第31話 菜摘未を語る2

 菜摘未の言った「悪くないわねぇ」これには苦笑した。

 結局、生理的嫌悪感が湧かないだけましだろうと言ってやった。

 それは嫁入り先の環境でなく、素朴な田舎の雰囲気を言ったのだろう。なんせ伏見では酒造会社が林立する此の辺りは、狭い路地に木造の民家が建て込んでいる。狭い範囲で大方の品物が手に入る便利さよりも、遠くの山河が手に取るように見える風景に憧れたのだろう。彼もまだ菜摘未への希望は捨てていないようだ。そう思って訊ねた。

「どんな所なんだ」

 彼の田舎は京都駅から特急に乗り、綾部駅で舞鶴線の普通列車に乗り換える。都合一時間半揺られて、低い山に囲まれた盆地が点在する、丹波山地の山間部にある渕垣ふちがきと謂う駅だ。

「すると例の見世物は丹波のその無人駅で演じられたのか。なんぼ無人駅でも向かいのホームには人が居るだろう」

「それは単線ですから周りはひと気のない田舎で、田んぼと雑木林ばかりです」

「それじゃあ観客は君独りで、彼女の独演会か」

「まあ、そうなりますね」

 菜摘未の奴はどうしたんだ。俺の目の前ではそんなじゃれ事は見せなかったのに……。しかし此の男には、余計に見せたくないはずだが、俺への当て付けなら話は別だが。

「いつも込み入った町中に居て急に開けた周りの風景に気持ちが躍らされたか、なんかの鬱憤晴らしにおどけたんだ。どっちにしても羽目を外したかったんだろう」

「羽目を外したかったなんて、なにからだろう」

 これには差し障るといけないと知らん振りを通した。

「他にはデート中でなんか突飛押しな出来事なんか有ったのかなあ?」

 これには怪訝そうに見つめられた。

 室内ならともかく、たとえ人の居ない野外でも、役者でない者には普通はあり得ない行動だ。

「いや、なんせ小学生の頃から菜摘未を見ていた者としてはあり得ない。全く初めての出来事に境田さんの前では他にもありはしないかと気になって訊ねたまでですよ」

 高校生になるまでは何を考えて居るのか分からない子だった。それを十和瀬に一度訊ねた事がった。

 ーーあれは口数が少なく見えるが、その分かなりのお前の事を鋭く観察している。

 ーー何のために。

 ーー俺たち兄弟とは相容れない人物だと観ているんだろう。

「十和瀬は余りにも抽象的すぎて具体的にはなにも指摘しないから、その頃はぼんやりとしか菜摘未は解らないが、大学生になった頃からいやに積極的に俺の前で振る舞うようになってもそんなおどけた身振りは一度も見せなかったんだ。だから境田さんは特別視されてないのか?」

「特別視? 他に何か菜摘未さんの癖とかあるんですか?」

 彼女は負けん気が強い。それは競技でなく、心、気持ちの問題だ。こうした方が美しく観える。こう囁いた方が人の耳には心地良く伝わる。こう説得すれば人は頷いてくれる。そう言ったものを菜摘未は心得ているんじゃないか、同じ屋根の下に居る十和瀬さえその判断がつきにくい。それは全ての価値判断が受け取る人に依って違うからだ。在る人は心地よくても在る人にはつまらなく見える。恋と謂うのもそんなもんだ。人はそれぞれ変わらない目標、信念がある。その人に関心を持つのなら、その信念を掴めばいい。

「彼女が何を欲しているか、それは無意味な行動にもある。それを見極めれば、自ずと恋は引き寄せられる」

 俺の目の前でおどけて役者の真似事をするのが、特別視って言うのなら、そんな菜摘未さんが目標とする恋ってなんなのだろう。

「菜摘未さんがする癖でない無意味な行動ですか?」

「思い当たる節があるのか?」

「例えば猫です」

 何だそれはと変な顔をした。構わず境田は続けた。

「まあ可愛い」

 と彼女は手招きして捕まえて暴れ出すと、ネコの首筋を掴み「可愛くないわね」と塀の向こうへ投げ捨てた。

「それは大変だッ」

「まあネコは逆さに落としても身軽に元の姿勢に戻して反射的にそのまま足から着地しますから大丈夫です」

 問題は此の行動も、無人駅で魅せた菜摘未さんの悪戯っぽい表情と変わらない。それでは彼女の性格が計り知れない。

「それは俺でも解らん。それより大変なのは、猫でなく菜摘未だ。彼女は今まで猫どころか犬にまで見向きもしなかったんだ」

「エッ! 動物嫌いなんですか?」

「別に動物愛護の精神は在ると思うが好き嫌いと言うより人間以外には安らぎを求めない、つまり構って遣るのが面倒なだけだ。だから毛嫌いしていないだろう」

「そう言われればそんな顔付きにも見えました」

「それにしてもいつも遠巻きにして穏やかに眺めている菜摘未が、そこまでするか。思うに君への見せつけかもしれん」

「何のために?」

 小谷はニヤリと笑うと「あたしに気に入られなくなれば惨めなものよ」と言いたいのかも知れない。

「彼女はどこまでも勝利の美酒に酔い痴れるために行動する。例えばどんなに邪険に扱っても、それが恋だとその人が受け取ってしまえばそれで恋は成立する」

「そんなの嫌ですね」

「難しく考えても恋は恋なんだ。そう思えばそんな相手を選ばないことだが、一度魅了されたら損得も利害も超えて仕舞うからなあ。そんな風に思われた相手は冥利に尽きるか疫病神に付きまとわれるかどっちかを選択するしかない。それが恋なら紅蓮の炎が尽きるまで生死を共にするしかないのだ」

 我が身が燃え尽きるまで続く愛。だけどこれは理想だ。と小谷はポツリと囁いた。

 境田は眼を合わさないように、淡々と語る小谷を眺めた。




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