第2話 よくできた夢

 そうか、これは夢だ。


 電車でふとうたた寝すると、壮大な夢を見ることがある。会社でうっかり書類を提出し忘れたと思ったら、次の瞬間には奉行所のお白洲しらすの上で打ち首を言い渡されるとか。取引先の課長によく似たティラノサウルスに追いかけ回されるとか。時には何年分も夢を見たのに、目覚めると一駅も走っていないなど。まるで邯鄲かんたんの枕だ。夢にまで現れる日常のストレスよ。


 しかしこの夢は、当たりなんじゃないか。うららかな陽気、広々とした草原。遠くには山々がそびえ、心地良い風が吹き抜ける。まことに牧歌的。平和だ。不躾ぶしつけに木の枝でつついて来る小汚いクソガ…天真爛漫なお子様がいるが、白髪碧眼、頭にケモ耳なんて、どう考えたって夢でしかない。


 しかも、夢である一番の証拠。それは、俺の視界の正面斜め上に、オレンジ色の下向き三角アイコンがプカプカ浮かんでいることだ。これはアレだ。さっきまで遊んでいた、スマホゲーの夢だ。わお、何てラッキー。ずっとこのゲームの世界に住んでみたかったんだよね。もうすぐ乗り換えだけど、それまではこの世界を満喫したい。


「なあ、オッサン」


 半身を起こしてブツブツ呟く俺に、お子様が業を煮やしたようだ。彼はこのゲームの住人だろうか。ゲームの中では、住人たちは非常口のアイコンみたいな姿でしか表示されなかった。実際は、こんなファンシーな生き物だったのか。


 いや、住人の姿はどうだっていい。ここがゲームの世界なら、始めなければならない。農業を。


「君、作物の種、持ってる?」


「…はぁぁ?」


 今度は彼が「は」だ。


「いやいやいや。君、この世界の住人だろ。種か苗か用意してくれなきゃ。まずはチュートリアルがお約束でしょ」


「チュ…何言ってんの、オッサン」


 オッサンはやめんかこら。


 彼は「変なオッサンに声掛けちまった」などと呟きながら、しかし辺りをきょろきょろと見回し始めた。そして、


「腹減ってんだったらそう言えよ。何もねェけど、ほら、ワイルドキャロット」


 そう言って、雑草を一本引っこ抜いた。根っこはひょろりと長く、何というかベビーキャロットのような。お前、泥だらけのそれを食えというのか。いやしかし待てよ。


 手に取ると、視界には小さなウィンドウがポップした。




『栽培しますか? はい いいえ』




 そうか、これが最初の作物か。ゲームの中では、最初からインベントリに種がいくつか入っていたが、夢の世界ではこんなやりとりの末、栽培作物が手に入るんだな。俺は迷わず「はい」をタップした。すると、斜め上の三角矢印が物言いたげに明滅を始めたので、指を伸ばしてタップの動作をした。三角は、10メートルほど向こうに浮いていたが、一瞬ピタッと静止したかと思うと、その下約10メートル×10メートル四方が、いきなり畑に変わり、うねが出来た。


「…はぁぁ?!」


 犬耳君の声が30デシベルほど上がった。いや、これゲームだから。こういう仕様だから。中の住人が驚いちゃってどうすんの。畑の上には、ストップウォッチのアイコン。人参は割と初期の作物なので、実るまでに5分だ。順調に進捗プログレスバーが伸びている。手元の人参が消失した代わりに、畑からは人参の芽がにょきにょきと伸び、葉がワサワサと茂って行く。


 チーン。




『収穫しますか? はい いいえ』




 ベルの音と共にポップしたウィンドウ。迷わず「はい」を選択。すると畑からは丸々と太った人参が独りでにズボズボと抜け、ポポポポ…というSEサウンドエフェクトと共に、飛来して足元に積み上がる。ピラミッド型というか、ログ型というか。50本くらいあるだろうか。


 ああ、これがやってみたかった。作物がたった数分で大量に実り、画面に指を滑らせるだけで、全て俺のもの。最高だ。植えられる人参が増えたため、三角のカーソルの数が増えた。最初の畑にしたところの上下左右(東西南北?)にプカプカと浮かんだ三角が、「畑を拡張しますか?」と言っている。それぞれ、拡張するためにコインが10枚。人参1本1コインなので、50本のうち40本を売り払い、4箇所拡張。そして5本をそれぞれ畑に植え、手元に残ったのは5本。


「君、人参要る?てか、他の作物の種、持ってない?」


 俺は彼に人参を2本手渡した。ケチくさい気もしなくもないけど、ベビーキャロットが肥え太った立派な人参に化けて、しかも倍に増えたんだ。このくらいでいいだろう。しかし、


「…」


 彼は目をガン開きにしたまま、口をパクパクしている。食べたいのかと思い、土を落として口に突っ込んであげると、手をはたき落とされた。


「おまっ…この!一体これは何なんだよ!」


 おや。人参はお気に召さなかったみたいだ。牙も見えるし、肉食だったかな。しかし、その辺に生えている人参を引っこ抜いて、そのまま渡して来たのは彼だ。こっちの世界の住人は、生のままで食べるのかと。


「こうしちゃいられねぇ…オヤジ呼んで来なきゃ!」


 彼はそう叫ぶと、林の方に駆けて行った。そうか。ゲームの中では、作物を作って耕作地を広げると、いつの間にか住人が増えて行くんだけど、こういうシナリオが用意されていたんだな。さすが夢。結構楽しい。


 さあ、次の人参が収穫出来そうだ。この調子で、どんどん畑を増やそう。

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