第30話 境田・菜摘未を語る
先ずは子供の頃の菜摘未の負けず嫌いな性格を話した。それは大人になってからは鳴りを潜めている。それを聞いた境田には、思い当たるものがなかった。
「まあ、恋人同士で付き合っていればそんなボロをあの女が出す訳ないだろう」
なるほど厳しく自制しているって謂うのか。それは俺のためじゃないだろうと境田はふと思った。
「子供の頃の菜摘未さんはどうだったんですか」
「矢っ張り子供だ、そんなもん意識する訳ないだろう」
「じゃあいつから自覚して自制したんですか」
「十和瀬が、ああ、菜摘未の下のお兄さんだ」
「それぐらい知ってますよ」
「そうか、その十和瀬が香奈子さんを始めて俺に紹介した。それからだろう」
「それまではどうだったんですか?」
境田は熱の籠もった言葉を寄越して来た。本気で菜摘未に惚れている。
だけと決定的な愛を告白されなければ人は動かない。先ずはその息苦しいまでの環境で、信じてもがき続ける原動力が愛であれば、それはもう不可抗力で防ぎようはない。希望の光を闇に閉ざして全ての意欲をそり落としてなにが残る。希望の光は闇に沈んだ菜摘未の心にいつかは届くのか。もしかして彼女は、此の気怠い世界を求めて、そこへみんなを引きずり込もうとしているのなら、悲惨な未来しか待ち受けていない。
「それまでは向こうが一方的に寄り掛かってきたんだ」
「一方的に向こうから来るなんて……」
到底信じられないと言う顔付きをされた。それほど彼は、菜摘未に当てにされてないのか。
「菜摘未はしょっちゅうデートに誘ってきたんだ」
これは境田には絶対にあり得ない光景だと、ダメ押しされたようなものか。
「それってどうしてそこまで彼女の気持ちを引きつけられるんですか」
恋は心のシーソーだ。出会った時は丁度真ん中で釣り合いが取れて、真ん中で推移している。それが次第に気持ちの持ちようで、どちらかに傾くと、もう一方は浮いて来る。押せば引く、引けば押す。常にそうなればまどろっこしくなり、恋は惚れた方が負けだと謂う。この場合どちらが牽引車になって走り出すかだ。
「そのうちに菜摘未が、その恋の駆け引きに苛立って積極的になり誘って来たんだ」
境田にはウキウキランラン気分で、玄関のドアを叩く菜摘未の姿が想像できない。
「毎日来るんですか」
「仕事もあるからなあ、来られないときはごめんねとメールを寄越してた」
「そんなメールなんて、一度もない。来るのは奢ってと云う催促ばかりだ」
お陰で懐はいつも寂しい。
「虚しいデート生活を送っているんだなあ」
「今は慣らし運転で、まだそこまで気持ちは行ってませんよ」
まさか手も握らされてないのか。まあそれは菜摘未の気性からして有り得ないだろう。なんせ思いついたら、激情の女だけに、相手構わずに感情が表に出る。これも有史以前記録のない御嶽山の噴火のように、いつやってくるか誰も知らない。あの噴火は日曜の昼の昼食時で悲惨な結果だった。
「暇だから付き合ったげる、そんな雰囲気を滲ます時が結構あるんですよ」
「何だそれは」
此の辺りになると菜摘未に関しては、完全に小谷の優位性が際立って、境田は劣勢に立たされている。
「それでもいいんです。一緒に隣を歩いてくればゴールにいつかは辿り着けるでしょう」
それまで心変わりしないで待つなんて、何ともはや気の長い話だ。そもそも大学時代に顔見知った仲だそうだが、おそらく遠くから眺めていて、偶に挨拶ぐらいは交わす程度だ。それが卒業後に急に声を掛けられた。それから始まった交際なら、あばたもえくぼの例えで、菜摘未のどこが、何がいいのか気になる。
「とにかく菜摘未さんと一緒に居ると飽きが来ないんですよ」
これにはハア? と思わず身を乗り出しそうになった。ところ構わずオーバーな動作を伴って語りかけてくる、あの姿には身が引けたのに。此奴はその反対に益々魅力的に感じ取ったのか ?。
「例えばどうなんだ」
車はないのでデートは電車かバスになる。それで良く菜摘未が我慢したのが不思議で余程の金づると思ったか。バス停では人が居るからじっと待つ。郊外の無人駅なんかでは、ホームのベンチに座る僕の前で、彼女は歌舞伎役者みたいに、大上段に大見得を切るシーンをやってくれる。何だそれはと言えば「だって列車が来るまで退屈なんだもん」とケロッとして言い切られた。これには思わず心の中で嗤った。
「でもどうも違うんですね」
「何が?」
彼女の行動の一挙手一投足が。僕に向けられていないじゃないかと感じられる。それほど自分に関心を持たれているとは、今の段階では思えない。
「じゃあ誰か別と人の為に振る舞っていると言うのか? 君の目の前で」
「そうとは言い切れませんが、少なくとも僕の反応を見るためで無いことは確かでしょう」
そう言う現場を思い浮かべてみても、デート中に以前の菜摘未には、そんな列車を待つ余暇時間が在っても、絶対に見慣れない光景だから、小谷は怪訝そうに境田の顔色を窺った。
「それはいつもそうなのか」
「無人駅になる郊外には余り行きませんが、なんせ私の実家が田舎なもので……」
「エッ! 菜摘未が君の実家に行ったのかッ」
信じられん。と喉元まで出掛かったが、境田の名誉のために押し留めた。
「一度だけです。彼女が観てみたいと言われて……」
「それで彼女の印象は?」
「悪くないわねえって、どう言う意味でしょう」
それは俺が訊きたい。一体、菜摘未は何を考えているのか益々混迷を極めた。
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