第41話 文化汚染
月曜の朝。上長と島の社員、そして近隣の社員には有給のお礼を言って席に着く。別に有給を取ったからといって引け目に感じる必要はないのだが、しかし俺が不在の間には見えないところで何やかやフォローされているのだ。俺だって、周りの席の社員が休んだら電話を取ったり代打で出動したりするからな。
幸い、俺の机の上に仕事が山積みになっているとか、そういうことはなかった。まあ、有給とはいえたった1日だったということもある。後輩も頑張ってくれたようだ。パソコンを立ち上げれば、脳は社畜モードに切り替わる。目の前のことを次々とこなして没頭していくことで、出社前の憂鬱はいつの間にか消えていく。
ランチは鹿肉のスパイス煮込み。匂いが周りの席に迷惑になるかと思ったが、食欲に負けた。パンと共にいただきます。ああ、あの試作段階の赤ワインが欲しい。
「あら安積君。珍しいものを食べてるわね」
急に背後から声がかかる。隣の島の女傑だ。俺のランチに強い興味を示している。俺は最近見つけた店でテイクアウトしたと告げた。嘘は言っていない。しかし、店の場所や名前を聞かれても、答えるわけにはいかない。
「安積君、最近なんか雰囲気変わったわね。彼女?」
「いえ、そんな」
「君、安積君が困っている。逆セクハラにならないかね」
上長が助け舟を出してくれた。最近妙に頼もしい。どうしたことだ。女傑は「やだそんな」と愛想笑いをしながら去って行った。彼女は数年前にハイスペ旦那を捕まえたはずだ。必要以上に俺に構わないでいただきたい。なお上長からは、鹿肉の健康効果とスパイスの薬膳効果について、特別講義を受けることとなった。
平和に暗雲が立ち込めたのは、午後。金曜日に処理されたと思われていた案件から火が吹いた。いや、誰も悪くないんだ。ただ連絡ミスというか、直前に仕様が変わって、担当者の俺でないと知り得ない案件だったというか。
あっという間に火の手が回り、俺のデスクは火の車となった。俺は
「はぁ…」
疲れ果てた。最近会社では、ずっとこんな調子だ。だけど、お陰で無駄な飲み会を免れてもいる。このご時勢だ、そろそろ滅びてくれてもいいんだけどな。しかし、飲ミュニケーションで進む案件もあれば、そこでしか得られない独特の連帯感もある。実際、村の方ではそれで住民との距離が縮まっている。厄介なもんだな。
さて、そうボヤいてもいられない。早速あっちに行って、癒やされて来よう。明日への活力を充電しておかねば。
やって来ました癒やしの農村。しかし、神殿の事務室で見たものは。
「おっすユート!この薄い箱、凄ぇな!」
俺が置いて行ったノートパソコンに向かう、三人娘。そして彼女らの足元には、笑顔マークの
「ユート。これ、超便利。すぐ届く」
「ユート様の世界のものが、この箱を通して手に入るだなんて。まさに神の所業ですわ!」
ディスプレイには、いつものArgentの画面。しかし、表示されているのは▶︎や◾️など、直線的な記号を組み合わせた
昨日置いて来たパソコン。こっちの世界では数日。ベルティーナは見よう見まねであっという間に使いこなし、使用言語を共通語に設定、そして俺のブックマークからArgentを見つけてアカウントを取得、買い物を楽しんでいたらしい。すわ、俺のカードで買い物してる?!と思いきやそんなことはなく、何とコインで精算出来るんだそうだ。
コインで?!
俺は膝から崩れ落ちた。一体この現象を、どう受け止めれば。
三人娘は、パソコンの機能について、ひとまず他の村民には秘密にしてくれているらしい。ビビアーナはすぐにでも儲け話に繋げたいようだが、ベルティーナが止めてくれたみたいだ。彼女が慎重な性格で良かった。というより、パソコンを独り占めして静かに遊びたい、というのが本音なようだが。なおアニェッラは、「なんか面白そうなことしてっけど、あたいには分かんねぇし」といった感じだ。
俺は、パソコンについては一旦彼女らの間で話を止めておいてもらって、首脳陣と協議しながら徐々に情報公開して行くことに決めた。俺がここで止めたところで、こういう便利なものがあることは知られてしまったわけだし。そして上手に使えば、俺を含めてみんなの生活が豊かになるだろう。
いや、正直に言おう。コインで何でも買えるなら、俺の生活を限りなく豊かにすることが出来る。こっちの世界でネット通販なんて導入してしまえば文化汚染も甚だしいが、己の欲望と天秤に掛けたら、そんな綺麗事はどうだっていい。俺は卑しい男なのだ。
コインでAgent。ベルティーナ、君は天才か。パソコンをこっちに置いて帰って、本当に良かった。
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