第26話 あれから一週間
一応オフィスビルには守衛さんがいて、鍵を受け取れば社内には入れる。しかしオフィスは既に開いていた。俺より早い奴がいるなんてと思ったら、あっちはデスマーチの徹夜組だった。俺はただ、電車でゲームの世界にダイブするためだけに出て来たので、何だか申し訳ない気持ち。特にすることもないので、仕事に着手することにした。
しかしあっちで十分休めなかったせいか、水曜日の俺は精彩を欠いた。午前中に大ポカをやらかし、挽回に必死になっている間に就業時間終了。終電間際になってやっと区切りが付き、重い足取りで電車に乗り込む。アプリを開く気力はなかった。自業自得とはいえ、始業前にサビ残があった分、余計に疲れた1日だった。残業中におにぎりが食べられたのだけは、幸いだった。
やっとの思いでスーツを吊るし、身支度もそこそこにベッドに倒れ込む。全部あっちで済まそう。てか、あの子らまた居るのかな———
「あ、やっと起きた」
「ユート様、四日目です。心配したんですよ?」「よ?」
———居た。二階には上がるなって言ったのに。
「…ああごめん。申し訳ないけど、今日は帰ってくれるかな」
「は?何で?」
「二階、上がるなって言ったよね。そもそも、俺が帰るまでに家を出てくれって。もう来てくれなくていいから。残念だけど、バイトの話は無しで」
「「「…」」」
ああ、雰囲気最悪だ。だけど今日はちょっと、愛想を取り繕う余裕がない。俺は黙って風呂に向かった。
思えば、アプリで癒やされようなんて思ったのが間違いだったのかも知れない。空いた時間にちゃんと勉強して、資格でも取って、スキルアップして転職とかさ。そういう地道な努力から目を逸らして、ゲームなんかに逃避してたから、こんな罰が当たったんじゃないか。こっちで生活費を浮かそうなんて欲をかいて、ゲームの住民にちやほやされていい気になって。俺って馬鹿だな。もっと人生真面目に考えろって。
ああ、疲れて腹が減ると、ロクなことを考えない。とりあえず今日は、最低限のことだけして終わろう。飯食って、畑綺麗にして、なんか適当に植えてログアウトだ。明日からはどうすっかな。こっちで風呂に入れるのはいいんだけど、もう色々考えるのも面倒だ。
そう、癒やしのためにゲームしてんのに、ゲームで疲れてたら本末転倒だ。いくら無課金だからって、ゲームに人生喰われてたら、ネトゲ廃人と同じじゃないか。いかんいかん。ゲームで道を踏み外すところだった。もういっそ、アンインストールしてもいいかも知れない。色々持ち出したが、コインを取り出して大体チャラになったことだし、潮時かも知れないな。
そういえば、このゲームに初めて入ったのが先週の水曜日だった。ちょうど一週間か。いい夢見させてもらった。
風呂から上がると、彼女たちはまだリビングにいた。なんだかしょんぼりしている様子だったが、俺も構ってやる気力がない。
「気を付けて帰って」
一言だけ掛けて、俺は二階に上がった。
バルコニーから村を見渡すと、彼らは元気に仕事に精を出していた。彼らも彼らで、色々あるんだろう。生きてりゃ辛いのは俺だけじゃない。俺がログインしなくなっても、みんな達者で暮らしてくれりゃいいんだが。そうだな、週末にちょっと相談して、今後の方針を決めてからアプリを消すことにしようかな。時折こっちに向かって手を振る住人に手を振り返し、俺はそれぞれの畑に適当に作物を植えて、さっさとベッドに入り、ログアウトした。
家に着いたのが1時で、アラームが6時。5時間とはいえ、あちらの世界から戻ると多少気力体力が回復している気がする。昨日、電車の中で転移した時には、ずっとスーツだったから疲れ果てたのか。まあ、気分は昨夜よりも幾分マシだ。今日から気合いを入れ直して、元の生活に戻るとしよう。
いつでも出来立ての朝食、そして空っぽの鞄で満員電車。この辺は、非常に有り難い。インベントリの機能を手放すのは惜しい気もするが、アプリがあればやりたくなってしまうものだ。しかし、現実世界でいっぱいいっぱいなのに、あっちでもストレスが溜まるようなら身がもたない。今日も遅くなりそうだし———ああ、駄目だ。昨日のミスを引きずっている。仕事のミスは仕事で挽回だ。
「安積君。何かあったかね」
「あ、いえ、別に」
上長が俺の様子を心配してくれている。ゲームのやりすぎで疲れましたとか言えない。
「君、今年度まだ一度も有給を消化していないじゃないか。最低5日間の取得が義務なのは知っているだろう」
「あ、うっす」
「休むのも仕事のうちだ。明日は有給にしたまえ」
上長、いい人だ。いつもシレッとして毒にも薬にもならない、健康ネタだけはくどいオッサンだと思ってたが、認識を改めよう。さあ、そうなれば明日までの案件も今日中に仕上げなければ、土日に休日出勤になってしまう。本末転倒だ。午前様になりそうな予感だが、気合い入れて行くか。
気合いを保てたのは、昼過ぎまでだった。夕方に一度エナドリを入れ、一人、また一人と退社する中で、更にエナドリ注入。シャットダウンの
有給を取る時は、しばらく前に申請して、仕事を前倒しにして準備するものだ。いきなり言われても、結局こうなってしまう。今年度は次席が出向してるから、実質俺が島のリーダーだ。コンスタントに忙しくて休めない。毎日ほぼ定時上がりの上長を恨めしく思う時もあるが、彼は本社で昇進するために、一旦支社の現場を経験しているだけのお偉いさんに過ぎない。業務のことなんて何も知らない。それでもこうやって、彼が「休め」と言ってくれたから、有給が取れる。もう今年度も終わりに近いし、素直に厚意を受け取っておこう。
会議室は、例のデスマーチの奴らが死屍累々と横たわっている。邪魔をしないよう、24時間営業のカラオケでも入るか。いや、この際自分にご褒美だ。ネカフェの個室を取って、仮眠しよう。ネカフェがご褒美とか、小市民が過ぎるが。
ネカフェはよく眠れなかったが、俺は少し寝坊して、通勤時間も終わり頃になってから家路に向かった。いつもと逆方向のガラ空きのシートに身を委ね、俺は瞼を閉じた。
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