第51話 菜摘未の性分

 やれやれ丹波までか、と車を飛ばした。勿論十和瀬酒造会社のロゴマークの入ったボンネットのないワゴンタイプの車だ。運転席の下がエンジンで車高が高く、その分見晴らしが良かった。余り使われてない車ゆえに、仕事を無視した今回の丹波行きに千夏さんが指定した車だ。

 当然、十和瀬は此の車は使ってない。見晴らしは良いが乗り心地がイマイチなのだ。前輪の上に運転席と助手席があり、タイヤの振動がそのまま身体に伝わる。そんな車で丹波と謂っても日本海側に近い山間部まで、しかも経費節減で山中の一般道を走っていた。運転する小谷は市内を抜けると、此の一般道は殆どがカーブの多い山林ばかりで気が抜けない。だが助手席の十和瀬にすればもうかなりうんざりしている。

「それにしても境田の田舎は全て山の中に埋没しているのか」

 何か島崎藤村の夜明け前を連想する十和瀬の言葉だ。

 菜摘未は二日目の夜も帰って来ない。これで二晩目となれば今までなかった。先ず両親は気が気でない。父も母も身勝手な菜摘未を責めないで、連れ出した相手にさんざん文句を垂れていた。これには十和瀬も盛んに、境田とはかぎらないと弁明に喉をかららした。全くいつも無関心なのに、こんな時に限っておやじは父親ぶり、十和瀬への風当たりも強くなった。

「おやじは俺に余りいい顔はしてない。それでも今回の件が丸く収まればまた元の破顔に戻るからげんきんなもんだ」

 それでよくもまあおやじは、二人の女から疎んじられないで、今日まで来られたのが不思議なもんだ。出来るものならその秘訣を探ってもバチは当たらんと謂うもんだ。こんな考えに浸る十和瀬を小谷は今更ながら嗤った。

「お前は本当に妹を理解しているのか」

 車の揺れにも馴れると、十和瀬の小言が自棄やけに耳にへばりついた。

「それじゃあ小谷はどれだけ解っているんだ」

 それを聞かれると、香奈子さんを紹介してもらうとサッサと手のひらを返したように、菜摘未とは疎遠になった小谷にも負い目はある。しかし十和瀬にも負い目がある。ディスカウントのリカーショップの得意先回りを代わって遣ったのだ。差し引きトントンと謂うところか。

「十和瀬よ」

「何だ急にッ」

 そう高ぶるな。

「前から聞きたいと思っていたが、香奈子さんを紹介した理由わけだが、本当に妹の為にやったのか? それとも……」

「ああ、お前の事が頭に有った。香奈子とは丁度お前と同じ頃に会って、その時は俺より妹が良くあの家に遊びに行ったお陰で俺も偶に行った」

「俺がお前と付き合いだした頃か」

 その頃はまだ子供だった菜摘未も、俺と同じように小谷を見ていても何も思わなかった。社会人になってお前が家に寄り付かなくなって、境田と付き合いだした頃から妹はぴりぴりし始めた。俺は妹と小谷でその時は相当悩まされた。それで三方丸く収まる方法を探った挙げ句、これがベストだと判断したが、今ぐらついている。 

「それが解るか」

 と念を押された。車は伏見を出てから山間部の国道に入って一時間経った。厳密に云うなら何もない、熊でも出そうな山中を三十分経過したが、まだ序盤で此の見通しの悪いカーブが続く樹木の中を走っている。そこで十和瀬は運転する身も考えずに難題を押し付けてきた。しかも長い友情をかんがみて問うている。こんな時に限って薄い友情を前面に出して来る。何だ此奴こいつは、と言いたくなるが、香奈子さんの顔が浮かぶとそれも難しい。

「菜摘未が普通の女ならとっくに三方丸く収まっただろう」

「じゃあ妹は普通じゃあないのか」

「十和瀬、もう少し分かりきった質問をしてくれ」

 そうでなくても古典では、鬼が出て来た此の延々と続く鬱蒼とした丹波山地を、くねくねと曲がりながらも、日本海に向かって延びる一本の国道を俺はずっと走り続けているんだ。

「それじゃあ妹は何なんだ」

「お前が解らんのを俺に訊くな」

「どうして解らん人間を相手にしたんだ」

「解らんから本人に訊こうとしたが、彼女はいつも心を受け入れる体制になってない気儘きままな女なんだ」

 卓球のラリーは常に打ちやすいところに返さないと続かない。菜摘未は常に違う雰囲気で打ち返して戸惑うばかりだ。それでも境田のように一点の価値を見いだしていれば、それもまたひとつの愉しみになるが、俺にはえきれない。十和瀬はそれでも良いだろうなんせ妹だ。いつかは別な世界を築くように運命付けられた相手で、一生生計をともに背負う義務はない。

「そう思うとたとえ相手が狂気まがりでも愛のある境田はたいしたもんだ。だから妹を見付けても頭ごなしに怒鳴りつける権利は、十和瀬、お前にはないと叩き込んでおかないと可怪おかしな成り行きになりかねん」

「小谷、お前には狂気と見えても妹は真面なんだ。ただ表に出ないだけでみんなそんな性分は持っている。口にこそ出さないが俺もお前も似たようなもんだ。ついでに言っておくが香奈子についてもそれは謂える。ドン・マクリーンの『ヴィンセント』を香奈子が採り上げたのがその傾向だ」

 無趣味な十和瀬が、多くの人が共鳴しているものをそんな風に採り上げるな。

「十和瀬、そんなつもりでお前に云って無い」

「あの可怪おかしな画家に共鳴する処がすでにそうなんだ」

「変な理論だ。絵を志す人間は自分の感性に合う画家に共鳴するもんだろう」

 此の小谷に十和瀬はしたり顔をした。 

「その理屈から云えば、誰にも共鳴しない妹が一番真面なんだ」

 俺は妹に会えばその点を強調してやるつもりだ。

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