第44話 火曜日の弊社

 火曜日の弊社。あっちの世界で忙しく動き、前日のダメージを引きずらなかったせいか、俺は有給のダメージをサクサクと回復した。今回の仕事の炎上は誰のせいでもない、強いて言えば情報の伝達ミスなのだが、仕事をしていればまあ、こういうことはある。俺も自分の担当の仕事を後輩に全て逐一共有して、俺がいなくとも万全の布陣を敷くとかそういうことはしていないし、後輩もだ。


 だけど俺は、考えを変えた。


 俺はどこにでもいる普通の凡人で、俺の替えなんていっぱいいる、吹けば飛ぶようなサラリーマンだと理解している。でも俺は心のどこかで、「俺はこの会社に必要な人材だ」と思い込もうとしていた。言い換えれば、自分の替えは効かない、替えが効かないと思われるような自分でいたいと。今回のトラブルは、俺が必要以上に仕事を抱え込み、それを仲間で助け合ってシェアする習慣が無かったことが、発端と言える。そしてその原因は、俺のその自信のなさだ。


 しかし、村人との交流が、俺の世界はもっと広いと教えてくれた。ゲームのチートが前提にあるとはいえ、俺は見知らぬ土地で住民と交流し、溶け込み、お互い手を取り合って村を繁栄させていくことが出来ている。どこでもやって行けるんだという自信、そして仲良く出来る人とだけ仲良くして、分かり合えない人とは距離を置いていいんだっていう安心感。誰にでも受け入れられ、好かれようとしなくてもいいんだっていうこと。それが分かると、おのずと自分がいかに不自然な生き方をしていたか、本当はどうしたいのかがストンと腑に落ちた。そして今まで、どうしてそれが分からなかったのか、分かっていても出来ないと思っていたのか、不思議ですらある。


「すみません。ちょっと席を外して来ます」


 俺は入社以来いつぶりか、昼休みに外へ出ることにした。今日は良い天気。近くの公園で、フードコンテナを取り出してランチにありつく。この間作った自作のチキンゴロゴロカレーを、玄米とともにガッつきながら、蓋付きカップに入れたコーヒーを啜る。ランチなんて5分で流し込み、受話器を肩と耳に挟みながら、表計算ソフトで見栄えのするグラフを作りながら、今度の重役の好きそうなシュッとしたスライドにまとめ———そんなことなんかしなくたって、良かったんだ。一歩外に出れば、明るい陽気、新鮮な空気、誰にも邪魔をされずにのんびりコーヒーを飲む時間くらい、あったのに。


 誰かが言っていた。人生って、要するに時間のことだって。最近俺はいつも何かに追い立てられ、自分の時間なんてほとんど持てなかった。それは、俺以外の何かに人生を明け渡していたに等しい。当然、働かないと生きて行けないわけだから、日中ほとんどの時間を労働に充てることは、間違ったことじゃない。社会人はみんなそうだ。だけど、本来自分の時間は、自分のものなんだ。俺が納得した上で時間を差し出すのは構わないが、あらゆるものに奪われてちっとも残らないのは、何かが間違っている。何が?俺の認識が。


 俺の人生は、俺のものだ。俺が俺を幸せに満たしてやらないで、誰がそうしてやれる。今までの俺は、向いている方向がほんのちょっとずれていて、少しだけ勇気が足りなかっただけだ。もう大丈夫。俺はちゃんとやれる。コーヒーの最後の一口を飲み切って、俺はデスクに戻った。




 勇気さえ出せば、後は簡単なことだった。残業は一時間で切り上げ、「お先に」と告げて上がる。仕事終わりの飲み会は、「ちょっと予定がありまして」でスルー。帰り際に持ち込まれそうになった案件は、「明日で良ければ対処します」「その案件は隣の課の担当だったはずでは」。何でこれらの一言が言えなかったんだろう。狐につままれたような気持ちで、まだ早い電車に揺られている。


 あちらの世界で、通販が使えるようになった。しかし購入を思いつくものは村のものばかりで、自分が欲しいと思うものがこれといって思い当たらなくて。だけど今、俺が何が欲しかったのかを理解した。俺は、自分の時間、自分の人生を取り戻したかったんだ。そしてそれは、今日呆気なく手に入った。信じられない奇跡を成し遂げたような、ものすごく当たり前の普通なような、変な気持ち。だけど、何だか巨大な案件を成功させたような、誇らしい満足感。


 俺は行きの満員電車以上に、静かな興奮と幸福感に包まれていた。


 いつもよりも早く家に着いてしまって、何だか不思議な気分だ。しかも、身支度を済ませる必要も自炊をする必要もない。冷たい弁当をレンジで温めて、動画を見ながら一人侘しく食べることもない。俺は自由だ。あっちには仲間もいるし、でかい風呂もあるし、美味い飯も酒もある。さあ、部屋着に着替えてタイマーをセットして、向こうの世界に出かけよう。




 こちらは毎日が晴天。いつもの通り、掃き出し窓を開けて、空気を入れ替え、畑の残りを収穫しながら、村人に手を振って。


 ———と思っていました。


 畑の向こう、村の南と東には、見渡す限りの天幕と、おびただしい数の馬や兵士の姿が。


 一体何が起こってる。

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