第25話 早朝出勤

 さて、やることもなくなった。皿や食器は、ラップやフードコンテナを使ったとはいえ、調理器具まで洗ってもらえるのは有り難い。俺は引き続き、二階でコーヒーでも飲みつつ農作業をすることに。彼女らは、一階で好きに休んでてもらっていいということになった。


 アニェッラは早速風呂に興味を示した。一度家に帰って、着替えと手拭いを用意して来るらしい。ビビアーナは、俺のメモ帳とペンが気になるらしい。予備を渡すと、真剣に書き味を試している。ベルティーナは、雑誌に釘付けだ。この子が一番戦力になりそうなので、出来れば簡単なアウトドアクッキングだけでも覚えていただきたい。


 ああ、階下から人の気配がするって、変な気分だ。学生時代からもう長いこと一人暮らしをしてて、学校や会社以外で人とこうして話すなんて、滅多とない。店員さんとか、レジ係の人くらいか?言ってて虚しくなってきた。しかし、今更他人と共同生活なんて御免だ。会社でも気を遣い、家でも気を遣い。俺は一体いつ休めばいいんだ。ずっとそう思って来たんだ。だがしかし。


 二階の寝室には、ベッドとテーブルセット。ベランダからは長閑のどかな村の様子と、爽やかな風。時折村人の声、子供の歓声。腹も満ちたし、穏やかな気持ち。ああ、いかんいかん。一瞬寝落ちしそうになった。寝たらあっちに戻ってしまう。俺は頬を叩いて頭を振り、そして気付いた。


「———こら。二階は立ち入り禁止だぞ」


「チッ」「起きてましたわ」「作戦失敗」


 油断も隙もない。




 そろそろ午後もいい時間だ。あっちに帰る準備をしつつ、彼女らに話しておく。


「俺はこっちで眠ると、あっちの世界に帰ってしまう。だから、君たちの言う既成事実とか、そういうのは無理だと思ってくれ」


「「「えー」」」


 えー、じゃない。


「それから、俺がこの世界に居ない間、この家には入れないみたいだ。念の為、俺が寝る前には家の外に出ていて欲しい。出られなくなったら大変だからな」


「分かった」「分かりましたわ」「おー」


「ということで、今日は解散だ。バイト代は、また改めて用意するから」


 彼女らは、渋々という感じで出ていった。やれやれ、やっと一息つける。俺は改めて風呂に入り、体中を流してさっぱりして、風呂上がりにはスーパーの浄水コーナーの水を。そして最後に二階に戻り、ベランダから薬草を収穫して、適当な農作物を植えたところで、住民に手を振って窓を閉める。


 今日は何だか疲れたな。しかし、まだ火曜日が終わったところ。目を覚ませば水曜日だ。弱音を吐く暇などない。あっちでもこっちでも、やることは山積みだ。


 とりあえず、おやすみなさい。




 一瞬鳴りそうになったアラームを、寸でのところで止める社畜。おはようございます。5時にセットしたので、まだ周囲は暗い。しかし今朝は一度試してみるのだ、早朝出勤。


 早朝出勤自体は、経験がないわけではない。社外イベントで早乗りとか、出張で早朝発とか。しかし、何でもない平日に挑むのは初めて。しかも、電車の中でアプリの世界に潜り込むためとか。とりあえず、朝食を流し込もう…としたところで、思いとどまる。もうあっちの世界で食べればいいじゃん。そして、もし電車が混んでいて向こうに行けないようであれば、会社近くで早朝から開いているチェーン店で食ってもいいわけだし。贅沢は敵だが、モーニングくらいなら許容範囲だろう。よし、そうと決まれば、身支度をして電車に乗り込もう。


 朝食をすっ飛ばしたおかげで、俺は想定より1本早い電車に乗ることが出来た。そして、一番端とは行かなかったが、無事空席をゲット。アプリを起動し、スマホを懐に仕舞い、バッグを膝に抱えて、いざ夢の中へ。


「———お、ユート、起きたじゃん」


「おはようございます、ユート様♡」「ござます」


「はっ?!!!」


 俺はベッドで飛び起きた。いかん、スーツに革靴だ。電車でこっちに来たのは、今回で二度目か。初回はいきなり野っ原だったもんな。いやそういうことじゃない。


「な、何で君ら…!!!」


「ユートがベランダ閉める前に、こっそり家ん中に戻った」


「作戦成功ですわね♡」「既成事実」


 きッ…きせ…ッ…


「だけどよぉ、三日も眠ってるって、寝過ぎじゃね?」


「ちっとも起きられる気配がなくて、困りましたわ」「起っきしなかった」


 ほっ。ということは、俺があっちにいる間は、こっちの体は寝ているのか。まあそうだな、俺がこっちにいる間は、あっちでは寝てるんだもんな。いやそうじゃない。最後の、ちょっと変な含みがなかったか?!


