第12話 香奈子と千夏

 それは希実世さんとの恋で知ったのだろうか。ならば未完の恋なら再生するのかと訊ねた。

 それが本当の恋だと、試練を乗り越えた二人が辿り着けたのがその証しだと、十和瀬は言って退けた。じゃあ希実世さんとはもう一波乱あるのかと尋ねても、ないときっぱり言い切った。なぜだと問えば子供を宿した者に恋の復活はないと寂しそうに話した。遠ざかる彼奴あいつの後ろ姿がそれを物語っていた。

 十和瀬酒造の仕入れ先を訪ねれば、次は此処からそう離れていない卸先のスナックだ。

 此処はいつ来てもおかしな店だ。利き酒なら暖簾を潜って入る店だろう。それが押し開きするガラス戸で、中のカウンターも一段で客と仕切られて、ガスコンロにフライパンしかないからパスタぐらいしか出来ない。あとは冷蔵庫から出来合いのものを出してくる。カウンターの後ろの棚には伏見の酒が豊富に揃っていた。一応在庫を見て品物を入れるが、注文もそこそこに直ぐに二階へ上げて貰う。

 今日の香奈子さんは白生地を前にして、別の素描き友禅に没頭している。それを向かい側で邪魔にならないように小谷は会話を楽しむ。素描きに差し障りのないように、世間話から入りながら、話題を菜摘未に持っていった。

「此の前の話だと菜摘未のサッパリした性格はいいけれど度が過ぎると困ることもあるそうですね」

「そんなこと言ったっけ」

 でも目は笑っている。

「お兄さんを引き戻す時に僕を此処の新しい御用聞きにする話、あれは本当に菜摘未がけしかけたと思ってるんですか」

「ハッキリとは知らないけれど菜摘未さんの性格だとそうではないかと思っただけよ。でもそれって小谷さんにとっては大事なことなの?」

 これには慌てた。

「いや、べ、べつに、さっきも会ったけど十和瀬の奴が本格的に酒造りを始めたいのかあの蔵に最近籠もっているけどどう言う心境の変化だろう」

 そもそもこう言う事態になったのは彼奴あいつの奥さんが菜摘未にけしかけたのだろうか?

「あなたがうちの御用聞きになったわけを知りたいの?」

「どうもこの十和瀬を実家に引き戻す話を最終的にまとめたのは千夏さんでしょう」

「そうなの?」

「聞いてないの、お兄さんの十和瀬から」

「お兄さんお兄さんって言われても……」

「腹違いは聞いているけれど矢っ張り気になるか」

「そう言う訳じゃないけれど知った経緯いきさつがちょっと」

「ちょっと何ですか?」

 あの時は驚いた。あの日は母がお店を休んで、あたしが帰って来ると、大事な話があると待ち構えていた。そこであたしに兄と妹が居るとその時に初めて聴かされた。それでこれからご挨拶に行くって言うから訳を、経緯を聞かせてくれないと行くのは無理って言った。とうとう観念したように、初めてお父さんの存在も聞かされた。それまではなんぼ聞いても、この世に居ない人だと、聞かされていたから驚いた。

 十和瀬の話では菜摘未は薄々感づいていたなら、全く知らなかったのは、香奈子と菜摘未の兄二人だけか。

 それで妹が入院している病院まで母と一緒に、死んだはずのお父さんに会いに行った。

「それから上のお兄さん二人とは疎遠じゃないけれど何か打ち解けにくかったけれど反対に妹の菜摘未さんはもうー、厚かましほど家に遊びに来るから多分小谷さんを十和瀬酒造の出入り業者にしたのは菜摘未さんだとばかりに思っていたけど……」

「それはそうだけれど発端は希実世さんで彼女は菜摘未だと埒が明かないと千夏さんに取り入ってそっからドミノ現象で僕がこうして来てるんですよ」

「千夏さんは此の店には滅多に顔を見せないから気さくな人だとは聞いているけれど、そうなの ?」

「香奈子さんは十和瀬の実家には行かないんですか」

「あそこの古女将の目が黒いうちは敷居を跨がしてもらえないのよ」

 まあー、今時、なんと言う凄い怨念とこれには二人とも笑ってしまった。

「でもそれも今では意地の張り合いでしょう」

「さあどうでしょうあの人の場合は浮気されたのだからそのひと言で片付けられないわよね」

「その娘が菜摘未か。背筋が寒くなるなあー」

「アラッ、どうしてなの?」

「いや、何でもないちょっと十和瀬が大変だと思っただけだ」

「あの姑、小姑かあー、希実世さんがあの家に居たくない理由はその辺かしら? それ以上に千夏さんの方が大変なんじゃないの?」

「あの人は心配入りませんよ十和瀬より上手く丸め込んでますから」

「まあッ人聞きの悪い事を言う人ですね小谷さんは、でもあの人と菜摘未さんは対になっているようね」

 何だそれは初耳だ。

「さっきも聞いたが千夏さんとは余り面識がないのにどうしてそう言い切れるんだ」

「だからかしら希実世さんも同じ事を先ず菜摘未さんに頼んでから千夏さんに頼んだのよ」

「それは中々動いてくれずに痺れを切らしたからでしょう」

「いいえ、あの人も計算づくなのよただ順序だてただけよ」

「ハア?」

 そこまで計算できる人なのか? 益々解らなくなる。

「多分千夏さんもそれで気を良くして纏めたようよ」

 気さくな人だけれど口添えはしても、そんなに影響力を持っているのか。

「千夏さんには良く会ってるんですか?」

「最初に会ったのは功治さんの結婚式」

「エッ! 呼ばれたんですか式に」

「呼ばれなかったけれど披露宴では千夏さんがこっそりと席を設けてくれたの『ここに幸あれ』を歌って上げたわよ」

 それじゃあこっそりじゃあないと二人とも笑ってしまった。

「また随分と古い歌ですね」

「出席者に年配者が多かったから、義姉も私の歌を初めて聞いたけど印象に残ったって云ってたわよ」

 それで千夏さんには気に入られたのか。


 

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