第10話 千夏の話2
菜摘未には、父と母の普段の会話から、余分なものを削り取ってゆくと、不自然な父の姿が目に付いて来る。特別な日でないのにソワソワして出て行った日は帰りが遅かった。特に母に対しての接し方が散漫になると、それだけ仕事に打ち込んでいるから、菜摘未も父には余計な事を言わんようにと釘を刺された。此の辺りから母は、父に対しては打算的に成った。兄二人は学業より相変わらず遊び呆けて全く我関せずだ。決定的なのは季節になるとやって来る杜氏の人達が、父と母を見る目に何か陰りがいっとき見られた。それから母の態度にも一種の喪失感が漂った。それからだ。二人の兄と違って、お父さんにはお母さん以外に、別の女が居るのを薄々感づいたのは。小学生にしてはそれほど感受性が強かった。いつかその正体を暴いてやると、子供ながらに母の恋敵を虎視眈々と狙っていた。それが思わず向こうからやって来た。自転車から転けて怪我をして入院した。大したことは無かったが大事を取ったのが父には災いした。入院した翌日にベッドで、家族に囲まれて半身を起こして騒いでいると、見知らぬ親子連れがやって来た。真っ先に動揺したのはお父さんだ。お母さんは何かを覚悟したの鋭い目をした。残りの兄弟は呆気に取られてポカーンとしていた。そこへ母が真っ先に「あんた誰や!」と訊ねた。
女が答える前に、お父さんが此の親子を紹介した。此の時に一番驚いたのは、連れていた中学生の女の子が、姉だと知らされた時だ。女の子は知らされていたのか、
「それからなのよ、菜摘未さんが香奈子さんのアパートをよく行くようになったのは」
「何しに行くんですか」
「勉強を教えてもらいにって言っていたけれど、あたしの推測では鴈治郎さんと君枝さんの事を根掘り葉掘り聞いたようよ」
「なんでまた小学生の子が」
「だからなの、高校生以上の兄二人には聞けないけれど歳も近いお姉さんだし、なんでそうなったのか、その辺の複雑な事情はまだ恋を知らない菜摘未さんに香奈子さんも、そこは上手に説明したらしいの」
でもどう解釈したのか、この頃に菜摘未の異性に対する接し方、いや、扱い方と言ったほうがいいようだ。それが形成されたと聞いた。
「いつ聞いたんだ」
「あの人、此の前、男の人を振ったでしょう、その時に聞いたのよ」
その時はあたしも十和瀬家に嫁いで、大体の事が判ってきた頃なのに、菜摘未さんの此の行動は、彼女の予想以上の衝撃だったようだ。でんと構えている人なのに、それでも動揺するのだから面喰らったのだろう。でも幸弘を除く家族もあたし同様に面喰らって、それで少しは落ち着きを取り戻した。
「なんせルンルン気分でいつも会いに出掛けていた人が一方的に自分から振ってしまうなんて、最初は何を考えてるのか解らなかった」
「それで何でそうするのか聞いたのか」
「そう、そしたらお父さんでなく堪えてるお母さんが馬鹿らしくなって、そう思っているうちに、あの男がお父さんに見えたから振った、ですって」
「嘘だ、十和瀬が俺に香奈子を紹介したから振ったのだろう」
「だとすれば凄い対抗意識なのに、最近の菜摘未さんは極めて落ち着いて冷静なのね」
「何処が冷静なんだ」
「お兄さんがそう言ったのよ」
「十和瀬の奴、自分から仕掛けときながら、まあいいや、でもそのように仕組んだのは間違いない」
でも
「ところで菜摘未は出掛けているのか」
「貴方が最近来る時間が分かったのか、いつの間にかその時間になるとフィと出掛けて仕舞うのよ」
「じゃあ十和瀬は奥の酒蔵に居るのか、杜氏でない
とこれも妻の希実世さんの為なのか、と想うとやたらと十和瀬が不幸に見えて来る。
「千夏さんは結婚しても同じような酒造会社なのには不満はないの?」
「不満って?」
「別な世界に憧れへんの」
「うちは小さいときから酒蔵を見て育ったせいか、これがうちの世界やと想うてるさかい、多分功治さんも一緒と思うから最初に出合った利き酒会であれだけ罵り合ったんやと思う、そやさかい一緒になったんやねえ」
「そうか、そこへ行くと次男は自由と云う名の
「そんなおかしな事言わん方が良いわよ」
と自分に言い聞かせたつもりが、千夏さんには大いに反発された。
「何でや」
「責任転嫁やさかいに」
彼女に言わせれば、自由と言う名の世間からの逃避行や、と言われても納得しがたいものがあった。造り酒屋の娘が同じ造り酒屋に嫁いだその人に、十和瀬はそこまで見透かされているのか気になった。
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