「とにかく!今後一切、こういうのは無しだ!」


「「「はーい」」」


 全然聞いてる気がしない。もう全員クビにすっか。




 改めて、彼女らを階下に追いやり、俺はベランダを開けて朝食にする。食パン、コーヒー、そして優雅にベーコンエッグとサラダだ。残っていた作物は全部収穫して売り払い、薬草を植える。いつものパターン。


 一旦部屋着に着替えようとして、思いとどまる。俺、スーツでこっちに来ちゃったけど、もしかしてこっちで脱いだら、電車の俺は裸になっちまうのか?いかんいかん。夢の農村ライフの前に、鉄格子の向こうに連れて行かれてしまう。残念だが、今回は風呂もなし、服装はこのままだ。やはり朝活など、所詮俺には無理だったということか。


 一息ついて、階下に降りる。彼女らは悪びれもせず、我が物顔でソファーでくつろいでいる。何だか怒る気力も失くしてしまった。とりあえず、こないだのおにぎりの残りを出しておく。


「あー、君たちの今日のバイトは、おにぎり作りだ」


 俺はインベントリから炊飯器と玄米を取り出した。玄米を計量してザルにあけ、洗って水気を切って炊飯器へ。そして水を目盛りまで注ぎ、玄米ボタンでスイッチオン。なお、コンセントはちゃんと炊飯器に対応していた。農家の住宅(中)すげぇ。


「なぁ、ユート。あたいだけ、やること無ェんだけど」


 アニェッラはもじもじしている。料理への適性のなさは、自分でも自覚しているようだ。


「得意な家事はある?無かったら、別に村人と一緒に狩りでも行って来ればいいと思うけど」


「洗濯くらいなら出来るぜ!」


 生憎洗濯機は持って来ていないが、風呂場で問題なく洗えるとのこと。物干し場もあるしな。じゃあ、ということで、俺はシーツとタオルの洗濯を任せた。他に洗ってもらうものもないし。アニェッラは鼻をこすって笑い、洗濯物を抱えて風呂場へ向かった。




 空いた時間は、村人と意思疎通を図りたい事柄を整理。なお、先日取ったメモはこんな感じ。




【要望を聞きたいこと】


・村のレイアウト


・帰る前に作っておいて欲しい作物


・今ここには無いが欲しい食材




【要望したいこと】


・食材の下ごしらえと調理の補助


・引き続き、周囲で採れる新しい作物の入手




 村のレイアウトについては、栗鼠族が流入して来て、建てられる建物が増えた。今は住宅地前の空き地を集会場にしているが、そろそろ村役場を置くのがいいだろう。その他にも、公園やら、水場やら、運動場やら。一度敷設ふせつしてから移動させてもいいんだけど、最初からこうしたいという要望を聞いておけば、もっとスムーズに配置出来るだろう。これには図面が必要だろうから、休みの日に大きめのコピー用紙や鉛筆でも買って来よう。


 帰る前に作っておいて欲しい作物は、あまりないらしい。彼らは「あるものを食べる」のが基本だからだ。これは、食生活がもっと安定して来てから、再度アンケートを取った方が良さそうだ。


 今ここには無いが欲しい食材。筆頭は、ビビアーナの言う通り、砂糖だそうだ。しかし、いくらあっちで安いって言っても、俺が継続的に100人分の砂糖を調達するのは難しい。こちらで砂糖を生産する方法を調べて来なければ。あとは、赤ワインを作るためのブドウがあれば嬉しいとのこと。


 こちらからの要望について。まず食材の下ごしらえについては、バイトが3名来ることになった。本人たちは既成事実だの嫁入りだのと言っているが、こんな子供に手出しするつもりはない。そもそも人口が増えれば、村に飲食店が開業するはずで、そうなればうちでの家事手伝いバイトは解散だ。何だかんだ彼女らは美少女だし、縁談に困ることもないだろう。良縁に恵まれていただきたい。


 新しい作物については、いくつか提供があった。それらは無事根付き、殖やして、順次生産中。木の実類は、栗鼠族に好評だ。果樹園が充実している。




 家事手伝いのバイトはさておき、これらの窓口を、彼女らに任せたい。アレッサンドロさんやベニートさんも村の代表ではあるが、彼らは彼らで村民の世話で忙しいのだ。バイトに来ている3人のうち、栗鼠族のビビアーナはしたたかな策略家。妹のベルティーナは、彼女に輪をかけて頭が切れる。そして天狼族のアニェッラは、男顔負けの力を誇り、リーダーシップもある。獣人は、何だかんだみんな脳筋で、力こそパワーなところがある。ある程度の腕っぷしがなければ、誰も耳を傾けない。そういう点で、最年長のアニェッラが表に立つことで、交渉事はスムーズに運ぶ。


「ほほほ。何事も、適材適所ですわぁッ♪」


 実はこれらは、ビビアーナからそそのかされ…いや、彼女の入れ知恵なのだが、なるほど筋が通っているような、上手く言いくるめられているような。しかし俺としては、こういう存在が有り難いのは事実だ。




 俺はこの日、薬草を栽培しながら黙々と玄米おにぎりを量産した。半分は彼女らに食べられたが、これで食糧のストックは改善した。なお、タオルとシーツは穴が空いてボロボロになった。部屋着を任せなくて良かった。

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