第5話 なんだ夢か

 ———降り口は右側です


 俺はがばりと飛び起きた。ヤバい、乗り過ごすところだった。こうして乗り換え駅の直前、もしくは到着と同時に目覚めるスキル。現実世界の俺の持つ、唯一かつ最強のチートかも知れない。いや、多くのサラリーマンが持っていると思われるが。


 スーパーの閉店に間に合うか微妙なところなので、もう最寄り駅まで電車に乗ってしまう。向かいのホームで待っている普通列車に乗り換え、2駅。幹線道路沿いのコンビニに立ち寄って、弁当を買って帰宅。いつものコースだ。


 だけどいつもと違うのは、電車の中でいい夢が見られたこと。スマホゲーの中の世界は、うららかな陽気で気持ち良かった。人参の丸々とした触感が、まだ手に残っている。何なら、手が少し土っぽい感じがするくらいだ。


 シャワーを浴びて着替え、動画を見ながらもそもそと弁当を食す。今夜に限って、そんなに腹が減ってない。そういえば、夢の中でシリアルバーとお茶を飲んだ気がする。鞄を見ると、シリアルバーのゴミと飲みかけのペットボトルが入っていた。電車の中で、寝ぼけて食べたんだろうか。補充しておかなければ。


 さて、今日はまだ水曜日。平日はあと2日ある。仕事が結構押している。下手をすると休日出勤にもつれ込む可能性もある。明日も仕事を頑張ろう。




 乗り換え駅の直前で目覚めるスキルは、アラームが鳴る直前にも発動する。何度アラームを掛けても寝過ごすよりはマシかもしれないが、毎朝あんまり寝た気がしない。しかし昨夜は、日付が変わる前にベッドに入った。割と眠れた方だ。


 食パンをインスタントコーヒーで流し込み、満員電車に揺られて会社の最寄り駅。コンビニで昼飯のサンドイッチとカフェオレを買い、非常食を食べてしまったことを思い出し、併せて購入。非常食は大事だ。トラブルで徹夜、電車が止まって帰れない、こういった時に幾度も救われてきた。最近はシリアルバーのバリエーションも増えて、選ぶのがちょっと楽しみな社畜。


 午前中の仕事は、まあまあ順調な滑り出し。新しい仕事が積み上げられることもなく、順調な進捗しんちょく。何なら昨日上げた資料を褒められた。いつもと全く同じ仕様なのに、どういう風の吹き回しだ。


 久しぶりに、昼休みのチャイムと共にランチにあり付く。ミックスサンドは至高だ。もうちょっと食べたくなるのを我慢して、夕方もう1個食べるのが俺のルーティン。眠くなるし、だってほら、すぐ外線が掛かって来るから。そしてその隙を縫って、いつもの農村シミュレーション。デイリーボーナス、今日は12日目だから、肥料だな。


 ———と、その時までは思っていました。




 アプリを立ち上げ、ロード画面が始まる。しかしロードが終わっても、画面は真っ白のまま。その代わり、俺の視界の斜め上には、逆三角アイコンがプカプカ浮かんでいた。


「は?」


 俺は眉間を揉み、まぶたこすった後、二度見した。しかしアイコンは変わらず浮いている。違いがあるといえば、オレンジ色ではなくて灰色だ。指を伸ばしてタップの動作をすると、「ここは開墾できません」とアラートが出た。そりゃそうだ。オフィスが畑になったら、騒動では済まない。


 それだけではない。俺の視界の端には、見慣れたインターフェイスが並んでいる。農業系コマンドは、軒並み灰色だ。しかし、インベントリは解放されている。昨日、次回の作付けのために一応取っておいた、人参やその他の作物が見て取れる。試しに人参をタップすると、


 ゴトリ。


 土だらけの丸々と肥え太った人参が、デスクの上に転がった。葉っぱも合わせると、結構なビジュアルだ。


「…安積君。それ、何だね」


 デスクのしまの上長が、俺の机の惨状にいち早く気付いた。


「えっ、あっ、そのっ」


「健康志向はいいが、机を汚すのはやめたまえ」


「あっはいっ」


 俺は急いでオフィスの隅の古新聞を取ってきて、人参を包んだ。そして給湯室から雑巾を借りて来て、デスクを掃除する羽目になった。


 一体何がどうなっているんだ?

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