第53話 新生活満喫

 とはいえ、出向先の人たちが全てアレかというと、そんなことはない。


「安積君、おはよう。慣れたかね」「安積さん、おはようございます」「おはようございます!」


 ここの社員さんは気のいい働き者ばかりだ。何かと気にかけてくれる上司もいるし、不慣れな俺をフォローしてくれる非常勤さん、それから明るい2年目の子、清掃の業者さんまで。少ない人員でもきびきび立ち回って、この現場を回して来たんだなってのがよく分かる。対応が難しいのは、ごく一部の人たちだけだ。彼らは「都会から来た」「親会社からの出向」「よそ者」という属性に相容れないようなので、それは俺にはどうすることもできない。相性の問題なんだろう。とりあえず、俺はやるべきことをこなして、ビジネスライクに付き合えればそれでいい。




 困ったのは、元居たオフィスから頻繁に電話が掛かって来ること。


「安積さん、あのファイルはどこにありますか」「安積君、A社の件なんだけど」


 いや、ファイルはまとめてフォルダに入れてあるよね。引き継ぎ資料にもそう書いてある。そして現在進行中のプロジェクトについては、俺のあずかり知るところではない。相手方の担当と事を進めてくれ。彼らは俺がすぐに電話に出ないこと、コールバックしないことに不満を漏らすが、こっちでは運転中に電話に出られないことは何度も伝えてある。しまいには、


「そもそも安積さんが昼休みにも対応して、部長や取引先を甘やかすから!」


 ずっと我慢してたんですけどね、だと。いや、確かに相手の圧に負けて、昼休みも対応してしまった俺にも責があるだろう。得意先を失うわけにも行かず、部長の無茶振りをガン無視するわけにも行かず。かといって、若い子に丸投げして押し付けるわけにも行かず。俺はみんなに火の粉が飛ばないよう、良かれと思って昼休みを犠牲にしていたんだが、それは間違っていたかも知れない。


「申し訳ない。もう昼休みに対応するのはやめることにする」


 俺はそう言って、彼らの電話に対応することをやめた。どうせ俺が前田さんに問い合わせをしても、「あーそれはそっちで聞いてどうにかして」「適当にやっといて、よろしく」しか言われないことだし。適当にやっといていただければいいと思う。これまで甘やかして、申し訳ないことをした。以降、対応はメールにて。


 もう昼休みにまで我慢しなくていいんだという安堵感。そして、何のために頑張って来たんだろうという喪失感。出向して離れてみると、いろんなことが見えてくる。意味の分からないものにしがみついて、無駄な努力をしていたな。しかしまあ、よく頑張ってたよ俺。自分くらい、自分を労ってやろう。


 幸い、覚えることはたくさんある。仕事もたくさんある。新しい仕事に没頭して、社用車で飛び回って、お昼はそのままバイパスのチェーン店で簡単に済ませて。何というか、自由だ。いや、朝から晩まで会社に拘束されて、自分の時間なんか相変わらずほとんどないんだが、世界が広がると心が自由になる。俺は今、そんなことを感じている。




 こっちに来て一番のメリットは、何と言っても自家用車だ。


 地方は車社会って言われるが、本当にその通り。ガソリン代に駐車場代(しかもアパートと会社近くの両方だ)、車検や税金など、想像以上に出費が凄まじいが、一度この便利さに慣れてしまうと、車のない人生が想像できないほど。週末ショッピングセンターまで出掛けて、大物を買い出しして。それどころか、ちょっと足を伸ばせば海に山に、自分の行きたいタイミングで行き放題。疲れたら、車の中で仮眠すら取れる。車を選ぶ時、チラッと考えたんだ。車中泊が出来る車にしようかって。恐らく出向は長くて2年なので、やめたけど。


 ちょっと山にハンドルを切れば、遅咲きの桜が目に入る。花見なんていつぶりだろう。昔は弊社でも、公園にブルーシートで場所取りして、花見なんてものがあった。今は世情が許さず、幸い辛い悪習は立ち消えとなったが、しかしああいった形で花見でもしないと、自力で桜を見に行こうなんて気力すら湧かなかった。


 何をするわけでもない、駐車場に車を停めて、ペットボトルのお茶を飲みながら、コンビニおにぎりを食べて。ここのところずっと村に入り浸ってたから、こんな休日は久しぶりだ。あちらとこちらの時間の流れは同じではないから、俺があちらを訪れる回数を減らしても彼らの生活に影響が出ないのは有り難い。多少の誤差はあるが、俺の訪問は大体あっちで三日〜五日に一度くらい。俺が行かなかったら、あちらが食糧難になってしまうとか、そういう心配はなさそうだ。


 自宅に帰れば、さっさと就寝。こちらのアパートは、持ち物をほとんどインベントリに入れているおかげで、殺風景この上ない。ベッドももう処分してきた。敷布団に掛け布団、そして布団のないこたつにアラーム時計。俺の生活は、こんなもので事足りる。さあ、行こう。もう一つの我が家へ。




 こちらに来れば、いつも朝。いつも通りに畑の世話をし、いつも通りに下に降りて、いつも通りに社務所へ足を運び。だけどそこには、異様な光景があった。


「ユート。これを持って」


 そこには、俺が今使っているスマホ。それも10台。

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