第50話 それからしばらく

 出向話からしばらく。


 こちらの世界では、日々の業務は滞りなく、淡々と進んでいく。周囲とは距離感が変わってきた。取引先にも、間もなく担当が変わると告げておいたし、書類や持ち物の整理もした。新卒以来、このオフィスには長らくお世話になったものだが、こうして旅立つ準備をしていると、感慨もひとしおだ。


 俺は四月から、現在次席の前田さんが出向している子会社へ入れ替わりに入ることとなる。週末は度々現地の下見に出かけ、不動産屋を巡ったり、中古車屋を巡ったりしている。時期が時期だけに、良い部屋や車はあまり出回っていない。致し方ないだろう。俺は会社近くの適当なアパートに目星を付け、一世代前のコンパクトカーに手付けを払った。軽自動車は意外に高い。維持費はかかるが、どうせ1〜2年で乗らなくなるのだ。これでいい。


 それにしても、アプリとインベントリはマジでチートだ。家財道具一式、楽に運び出せる。それどころか、インベントリには城壁まで入っている。引っ越しどころの騒ぎじゃない。家すら持ち運べるレベル。いや、マジであっちで家建てて、インベントリに入れとけば、いつでも出せるってことか?実際に行動に移せば、色々と厄介な香りしかしないが———素人だからサッパリ分からんけど、登記とか固定資産税とか建築法とかそういう———しかし、いざとなったらこっそり家を建てて、家持ちホームレスなんてことが実現してしまうかも知れない。妄想だけなら自由だ。


 やがて一週間前に正式に内示が出ると、俺と前田さんは相互に行き来して、簡単な引き継ぎを行なった。要は、今の上長がうちでやっていることと同じ。彼はグループ本社のエリートで、彼の主な仕事は本社と子会社うちとの顔つなぎや、お偉いさん向けの接待やらプレゼンやら。ほとんど定時退社とはいえ、彼も彼で何かと忙しくしている。一方俺は子会社から孫会社に派遣されるわけで、やることはもっとプレイヤー寄りというか、庶務から肉体労働までこなす何でも屋になるみたいだが。


 最終の金曜日には、歓送迎会も行われた。


「まあ、あっちで揉まれて来いや」


 前田さんは背中をバンバン叩きながら絡んで来る。都心に戻れるのが嬉しそうだ。そういえば、この人は距離感が近いというか、後輩をイジるタイプというか、ちょっと苦手だったなと思い返す。まあ、出向中は直接の付き合いもないし、出向が終わるまでには異動もあるだろう。こういうのも最後だ。愛想笑いでやり過ごそう。




 一方、農村の方だが。


 ここしばらくのドレイパー侵攻問題で、あっちで通販で何を買おうとか、こっちで何を買って持ち込もうとか、そういうのは全て吹き飛んでしまった。彼らは自分たちで自発的に労働してコインを稼ぎ、通販で必要なものを購入し、光熱費を賄っている。俺の役割は、商業施設で貯まったコインを畑に変え、要望があった建物を建て、後は住民の食糧を逐次生産するだけだ。今のところ毎日ログイン出来ているので、彼らの食糧に事欠くことはないが、人口が一気に増えたことだ。何らかの理由で入れなくなる事態が起こらないとも限らないので、果樹園の比率を高めている。果樹なら、俺が一々生産しなくとも、綺麗に収穫すれば一定時間でまた実がるからだ。


 そしてその、自発的な労働でコインを稼ぎ、通販を利用するという流れなのだが。


 訪ねるたびに、サイバー要塞と化す神殿。パソコンやこちらの文明を利用することについては、首脳陣とよく話し合って、と放り投げておいたのだが、どうもそれが良くなかったみたいだ。ビビアーナとベルティーナの姉妹は大人たちより一枚上手で、先回りしてパソコンやガジェット類を入手しては、理論武装で後から承認を得るということを繰り返していたらしい。もちろんそれが、ドレイパー問題で揺れる村を救ったのは間違いない。だが一度王妃様ズに雷を落とされ、遅きに失したが、一定のルールが設けられることとなった。




・通販のアカウントは統一、神殿にて取りまとめ。


・物品の購入には事前の承諾が必要。


・各戸、もしくは一定の人員ごとにタブレットを配布。


・食糧や共同購入品については一定額のコインを徴収。




 会社の備品を申請するようなシステム、そして天引きのような税制。なんだかんだ、ここでも行政府っぽいものが出来つつある。リーダーは王妃ズと獅子族の側近たち、それから各種族の代表。


 最初は、彼女らを野放しにせず、もっと俺が口出ししておけばよかったと思った。しかし、侵攻当時は俺も余裕がなかったし、彼らはプロの政治屋だ。然るべき形にまとまりつつある。さすがだ。


 それから、未知のテクノロジーや魅力的なアイテムに、目が眩むこともあるだろう。残念なことに、魔が差してしまった者が数人、壁の外に弾き出されたらしい。彼らの中には、反省して再び入れるようになった者もいるらしいが、一度弾かれては面目が立たないと、村を去って行った。俺としては、軽微なことなら一発レッドカードと言わず、再び入れるならまた住んでほしいと思うのだが。誇り高い獣人族においては、名誉は何より大事なものらしい。


 ともあれ、タブレットの配布により彼らの暮らしは安定していった。ボロボロだった衣類も一新し、調理器具や大工道具なども導入され。しかし、全てを通販に頼るような愚かなことはしない。何しろ、壁の向こうにはこの村で生産したものしか運び出せないのだ。購入するのは道具などの初期投資や、ここではどうしても手に入らないものに止め、後はこの村でほぼ自給自足の生活を始めた。たとえば石鹸などは、通販で買えばいくらでも安価なものが手に入るが、彼らはオリーブの実から原始的な石鹸を作ることを選んだ。衣料品にしても、俺に綿花と麻の栽培を依頼しては、糸から紡いで仕立て上げた。もちろん俺は、水酸化ナトリウムや織り機、ミシンなどを勧めて導入はしたが、彼らは自分たちの力で豊かになろうという気概がある。




 俺は、アプリを起動したまま眠ってしまい、たまたまこの世界に迷い込んだ。最初はこれもゲームだという感覚で、畑を増やしたり村をレイアウトしたり、村人を誘致して効率よく規模を拡大して、そんなふうに彼らと付き合って来た。ここが見限りの大地と呼ばれ、一見豊かな草原に見えて、ロクに作物が育たない。それって、ゲームの舞台として都合が良すぎるじゃないか、俺がここでゲームするように用意された世界なんだって。


 しかし、こうして村人がみんなで力を合わせ、逞しくコミュニティを育てて行く様子を見ていると、俺はこの地で人が繁栄するために呼ばれた、単なるきっかけに過ぎないと思う。綿あめを作る機械に箸を入れれば綿あめが集まってくるが、俺はその箸だ。主役はこの世界の彼ら。


 活気に満ちた村の中で、生き生きと働く村人を見ていると、俺はそんな気分になるのだった。

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