第6話 農村アプリの様子がおかしい

 午後からは仕事にならなかった。机の下には、さっきの人参。幸い、アプリを閉じれば三角アイコンとインターフェイスは消えたのだが、これは現実なのか?てか、昨日は一体どうやってあの夢を見たんだ?これは夢の続きなのか?しかし、依然として人参を包んだ新聞紙は、俺が足を動かすたびにカサカサと存在感を主張する。悩んでいても仕方ない。今は仕事に集中だ。のんびりしていては、休日出勤が待っている。


 さて昨日より少し遅くなってしまったが、帰りの電車でスマホを開く。アプリを立ち上げれば、画面は相変わらず白い。しかし、視界の端には緑色の小さなウィンドウがいくつも並んでいる。




ユート農場

レベル 8

人口32人


畑 46面

育てた作物 7種類

所持コイン 362




=インベントリ=


ワイルドウィート 5

ワイルドコーン 5

ワイルドキャロット 4

オレンジキャベツ 5

ブルーオニオン5

レッドポテト 5

パープルパンプキン 5




 うん、夢で見た通りだ。てか、これまでプレイしていてそこそこ大きくなった街のデータはどうした。まあいいけど。無課金だし。しかし、この状態のままでは遊べない。画面は白いし、電車の中を開墾するわけには行かない。どうやってプレイすればいいんだ。俺の癒しが。


 いや、問題から目を逸らしてはいけない。昨日、あっちの世界で寝る前に、畑に植えるための作物を5つずつ取っておいた。そのうち、人参は会社で取り出すことが出来た。今、新聞紙に包まれて、俺の足元にある。これ、もう一度収納することは出来ないだろうか。


『収納しますか? はい いいえ』


 俺は迷わず『はい』をタップした。周りからは、何もないところを指でつつく動作をする変なオジサンだ。若干、隣りのOLさんが向こうにずれた気がする。ごめんよ不審者で。


 『はい』を押したが何の音もしない。やっぱりこれは幻覚の類か、と思い、恐る恐る足元の鞄を足で探ると、丸々とした巨大な人参で膨らんでいた鞄はへにゃりと凹み、新聞紙が潰れる音がした。そして、




=インベントリ=


ワイルドウィート 5

ワイルドコーン 5

ワイルドキャロット 5

オレンジキャベツ 5

ブルーオニオン5

レッドポテト 5

パープルパンプキン 5




 人参の数が、増えていた。マジか。




 インベントリが使えるなら、他の物も行けるのか?周りの人に悟られないように気をつけながら、手元に出せるものを片っ端から試してみた。ハンカチ、ペン、ミントタブレット、メモ帳。万一取り出せなくなると困るので、貴重品は怖くてやめておいた。しかし、どれも確実に出し入れ出来る。これは、荷物が減って通勤が楽になるやつでは!とりあえず、帰ったら普段着一式とかお泊まりセットとか、モバイルバッテリーとか非常食とか入れておこう。これでスマホさえ生きていれば、デスマーチを会社で寝泊まりしても余裕だ。夢が広がる。


 相変わらず、アプリをタップしても無反応、インターフェイスも軒並み灰色。出来ることと言えばインベントリの操作くらいだったが、俺は癒しの農場シミュレーションと引き換えに、異空間収納を得た。




 昨日よりちょっと遅くなった。今日は迷わずコンビニに立ち寄り、弁当を買って帰宅。体は疲れ果てていたけど、ちょっとウキウキだ。インベントリ充実計画、最高じゃないか。


 シャワーを浴びて飯を食って、寝る準備をして。そして思いつく限りのものを、片っ端から収納していく。とはいえ、ワンルーム社畜、野郎の一人暮らし。大したものは持っていない。いつか必要になるかも知れないと、一つ買っておいた防災リュック。レンチンご飯。缶詰め。旅行用の洗面用具。会社で着るなら、綺麗な方のスウェット。ワニのマークのサンダル。ペットボトルの水やお茶、そして重くてお蔵入りになってる大容量バッテリー。充電しとこう。


 そういえば、デスマーチには机に突っ伏して仮眠を取ったり、会議室で椅子を並べてベッドにしたりするけど、寝具があればいいかも知れない。折りたたみコットとかは、同僚に見られたら言い訳がしにくいよな。だけど、シュラフや車中泊用の小さいマットレスくらいなら、違和感はないだろうか。


 ああ、車中泊ならぬ社中泊を想定して、インベントリをいじってる。俺って根っからの社畜だ。だけど、この分なら小旅行も余裕だ。何なら、一人用テントでも買ってソロキャンにでも出かけてみようか。それなら、週末アウトドア用品店に出かけたり、ネットで物色してもいいかも知れない。学生時代から一人暮らしをしているから、簡単な料理くらいは出来る。ドリップコーヒー、炙って食べるあたりめ、ウインナーなんかを炒めてビールで流し込んでもいいな。夢が広がる。


 俺は、ベッドの中でうっとりとインベントリを眺めていた。


 ———はずだった。




「…藁?」


 さっきまで、確かに自宅の狭いパイプベッドに寝転がっていたというのに。俺はパジャマ姿で、あの農場の小屋の藁の上で目が覚めた。

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