第35話 千夏に聞く
問題の根幹を突くところが千夏さんらしい。それは菜摘未が提案した此の話をどうして境田に託す必要があったのか。先ずそれから考えましょう、と千夏さんは言い出した。
「でもそこへ行き着くまでの菜摘未さんを振り返らないとなにも見えて来ない気がするの」
ウッと胸が詰まりそうな彼女の提案に、我が身を重ね合わせると恐怖が背筋を貫いた。そうだ、人は昨日や今日思い付いたとしても、そこに辿り着く過程、プロセスには計り知れない挫折と克服を繰り返しながら到達する。ひとつとして無駄に見えるかも知れない四十億年の過程で人類が誕生したように。菜摘未にもそれを二十四年に濃縮した過程がある。その中で親の浮気と言う失態で、交流の輪を広げられたのが、幸か不幸が菜摘未の経験値を急上昇させた。その広げた接点に菜摘未が関与していた。
「小谷さんは高校時代から、あの家にはよく遊びに来て菜摘未さんとも小さいときから見知っていたそうね」
いつも十和瀬を呼び出すまでの短い間だけ話し相手になっていた。菜摘未が大学生に成る頃には、少しは冗談交じりに込み入った話もした。小谷が社会人になってからは、十和瀬とは外で待ち合わた。それから菜摘未とは会ってない。
菜摘未が大学を出ると、彼女の方から頻繁に誘われて一緒に出歩くが余り進展しなかった。それに見切りをつけた菜摘未は境田と付き合いだした。しかし千夏さんからは、振り向いて欲しい、寂しさを紛らわしたい、そのために境田さんと付き合ったと言われた。それはさっき酒蔵で聞かされた十和瀬の説明通りだ。矢張り千夏さんも、身近に接しているだけに、見るところはキチッと見ていると感心した。
「じゃあ菜摘未が境田に近付いたのは、俺に対する当て馬ですか」
「もうー、その言い方は良くないわね」
あたし以外の人、特に香奈子さんにはそんな話し方はしないでしょう、とえらく品がなさ過ぎると注意された。それでも言ってることに間違いはないと同調してくれた。
「彼女に言ったのですか」
言っても無駄だと千夏さんは知って、義弟の幸弘さんに報せたら、暫く考えて「これしかないなあ」と言ったきり何の相談もなかった。あとから香奈子さんをあなたに紹介したと知って。もっと他の手立てはなかったのかと、思い巡らせたが、菜摘未さんの性格を考えるとこれしか見当たらない。
「千夏さんでもそう言う結論に達したのですか」
他に何があるの、と逆に尋ねられても答えようもない。十和瀬と言い、千夏さんと言い、小谷も含めてこれ以外に的確な物は探せそうもない。それほど直接言っても聴く相手じゃなかった。こんな遣り方の相手では骨が折れるが、先ずはそこから物事を運ばないと先に進めない。
「もし本当に会社の売り上げを増やそうと考えてるのなら、真面にその方面から考えないとダメでしょう」
「じゃあどうして境田さんに頼むのよ、酒屋の娘が酒を売り込むのなら本人が直接あなたに相談するものでしょう」
此の仕事に関しては、何の関わりもない人に頼む訳がないし、小谷自身も会社には報告していない。
「それご覧なさい。小谷さんも本気で取り上げてないのでしょう」
「それは直接、菜摘未の口から訊かないと本格的に動けないでしょう」
ディスカウントショップで訊いた後に彼と昼食を共にしたが、そこで境田から聞いた仕事の話は、最後には恋の話にすり替わっていた。今頃は報告を兼ねて菜摘未に会っているとすれば、さてそれではどうすればいいのか、それを千夏さんに伺った。
「先ずはその仕事の話を聞いてあげなさい。それから本音を探り出せればいいけれど、菜摘未さんはあなたに言いたくても何も言えないでしょう」
「じゃあどうするんですか」
「ウ〜ン困ったわね、矢っ張りあたしが訊くしかないのかしら」
社長である千夏のご主人か、もしくはお義父さんの会長か、順序としてはそのように取り組むべき案件だが、まだ具体化してない此の段階では彼女しかいなかった。
「さっき会った十和瀬は他人事みたいにあのでかいタンクと睨めっこして当てにならないからなあ」
あの酒なら普及品で景品を付けなくても良いのだが。
「菜摘未が言い出した酒。進物用の詰め合わせに加えればどうかなあー」
「でもお中元まで半年あるわねぇ」
小谷は強引に菜摘未が勧めるなら、代替え案として述べたが、実質は菜摘未の本気度を確かめるためだ。これには千夏も同意した。
「それはあなたから言ってもらうしかないでしょう」
そうねと千夏も納得したが、義妹の本音はもっと根深い所に在ると睨んでいる。これは小谷も気付いているが表立って避けていた。
「問題は香奈子さんね」
エッ! それは何が何でも飛躍しすぎ。
「向こうの気持ちはどうなの?」
「悪くないようです」
「それはあたしでも解ります、が、その先はどうなってるの」
それがハッキリしなければ、義妹は此の商談を推し進めるでしょう。と暗に言っているだけに難しい問題だ。香奈子さんの話だと、妹は子供の頃から計算式に取っ組むのが得意でも、不得意な記述問題に多くの時間を費やしても、直ぐに飽きられたそうだ。同感だ。これは数式で割り切れる問題を解くのを得意としてきた菜摘未が投げかけて来た設問だ。
「もし菜摘未が此の商談にすり替えて人の気持ちをこんな風に持ち出して解決しょうとしているのなら、これは僕の手に負えない、全く関与してない千夏さんしかいないんですが……」
ウ〜ンと一捻りしてから千夏さんは同意してくれた。
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