第52話 菜摘未

 伏見を出てから山間部の国道を二時間走ってもまだ民家は見えない。厳密に言うとそれらしい集落を幾つか通り過ぎたが、年末でも人の気配はない。一時間も鬱蒼たる木立が続くといい加減に民家が恋しくなる。これなら駄菓子屋に毛の生えた店が一軒有ったが、あそこで飲み物を買って置くべきだと悔やまれるぐらい民家に出くわさない。まあ,こんな場所に自動販売機はないだろう。有っても誰がジュースを補充するのだ。そもそも設置した自動販売機の元を取るだけでも採算割れする。第一に自販機を運ぶトラックさえ曲がれるのか心配な急カーブを幾つも通り過ぎた。十和瀬と二人で選んだこの路は地図上では最短コースだが、これでは少し遠回りでも大型のトラックが行き交う国道の方が早く着きそうだ。

 淵垣駅は山陰本線の綾部駅から乗り換えて舞鶴に行く途中にある無人駅だ。電車は深い山を避けて大きく迂回しているが、狭いが林道を通れば最短コースで、地図上では真っ直ぐだった。実際には細かく曲がりくねった道を更に一時間以上走って舞鶴線の沿線になんとか出られた。そこから数キロ先に在る渕垣の無人駅にどうにか辿り着いた。単線だからホームはひとつしかない。しかも人が通らず、辺り一面は雪の中だ。此処で千夏さんが聞いてメモした住所だけが頼りだが、実に簡素な場所でコンビニは全くなく心細くなった。それでも郵便局を見付けてほっとした。勿論直営でなく昔の民営化前の特定郵便局形態だ。職員は三人居た。

 年配の人が郵便局長で若い二人は雇われているんだろう。窓口のこちら側は三畳位で五、六人、詰めれば十人ですし詰め満員になりそうだ。受付の向こう側は倍ほど広かった。幸い客は小谷と十和瀬だけだ。その職員の話では境田の家は兼業農家で春の田植えと秋の稲刈りは、農協よりも此処は当てにされて手伝わされる。勿論、機械は扱わないが、その補助的な仕事が結構あって、その方面に人手が要った。その所為せいか随分と丁寧に教えてもらった。この郵便局も明日から年末の休みに入る。それでも奥が自宅なので宅配は遣っていて話は聞けた。

 何でも数年前には境田の息子が都会から彼女を連れて来た話もしてくれた。

「アレはいつだったけなあ。可愛い女の子を連れて来た」

 実はその子のお兄さんだと紹介すると色々と喋って話が聞けた。

「実はその妹がこっちへ来てないかと思って尋ねたのだが……」

「そりゃあお兄さんとしても心配でしょうね」

 ここまで聴かれて受付窓口の年配の人がこちらへ廻ってくれた。

 此処の職員の対応は実に良かった。それだけこの町では境田の評判は悪くない。家族構成は両親とその祖父と境田の妹の五人家族だ。妹はお父さんと同じく綾部の市役所へ勤めている。境田の生い立ちと人柄についても問題点はない。境田の実家は渕垣駅まで歩いて三十分は掛かる。車で十分弱で簡単な地図まで書いてもらったが、田圃の中にもぽつぽつと民家が建っており、道順通りに走れば直ぐに着けた。流石さすがに田舎だけ有って家の敷地の回りには空き地があり、車はどこにでも駐められた。がせっかく来たが境田と菜摘未は居なかった。しかし二人が一度は一緒に此処へ戻って来たことだけは確認できた。出迎えてくれたのは境田の母親だ。この時間では他に誰も居なかった。

 十和瀬は何故なぜ一日空けたんだ。まあ、菜摘未の気まぐれで深夜営業の店で一晩明かしても二晩はきついだろう。しかし寝るだけと云ってホテルには行かないと思っていただけに意外だ。

「二人はどこに居るんですか?」

「ふた晩は妹の部屋に泊まったけど、今は別々です」

「ハア?」

 ふた晩、菜摘未は境田の実家で、妹と一緒に寝起きしたのか。

「菜摘未さん今朝はもう出掛けました」

 どう言うこっちゃと二人は顔を見合わせた。

 境田は菜摘未を駅まで見送って、もう直ぐ帰って来ると母親に言われた。

 境田は今日まで実家に居て、明日には仕事があるので、今夜の電車で京都のアパートに戻る予定だ。何でも境田は年末一杯まで仕事があって「インフルエンザでなくて軽いただの風邪だと解って一晩熟睡すればもうスッカリ良くなった」と誤魔化して明日から出勤する。

「じゃあ何しに境田は菜摘未を連れて実家に来たんだ」

「さあ、でも二人は前に来たときのように仲良くしていたので、そろそろ一緒になっても良い頃と思って迎えたんですが……」

 その晩、彼女は妹と同じ部屋に寝て、息子はけじめだけはキッチリつけてる。今時の若いもんには見られない傾向だ。それで清々すがすがしさもあって連れて来た女性は気に入られた。

「それは変だなあ」

 感情のままに動く菜摘未はそんな女じゃない。気に入れば抱くし、飽きれば棄てる。それが深く付き合った相手にはもろに伝わり、そうでない相手には淑女しゅくじょに見せる女性だ。その行動パターンに照らせば、境田は微妙な位置にいる。

 話している母親の視線が二人の肩越しに移動した。振り向けば遠くから境田と解る人物がこっちに向かって歩いてる。

 二人は母親の対応に見切りを付けて境田に向かった。

 境田から菜摘未は独りで、北陸の観光ホテルに泊まっていると報された。やれやれ丹波から今度は北陸か。どうしても帰りたくないのか。

「菜摘未のやつ。これは父親に対する一種のクーデター。反乱を起こしたのだ」

 家の者には家出と悟られるのは避けたい。三人はごもっともだと意見が合い、今の菜摘未の様子を境田から聞くことにした。此処ここら辺りは殺風景で、そんな会話の出来る店もなかった。三人は六キロ離れた綾部に戻ることにした。





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