 実際黒のペアルックにも見える。耀太は嬉しそうだ。こいつにとって明音は天使なのだ。

 俺たちはなかなか面倒な関係を続けていた。たとえメンバーの中に好意を抱く対象ができてもその思いは表に出さない。それが暗黙のルールだった。

 それは校則で生徒同士の恋愛が禁止されているからという理由だけではなく、そのルールを守ることで俺たちの関係を維持していく、ということだったのだ。

 そうして中三の夏まで俺たち十人はうまくやっていた。そのおきてを破る奴が出るまでは。

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