第36話 千夏に聞く2

 承諾したが気が進まない。なんせ義妹は一癖も二癖もある厄介者だ。此の家に嫁ぐ前から夫になる功治さんから家族構成は聞かされていた。だが嫁いでから別に妹が居ると知らされた。それを告げたのは、夫でなく義理の妹、菜摘未だった。これにはエッ! と驚いて直ぐに「どうして今まで黙っていたのよ」と夫を問い詰めた。灘の酒造組合にも似たような不倫問題もあって、気分を悪くしてもそう驚かなかった。それが嫁ぎ先でも、となると驚いた。更に腹違いの妹が居たのにはもっと驚いた。しかも菜摘未は、その兄弟を親しいお姉さんみたいに呼ぶから「何なの此の家族は」と余計に気が動転した。だが菜摘未さんから香奈子さんを紹介されて、此の人なら菜摘未さんが、あたし同様にお姉さんと親しく呼んでも申し分ないと思った。この様に菜摘未は世間に対する拘りを余り気にしない人だと千夏は感じた。

 その日はいつもより遅く起きて朝食を済ませた義父の為に、店の開店時間に間に合わず、朝食の後片付けを義母に任せて事務所に行った。

 朝食の後片付けする千夏に義母は「夕べは会合で家の人は午前様で今朝も慌てて出て行ってしもた」

「お義父さんも明け方まで大変ですね」

「どうせまっすぐ帰らず祇園辺りで呑んだんやろう」

「でも灘の酒造組み合いの寄り合いでも、会議が終わると親睦を図るのに付き合ってましたから……」

「祇園でもこんな遅うまでやってる店はおまへんやろう」

 と後片付けに負われる千夏に申し訳そうに言って「表の店を開けなあかんさかいに」とキッチンから追い出された。

 先に朝食を済ませた菜摘未は、もう珍しく事務所で作業をしていた。

 千夏は話の切っ掛けを掴むために、時を見計らって「景品付き限定販売の話を小谷さんから聞いた」と持ち出すと、菜摘未は躊躇した。

「まあそこに座って話だけでも伺いたいの」

 と事務所内にある応接セットに二人は向かい合って座った。

「なあにー、お義姉さん畏まって」

 と小谷と聞いて菜摘未は惚けた。いつ席を立つか解らない義妹に、千夏は手短に事業の進捗状態を訊いた。

「それで切り子細工のお猪口ちょこの見積もりはどうなってるの」

 そもそも出しているかどうかも曖昧だ。そこをハッキリさせたかった。 

「まだ出してないの、九州のメーカーやさかいもうちょっと時間が掛かるらしいの」

 やはりそうか。まだ曖昧にしている。

「なんちゅう会社やの?」

「まだ決まってないの。だって幾つかの会社に打診してるさかい」

 此処まではなんの動揺もなく淡々と答えていた。それだけに商品を売り出そうとする気迫が感じられない。

「それでなんで急に思いつかはったん」

「急な思いつきやない。あのコップを見付けたときから思ってたの」

 義姉さんは此の話を小谷から何処まで訊いたんか、菜摘未は気になった。

「それはいつ?」

「ちょっとこの前の新京極のアンティークなお店で見付けたんです」

 よくよく聞くと、だいぶ前だと白状した。それを時々は綺麗やと眺めていた。ところがある日、思いもよらず境田が何を思ったか訪ねてきた。

「でもあの時はえらい剣幕で追い返されはったんでしょう、でもその後、急に二階の自室に駆け上がらはって境田さんの後を追っかけてからどないしたん」

 お義姉さん見てたんや。まあええか。

「いつも眺めていたあの小さいコップが急に頭に浮かぶと、あれを何とかしょうと思って追っかけたんや」

 菜摘未が呼び止めると境田は「まだ言い足らん文句をここまで云いに来たのか」と身構えられたそうだ。せっかく訪ねて来てくれたのにゴメンと、あの箱を渡して、中を確かめてから「これを持って小谷さんと商談して欲しい」と頼んだ。

「何でなの? 何で急に店の営業に関わるの?」

「アカンやろうか?」

「そうやのうて、何で境田さんに頼まはったの? しかもその相手に小谷さんを指名してまで……」

「小谷さんの居る店舗は十和瀬酒造の一番大口の販売先やさかいに」

「何で? 何で急にそんなことするの? 幸弘さんから訊いた菜摘未さんの子供時分は、突拍子もない事ばかりしてはったんでしょう。何でも足のつかない大人の自転車に乗って大怪我したそうやね」

 そうや、あの怪我で、あのあと家の中が大事おおごとになったんや。

          * * *   

 香奈子姉さんは気さくな人やった。自転車で転けた傷は抜糸ばっしして、額の傷は前髪で隠れるようにして早速、新しくできたお姉さんの家に遊びに行った。店に居たおばさんがドアを開けてくれて吃驚びっくりしたが、「十和瀬の家を黙って出て、何しに来たんや!」と危うく門前払いを喰らい掛けたときに、出て来た香奈子さんに二階にあげてもらった。

 ーー菜摘未ちゃんようここが解ったなあ。

 ーーお兄ちゃんに訊いたんや。随分近いと知って来てみたんや。

 ーー何しに。

 ーー男兄弟ばかりでお姉ちゃんが欲しかったさかい。

 まだ十歳に成るかならんかの菜摘未だ。愛人を囲っていた話で、家はひっくり返っていた頃だ。小学生の菜摘未は無断で、もう向こうの家に独りで勝手に出掛けて香奈子に会っていた。しかもこれは内緒やでぇ、と幸弘に口止めまでしていたのにばれてしまった。

 ーーお兄ちゃん、あたしが香奈子姉さんとこへ遊び行った事をばらしたんか。

 ーーアホ。そんなん直ぐに判るやろう。

 ーー何で。

 ーー向こうのおばさんが、あんな小さい子供を寄越してと駆け込んできたんや。

 この話は千夏が嫁いでから、菜摘未には気を抜かんように真っ先に夫の幸弘から訊かされた。

         * * *

「思った通りのことをして何処が悪いんや」

「自分一人で済むんやったらええけど、相手があればもっと慎重に物事を運ばんと色んな人に迷惑が掛かるやろう」

「誰も迷惑してへん、現に境田さんは楽しんだはる」

「それは表向きで、心の中ではどうしてええんか、悩んでいると思う」

 純粋に商談の話なのに、みんな勝手に受け取ってる。と菜摘未に都合良く言い出されると処置なしだ。

 

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