第49話 菜摘未の思惑

 千夏さんは先ずはこの集合住宅の管理人、もしくは大家さんを捜した。此の木造二階建ては全部で八室在り、アパートは見るからに古かった。二階へ上がる鉄製の板も手すりも、隅には錆が見えた。丁度一階から顔を出した高齢の男性を見付けて、二階の境田さんについて聞いてみた。いきなり身も知らない女性の訪問にさぞかしは驚いたと思いきや、千夏さんは持ち前のバイタリティー溢れる笑顔と物腰の柔らかい喋り方で、相手は何の不審も抱かずに語ってくれた。なるほど十和瀬が相手では塩を撒かれて追い払われたが、彼が千夏さんを寄越したのは正解だ。

「境田の実家が解ったそうだなあ。それで十和瀬、如何どうする」

「連絡が付かない以上は行くしかないだろう」

「お前一人で行くのか、そこに妹が居るとは限らんだろう」

 菜摘未の性格を考えるとあり得るが、ならばもうひと晩待て、と菜摘未に十和瀬は猶予を与えた。戻りにくくなってから行った方が、菜摘未の性分に合ってると意見が一致した。これには千夏さんも香奈子さんも「薄情過ぎるんじゃない」と言いながらも、それ以上は菜摘未の性格を考えると追求しなかった。

 如何する。妹の身になって考えを先ずは整理する。昼休みに十和瀬から昼食時に話し合うことで小谷は営業に戻った。

 ファミリーレストラン。此処は便利な所だ。十和瀬の誘いに応じて選んだ店が、境田がよく立ち寄る店と聞いて十和瀬は納得した。どう納得したかは別にして、一日の余裕を妹に与えたのは、身勝手な彼女のかっとなり易さを十分に計算しての判断だ。

 十和瀬にすれば、菜摘未がこれ程の行動を起こす動機が掴めないが、小谷には思うところがある。その接点となる鍵は、境田がどう菜摘未に働きかけたかだ。あの激情の女がそう簡単に境田の話に乗せられたのか、そこを探り出す糸口を掴まないと展望は開けないし先が見通せない。

 営業車で市内を走り回って郊外に出た辺り、昔で謂えば市電の通ってない境目辺りにあるファミリーレストランが一番入りやすい。昼食を兼ねた休憩を取ればまた直ぐに営業に戻れて、掛け持ちの得意先を効率良く回れる。それだけ早く予定を切り上げられて時間のロスタイムも省ける。

 十和瀬と途中で待ち合わせをして、彼を助手席に乗せて案内した此のファミリーレストランもそんな行動範囲にある店だ。

 十和瀬は初めてらしく、席に着いて紙ナプキンで拭きながら店内を見回した。

「なるほど日曜と平日の夕方はまさしくファミリーがやって来て、平日のこの時間は若者とサラリーマンか、営業車で街中を走り回ってる者にはもってこいの場所だ」

「此の店は境田を捜す時には真っ先に立ち寄る店なんだ」

 十和瀬がディスカウントショップ勤めで外回りの時には、そんな構想は持ち合わせてなかった。

「そうか、じゃあ最近は結構会っているのか」

 妻帯者なら、愛妻弁当か自宅に食べに帰れるが、独身者は似たような得意先回りをすると、こう謂う店でかち合わせをするもんだ。小谷は十和瀬から同じ営業区域を受け持ったがかなり逸脱した行動を取っていた。

「境田と会うようになったのは、菜摘未が気に入った切り子細工のコップを見付けて、それを高級酒の景品付き限定販にして本人の俺でなく、わざわざ境田に頼んで持って来させたのが始まりだ。それから此の店をちょこちょこ覗いて彼と会った」

 十和瀬は首を傾げた。妹は店を盛り立てようなんてそんな考えは、これっぽっちも持ち合わせていない。

「その限定販売は千夏から聞いて知っていたが、それで妹はお前に接近したかったのか?」

「そこなんだが、何で急に半年振りに彼に会って、そんな気を起こしたのかそこが良く解らん」

 十和瀬が香奈子さんを引き合わせて、菜摘未は境田と別れたはずなのに、無意識下では 縁が繋がっていたのか。半年ぶりにやって来た境田を見て急に思い立ったとは思えない。

「急に何かに憑かれたのでなく、ずっとお前に取り憑いていたんだ」

 矢張り一番気にしていた不安が的中した。だが十和瀬は益々厄介になりそうだと頭を捻りだした。しかしあれから全く菜摘未は寄り付かない。

「それは俺でなく境田なんじゃないのか」

「それならどうして俺がお前に香奈子を紹介するはずがないだろう」

 それでも十和瀬は妹のつまずきには確信めいたものを抱いて香奈子に会わせた。

「最近、お前の目はあの酒樽に搾り取られて見失ってる。特に妹どころじゃない」

「それは最近で半年前には確かに妹は舞い上がっていた」

「嘘つけ! そんな素振りはこれっぽっちも俺には見せなかったぞ」

「お前が見付けられなかっただけだ」

「それをお前が見抜いたのか?」

「世話の焼けるやつだ」

 世話が焼けるのは十和瀬だ。その気がなければ観察力も落ちるくせに。

「今まで怖くて聞けなかったが、なぜそうしたんだ。菜摘未の為だとは聞かされたがもっと他に方法はなかったのか、有り難かったが今となっては熟々つくづく考えさせられているんだ」

「あの気性きしょうだ。有るわけないだろう」

「小さい頃は引っ込み思案な子だとばかり思っていたのに……」

「たまに来るお前の眼が節穴だった訳だ」

「いつも遠くの方から見られるだけだ。お釈迦様でも解りっこないだろう」

「偉く大きく出やがって。まあ食事後は珈琲か、此処のは美味いのか?」

「喫茶店じゃないからなあ。味は保証しないが時間は延ばせるぜ」

 頷く十和瀬は、捜索と待機と謂う両立するはずの無いものを頭に描いている。此の男は何か矛盾する。



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