第52話 出向ライフスタート

 四月を迎え、俺は無事新天地ライフをスタートした。弊社の子会社、本社から言うと孫会社。北関東エリアを受け持っている。


 出向先は、俺が想像したよりずっと都会だった。家と会社との往復なら、車なんか要らないんじゃないかというほど。しかし、ここでの仕事は何でも屋だ。出向組も現地組も関係なく、電話一本で飛び回らなければならない。市街地から一歩離れれば、長閑のどかな田園風景。しばらく走ると山の中。なるほど車は必須だ。中古車を早めに手に入れて、運転の練習をしていて良かった。


 古巣では3つの部署を経験し、割と何でもこなせる方だと思っていた。しかしこうして、小口の顧客と直接やりとりをするようになって分かる。俺はまだ何も知らなかった。しかも共通する業務ですら、社風というか風土によって変わるものだ。覚えるのは大変だが、新鮮で楽しい。


 なんせ車だ。車の中はプライベート空間。もちろん、ドラレコで撮られているので、不用意な運転や明らかなサボりはNGだ。しかし、運転している間は誰にも邪魔されず、コールすら取らなくていいなんて。もしかしたらこっちの方が、俺の肌に合っているかも知れない。




 ———などと、甘い考えを抱いたこともありました。


「まあまあまあ!とりあえず駆けつけ三杯!」


 俺の歓迎会だ。断るわけにはいかない。しかし認識が甘かった。ここではまだ、昭和のアルハラとパワハラが生きていた。


「安積君、どうだね。このクソ田舎。東京の人には我慢ならんだろう」


「いえ、そんな…」


「中央のエリート共は、椅子にデンと座ってふんぞり返っていればいいと思っている。さぞ楽をしてきたんだろう?」


「いえ、そんな…」


「まあまあ、ここは無礼講だ。君もこんなところに飛ばされて、災難だったね。はっはっは」


「いえ、そんな…」


 ヤバい。胃に穴が空きそう。一見謙遜に見える集中攻撃。最初こそ「そんなことありません、精一杯努めさせていただきます」と繰り返していたが、俺の答えが気に入る気に入らないではなく、最初から聞く耳を持たないらしい。ああ、前田さんが1年で戻って来たわけだ。なるほどな。


 ちなみに俺の部下に当たる人は、俺より年上だった。彼は俺に横目で視線を投げよこすと、ニヤリと嗤ってお猪口を呷った。




「はぁぁ…もうやめよっかなぁ…」


「どうしたんだい、ユート。ここんとこずっとそうだね」


 アウグスト夫妻の小洒落こじゃれたトラットリア。彼らはイタリアンに魅了され、通販でレシピやパスタマシンを購入しては、一から学び直している。俺も本場に行ったことはないから分からないが、その辺の下手なレストランよりよほど洗練された料理を出すようになった。


「すまんな。ため息をつきながら飯なんて食われたら、せっかくの料理がダメになっちまう」


「はは、いいよ。料理と酒は、人生のご褒美さ。ここで嫌なものを落として、美味しいもので満たされてもらう。それが僕らの仕事だからね」


 アウグスト、お前いい奴だな。俺が女なら惚れているだろう。彼は妻帯者だが。




 最近は、こちらに来て、まず畑の手入れ。俺が来たのに気付くと、畑班やドレイパーの皆さんは畑で待ち構え、次々に作り出す農作物をどんどん運んでいく。そして当面の在庫が一杯になったら、今度は神殿の社務所へ。


 社務所では、三人娘と首脳陣との小会談。ビビアーナとベルティーナは、当初こちらがお願いしていた村人との意思疎通を、俺の予想を超えて遥かに上手く取り仕切ってくれている。通販などの実務もそうだ。アニェッラは…マスコットガールといったところか。


 村の政治は、カルたち王族組を中心に、上手く回っている。王妃ズと側近さんたちが有能だ。彼らは役場にオフィスを構え、役場は今になってちゃんと行政府としての役割を果たすようになった。村人も増えたことだし、建て替えが可能となったので、今は村役場から町役場に進化し、よりお役所感が増している。


 なお、当の国王カロージェロ陛下もマスコット枠。彼は圧倒的な戦闘力を持つ獣人族のカリスマ。いつも校庭で、老若男女限らず稽古を付けている。気のいいライオンだ。


 村人の要望を聞いた俺は、必要な建物を建てたり、新しくもたらされた薬草や作物を育ててみたり。それらが終わると、やっと風呂だ。全てをかなぐり捨てて、村人たちと裸の付き合い。俺はあっちで一仕事終えてから来ているが、こっちはまだ午前中。なのに彼らは、こぞって風呂に集まって来る。神殿で神格化されるのはかなわないが、こうして村に受け入れてもらって、銭湯で他愛ない世間話をして。あっちでささくれ立った気持ちが、温かく和らいでいく。


 それからは、昼間っからハシゴ酒。その日の気分で食堂を回り、ランチを楽しむ村民に混じって、俺は晩酌だ。昼時はどこも忙しいはずなのに、どこに行ってもみんな愛想良くもてなしてくれる。酒が入るせいか、俺は時々泣きそうになる。あっちで多少嫌なことがあっても何とかやって行けるのは、彼らあってこそだ。


 ちなみに、パワハラモラハラセクハラについて、一番親身になって話を聞いてくれるのは、ドレイパーの皆さんだ。こういうストレスは、獣人族には伝わりにくい。王族の獅子族、貴族の天狼族、そして王都で豪商を営んでいた一部の栗鼠族、彼らは彼らで腹の探り合いや権謀術数にまみれた世界を生き残って来たわけだが、獣人の根底には「力こそパワー」という意識がある。結局殴り合いで勝った者勝ちっていうか。


「そうそう!そうなんですよねぇ!」「分かりますぞ!」「ユート様もお辛い目に…」


 愚痴で飲む酒は好きじゃない。そういう飲み会はずっと避けてきた。だけど、時にこうして話を聞いてくれるだけで、癒されるものがある。あの大軍が攻めて来た時にはどうしてやろうかと思ったが、こうして善き隣人が増えた今となっては、侯爵家のボンクラ次男(彼が欲をかいて強引に出兵して来たらしい)、そして栗鼠族の元族長たちにはお礼を言いたいほどだ。


 社用車の中の一人の時間と、村での癒しのひとときが、今の俺を支えてくれている。




✳︎✳︎✳︎


2024.03.27 訂正

部下の人は年上でした…

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