第29話 菜摘未の用件

 小谷はいつものようにディスカウントショップに出社して、開店の準備と商品の売れ行き状況を見て回った。そこへ事務所から小谷さんに、十和瀬酒造から商品企画についての相談に来ている、と告げられて事務所に戻った。

 珍しい向こうから来るなんて一体何の相談だ。商品は例の高級酒だろうか、とすれば量産化のめどが立ったのか。とにかく向こうから来るのは異例だった。大きな建物の奥に、こぢんまりと併設された事務所は、商談向きには作られていない。店員の休憩と、おもに店内の万引き者の取り調べ用で、主な商談は直接本社で遣っていた。そう言う慣例を無視したのか知らないのか、しかし十和瀬酒造に限ってそれはないだろうと事務所に入った。長机と事務机がある一画の端の窓辺に、応接三点セットが一応用意してある。来客はこちらを背にして座っていた。小谷は反対の窓側に廻って驚いた。十和瀬酒造の者でない、しかも此の前会ったばかりの境田が座っていた。何で此の男が居るんだ、といぶかしげに座った。

「よく私がここに居ると分かりましたね」

「菜摘未さんに伺いました」

 ハア? どう言うこっちゃ。驚かれるのも無理も無いと前置きして。菜摘未から依頼された要件を淡々と語った。

「それは十和瀬酒造の意向でなく菜摘未の単なる思いつきですか」

 単なる思いつきでなく、入念に試行錯誤を繰り返した後に、辿り着いた案件だと述べた。立場は違っても、お互いに菜摘未の人となりを知る者同士だ。境田の口上にどこまでが真実か、おそらく云った本人も、歯が浮いたのではないかと思った。まあ商談としてやって来たのなら粗末には扱えない。

「何で十和瀬酒造の者でない境田さんが菜摘未にどう頼まれたのか知りませんがやって来られたのですか?」

 聞かずとも大体の察しが付いたが、ここは形ばかりの質問で、菜摘未の真意を知るのが先決だ。

「どうしても菜摘未さんが、あなたに相談しろと言われました」

「それでどう言うご相談ですか」

 実は、と手元に置いた紙袋から、境田は小さい箱を取り出し、中の切り子細工のぐい呑みを渡した。

「これはこの前の伏見の船着き場で見かけたものですね。中々見事な出来映えで、これは値が張るでしょう」

 矢張りこの前に菜摘未さんが言ったように彼の眼に泊まっていたのだ。だが取り上げなかったのは、菜摘未の指摘通り、お姉さんに気持ちが移っていたんだ。

「これをどうするつもりなんですか」と返した。

 菜摘未さんの指摘では、あの時に呑んでいた酒の景品に、これを限定百本の酒に付けて販売促進キャンペーンをする。その相談に伺った。

「なるほど百本完売した後をどうするかが此の景品の掴み所でしょうね」

 尻すぼみになれば景品代が、そのまま赤字になってしまう。問題はあの酒の旨みと、値ごろ感の釣り合い、此の一点に絞られる。小谷は、酒の販売価格の値下げを要求したが、境田は、仕入価格の値上げを要求した。二人はどうもそこが落とし所と視た。先ずは此の景品の製造コストを小谷は訊ねた。

「それは、これからで、今は仕入れ値を詰めるところですが……」

「それって先方とは菜摘未が請け負うのですか?」

「多分そうでしょう」

「あの人では無理だッ、千夏さんに任せた方が良い」

 どっちにせよ、その切り子細工の値段が決まってから、酒の販売価格を決めたい。とこの日の話は一段落した。そこで小谷は、この件で菜摘未の真意を探るべく、境田を昼食に誘った。

 これには境田も同意処か、話し合う余地が十分あると考えていた。菜摘未が此の話の交渉相手に、なぜ小谷なのか、腑に落ちないようだ。それゆえ仕事から少し離れて、彼女に付いての情報を得たい。境田としては、半年後に会いに行ったのは、菜摘未に会いたい一心だが、見事に門前払いを喰った。あの時に彼女はなぜこのぐい呑みを追っかけてまで渡したか。まさか網を張って待ち受けていた蜘蛛の巣に引っ掛かったのでは、とあの変身ぶりに境田は疑問が湧いた。

 昼には少し早いが、昼食を名目にしてどうしても聞きたいものが二人にはあった。

 伏見周辺は狭い家屋が密集して、ディスカウントショップのような郊外型の大型の総合店舗は竹田街道沿いにあり、その近くのファミリーレストランに二人は入った。境田も日頃はこういう店で食べているようで、頼むのはいつも日替わり定食。いつもは頼まない珈琲をこの日は食後に頼んでいる。此の辺りはお互いに菜摘未に付いて、意見交換を希望したからだ。出て来たのはチキンと野菜のソテー炒めにポテトが添えられた定食だ。さっそく二人は粗食しながら、菜摘未が持ち出した切り子細工に至った動機を語った。  

「菜摘未さんは、どうも突然の思い付きのようで、これをどうこうとは考えてなかった処に私があの店を訪ねたようです」

 予期せぬ私の訪問に、最初は動転して厄介払いに終始した。があっさり帰ると、急に閃いて、これをあの酒には合うと思った。此処までは境田が今日まで考えた菜摘未の行動分析だ。

「おそらく此の切り子細工は、何処かの店で衝動買いしたものでしょう」

 彼女は結構アンテークな飾りや置物に興味を持っていた。

「此の切り子細工もその一環で、多分置物のように眺めていたんでしょう」

「それであなたがあの酒を買った直後に、ほぼ反射的に二階に飛んでいって切り子細工を箱に詰めて直ぐにあなたの後を追っかけた……」

「小谷さんもそう思いますか」

「此の計画はその後に練られて、境田さんは菜摘未に頼まれて私を交渉相手にメールを送った」

 いよいよ彼女の心境に迫る頃に、二人は食後の珈琲をたしなみ始めた。


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