第38話 境田の想い

 境田もサラリーマンだが、小谷と同じ営業を担当していると知った。勿論扱っているのは全くの畑違いだ。彼は大学卒業後に計量器製作所へ就職した。勿論第一志望じゃあなかった。卒業前に受けた大手の会社には面接で振り落とされた。手に職を付けたいと謂う意欲がないのだ。その熱意のなさがもろに面接官に伝わった。その結果、最後に適当に受けた今の中小の会社に採用された。

 そんな経歴を持つ彼に、卒業後に菜摘未からお誘いが掛かった。どうせ遊び半分に決まっていると付き合い出したが。

 小谷と同じ営業畑だから少し調べれば得意先ルートが分かる。当然営業車が昼食に立ち寄るのは、大抵は広い駐車場のあるファミリーレストランだ。小谷はそこで計量器製作所のロゴが入った車を見付けてその店に入った。店内を外から見回して境田を見付けて、相席を頼むと彼は快く承諾した。

「此の前も此の店に居ましたね」

 と小谷は彼と同じ日替わり定食を頼んだ。彼の第一声は、良く此処が分かりましたねだ。それにキチッと対応しないと、変に付け回されたと勘違いされては後々面倒に成っても困る。

「千夏さんからうちの商品の促進販売で色々と菜摘未について聞かされて、それで頼まれてあなたを探していたんですよ」

 今日の定食はチキンのソテーだ。それに野菜とコーンが付いていた。彼はコーンを器用にフォークで上手く突いていた。良くあんな小さいコーンの粒をあの大雑把なフォークで突き刺している。

「嘘や、そんなことない」

 急に突き刺したままのフォークを止めて言われた。一瞬小谷は何を言おうとしているのか戸惑って、直ぐに答えられない。それを悟ったのか少し表情を崩した。

「菜摘未さんがそんなことを千夏さんに頼むはずがない」

 俺に言いたいことがあるのなら、直接メールで、有無を言わさず呼び出して来る。そんな回りくどいこと菜摘未さんはしないと断言された。

 これでは話が続けにくい。

「時と場合にも依りますよ」と境田の興味を惹かせた。

「彼女、一体何を千夏さんに伺ったのです?」

 矢張り気になっているんだ。彼は今日の定食をナイフとフォークを使って食べていたが、確か此の前は箸で食べていたのを想い出した。

「いつもどっちで食べてるんです」

 境田を両手に持ったナイフとフォークを見回して、その時の気分次第だと告げられた。その雰囲気が菜摘未に似ていると思った。

「菜摘未もお天気屋さんですが、向こうは山の天気の如く目まぐるしく変わるんですよ。千夏さんが気にしているのもそこです」

 この前、菜摘未があなたに言付けたお酒の景品付き限定販売で、千夏さんが景品のサンプルを観たいから伺った。

「まだ持ってますか」

 あのぐい呑みは気に入って、毎晩あの酒と一緒に呑むともう気分が昇天しそうだ。これには小谷も頷けた。きついアルコール度数の割には喉越しの刺激が少なく、滑らかなのが高級酒の醍醐味だ。酔いの回りも早いから、じっくり堪能して呑める処も境田は気に入った。口コミを広げるのには菜摘未さんの遣り方は悪くない。と感情が抜きにして千夏さんは賛成している。彼はコーンを器用に最後のひと粒を食べると苦笑した。

「菜摘未さんは香奈子さんを羨ましがってるんです」

 エッ? どう言う凝っちゃ。子供時分は急にお姉さんが出来て、嬉しさと珍しさも手伝って付きまとっても、もうええ大人になったらそれはないだろう。それどころか心の中では恋敵のように、メラメラと闘志を燃やしていても不思議でない。

「どう言ってるんですか、香奈子さんを菜摘未は」

 香奈子さんとなると、もう何を喋っているのか訊く順序まで滅茶苦茶になった。その混乱を見て、境田は菜摘未について語った。

 就職戦線に落ちこぼれて大学を出てからは、何の技術も身に付かない営業に愛想を尽かしていた時に、菜摘未さんからメールを貰った。彼はスマホ取り出してその記念すべき着信を今も大事そうに保存していた。これですと見せてくれたが、何処にでもある「今度会わないかしら」と云う普通の着信メールだが、音信不通で想いを寄せた人からの第一報が来れば、これば記念すべき宝になり得るだろう。将来怨念の元になるかは本人次第だが。そう思っているうちに境田は嬉しそうにスマホの着信画面を閉じた。

「大学では眼を会わすことがあっても、短い言葉だけを交わしていた人と肩を並べて初めて歩けるようになった記念のメールです」

 彼はスマホを大事そうに閉まった。小谷は一部始終を見て、頬を緩めた境田の顔を見てふと思った。此の男は菜摘未が渡した切り子細工のコップを見本として受け取ったが、今では菜摘未からのプレゼントとして見つめながら、酒と共に酔いしれる。そんなイメージが今の着信画面を披露した顔と重複した。

「あの切り子細工のガラスコップやけど、千夏さんがどんなもんか知りたがってるけど……」

 とそれでも言ってみたが、手許から離しそうもない。

「無理なら分かりやすく写した写真でええさかい、僕のスマホに送って欲しいんやけど……」

 それで境田の表情が少しは氷解して確信を得た。

「千夏さんは此の話を進めるんですか?」

「菜摘未の魂胆は解ったが、それとは別にあの酒の売り上げ増進に成るのか検討しているそうや」

 そうですか、とまた少し不安げに見詰め返された。だが今度はメールやコップでなく龍馬像の伏見の船着き場で会った香奈子について訊かれた。

「あの時は仲が良さそうだったんですが、進展してますか?」

 ハア? 急に何を言い出すのか此の人は。でも何かに取り憑かれてないか。

 

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