第37話 千夏に聞く3

 どこまでも彼女が音を上げない限り、千夏は微妙な間合いで、トコトン追求するつもりだが、菜摘未はもうあの切り子細工のコップは境田に渡し、他には持ってなかった。だから今は手元になかった。また似たような物なら新京極のアンティークな店に行けば置いてあるかも知れない。それで雑誌やテレビで見た切り子細工のイメージを千夏は想像した。

「それって中途半端な値ではないでしょう。ひょっとしたらうちのお酒より景品の方が高いんじゃないの」

 これには菜摘未も値段を言うのを躊躇った。

「それは今、先方と交渉中で何とも言えないけども」

「本当に交渉しているの」

 何か胡散臭い顔をすると、千夏は菜摘未に問い掛けた。千夏に見詰められた菜摘未はエへヘと照れ笑いを浮かべた。まだ舌を出さないだけましだが適当らしい。と言う事は先方とはまだ詰めた話はしていないようだ。

「それでどこまで話してるん」

「まだ殆どしてないんや」

「ほな、あれは作り話、そんなんで、もし小谷さんが店の人に相談してたらどないすんの、うちの信用はがた落ちになるんとちゃうの」

 このままでは店が成り行かない、が、そこまでして気を惹きたかったのには驚いた。その発想の全てが半年ぶりに見た境田の顔から浮かんだのなら、菜摘未が考える胸の内を知る必要がある。それでも幸弘から訊かされた菜摘未を想像するとウーンと唸りたくなる。

「ねえ、菜摘未さん、菜摘未さんが小谷さん知ったのはお兄さんの幸弘さんが家へ連れて来てからでしょう」

 急に景品の話から急転回させて、千夏は用心深く彼女を覗き込んだ。

 子供時分はみんな酒造りに追われて誰も相手にしてくれない。そんな時、唯一の遊び相手は兄の幸弘だ。今は同じ背丈だが、子供の頃は少し違うだけでも、身長には十センチ以上の差があった。当然、菜摘未には補助輪の付いた自転車を嫌がった。兄の自転車には足が届かないが走り出したらそんなの気にならない。止まるときは大抵横倒しになって兄を呼んで起こしてもらっていた。兄が高校生になった頃には、兄の手を借りずに独りで遊びだした。その頃に兄が家によく連れて来たのが小谷だった。最初は兄以外には余り喋らずに取っ付きにくそうだが、小谷が大学卒業間際になると、やたら妹は小谷と喋りたがった。これが千夏が幸弘から聞いた菜摘未だ。

「菜摘未さんが高校生になると小谷さんは家に来なくなったのね」 

「働き出すと小谷さんとは外で待ち合わせて家には余り来なくなっちゃって」

「それで気になったの」

「兄が小谷さんと会うときは無理矢理連れて行ってもらった」

 幸弘の話だと、菜摘未が大学に行き出してからは、兄を利用して小谷と会っていた。

「のこのこ付いて行くなんて、ようそれでお兄さんをどう納得させたん?」

 兄には貸しがある、と妙なことを言い出した。

「なにそれ?」

 菜摘未は何か勿体ぶって中々言ってくれない。やっと聞き出すと、どうやら希実世さんとのデートを取り持っていたのだ。エッ! とこれには驚いた。

 なんせ兄は口下手で、意識すると中々言い出せないから、最後はあたしが同席して「希実世さんに大事な要件があって来てもらったんでしょう」とこれには希実世さんも、何なのって兄に問い詰められて「もうじれったいプロポーズするって言ったでしょう」とあたしが云うと、希実世さんは大笑いして、実に滑稽な告白劇になったけど、あのままだと一生兄は言い出せないと思った。

「へえ〜、幸弘さんがねー。そんな大舞台で上がって仕舞うの、いつも気兼ねなく喋っている人が、でも好きな人やと意識してダメになるんだ。ふーんそうなん」

 幸弘と小谷さんとは似たり寄ったりで、二人の会話も口数が少ないが、幸弘は意識せんでいい相手とは活発に喋るのに、恋人には丸っきりうわずっている。小谷さんはその反対に、恋人のように相手を意識すればするほど活発に喋る。それは香奈子さんの店で夜に呑んでる時は堅物やけど、香奈子さんと二人きりの時は、別人みたいに面白い話をごちゃ混ぜにして自分の考えを喋っている。幸弘さんと小谷さんは何でそこだけ正反対何やろう。他が似すぎるだけに、けったいな二人やと捉えていた。

「それやったらあたしと小谷さんは正反対やなー」

「エッ、そうなん?」

 この一言で小谷さんは菜摘未ちゃんには、特定の好意を寄せてないとハッキリ解った。

「小谷さんと何回かデートしたん?」

「デートかどうか分からへんけど、誘ったらいつも来てくれた。でも今思ったら義理堅いだけやった気がする」

「なんでそう思うの」

「そやかて、あんまり楽しそうにしてくれそうもないんやもぅ」

「でもあの人は誰とも楽しそうにしゃあらへんやろう」

「最初はそう思うてた。不器用な人やと」

 それがここ半年でそうやないと解った。あの人が香奈子さんと楽しく話しているのをチラっと見て、なんやうちとはあんな風に言わへんから面白ないと思ってる時に、境田がひょっこり来たから余計に気分がそうなった。

「事務所から覗き見してたけど、あれは凄い剣幕やったのに、手は出さんけどそれ以上に言ってる事がきつかった。どうなるかと思ったけど、境田さんの方で店のお酒を買ってやっとあなたがお客さん扱いして収まったけど。あれであの人の方が一枚上手な気がした」

 いつまでもあると思うな親と金やないけれど、燃え上がるうちが花で、そろそろ歳を考えないと、いつまでも恋人気分は続かない、と千夏は手短に言った。けど此の人は治らんやろうと謂う顔で菜摘未を見つめた。



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