第55話 菜摘未に会う

 昼食を済ませた三人は高速で北陸道を走る。

 予定にない境田は辞退したが菜摘未の話を聞くうちにどうしても彼の同行が必要と感じた。

「今朝、明日から仕事に戻らないとヤバくなります」

 と菜摘未を送ったばかりの境田には、十和瀬から同行を求められても、そう簡単には応じられない。十和瀬は説得したが、境田は見返りを求めた。この男の望みは妹との恋の実現だ。

「それにはお前の努力以外はないだろう」

「その努力以外にも働きかけてくれますか」

 小谷共々同意したが、十和瀬は「最終的にはお前の誠意だ」と念を押した。

 当人のお兄さんと元彼がバックアップしてくれれば、これほど強い後押しに境田は気を良くした。

 十和瀬酒造会社では余り重宝されてないワンボックスカーだ。それでも境田の運命を乗せて北陸道を走る。行き先は金沢の手前の加賀市だ。厳密に言うと加賀の温泉ホテルだ。まったく家出娘が行くところかと呆れるが、そこが菜摘未たる所以ゆえんだ。こんな処は急に思いついて祇園から温泉へ急行した鴈治郎と同じだ。こう言うところは同じ遺伝子だと思う。同じ血が流れていると菜摘未が父を恨むのも納得できる。だが父、鴈治郎と違って菜摘未は社交下手だ。男を引きつけても、そこで躊躇ちゅうちょして小谷に去られた。しかし境田はどこまでも彼女に音を上げないで来てくれた。

 車は舞鶴から若狭を通り過ぎ、福井を抜けて石川に入った。加賀市の出口が見えて高速を降り、一般道を少し走れば直ぐに加賀温泉郷に着いた。そこで境田に今朝予約したホテルに直行した。中々立派なホテルなだけに、宿泊料は持っているのか気になる。ひょっとすれば後で十和瀬酒造が支払うとなると千夏さんに大目玉を食らいそうだ。そんな十和瀬の心配をよそに、そろそろ丁度チェックインの時間だ。この町に予定のない菜摘未は待ちかねたように来るだろう。いや、もうロビーの何処かで待機して居るかも知れない、とホテルの自動ドアーに足を踏み入れ菜摘未を捜した。

 妹はロビーに居た。直ぐに駆け寄る前に確かめる必要があった。十和瀬は境田の思いを確かめて妹に会うと決めた。当然だろう、それでここまで追って来たのだ。手ぶらで帰れない、無駄な高速代まで使って来たんだ。

 逃避行に疲れたのか、菜摘未はロビーのソファーの椅子に座ってうとうとしていた。疲れた身体には此処の温泉は良いだろう、それで来たのか。そっとしてやりたいがそうも行かない、早く帰らないと家の者が少なくともお袋は心配している。

「菜摘未!」

 まず兄の十和瀬が声を掛けた。菜摘未はハッとして顔を起こし、目の前に立っている兄を見て更に小谷と境田に目を遣った。ソファーの椅子はローテーブルを挟んで向かい合って一列に並んでいる。十和瀬と小谷が向かいに座り、境田は菜摘未の隣に座った。

「菜摘未、話は境田さんから聞いたよ」

 境田を見る菜摘未に不満の色はない、話が通じたかとむしろ穏やかに笑っている。その顔に十和瀬はいきなり水を差した。

「いい加減にしろ。何が不満なんだ。酒の味が変わるかも知れない今、内は一番大事な仕込みの時なんだ」

 境田も小谷も話が違うと十和瀬を一瞥したがもう遅い。

「今のままじゃああたしが売り込もうとしたあのおじいちゃんのあの高級酒はいつまで経っても売れ残るわよ。おじいちゃんの酒に匹敵する物が、だからお父さんのあのええ加減な態度では多くは造れないのよッ」

「それで菜摘未はあのおじいちゃん秘伝の酒を限定販売しょうとしたのか」

「いい加減にしてよ。そんなもんじゃないことは一緒に来てくれた境田さんに話したわよ。通じてないの?」

「境田さんに聞いたが、おやじに働きかけても無駄だ。今更どうしょうと言うんだ。長年染みついた縁は向こうに落ち度がない限り絶やせない」

 今更子供じみた話だと十和瀬は突っぱねた。

「そんな昔の話を蒸し返しても埒が明かない、もっと前向きな話をしにきた」

 全然話が通じてないと妹は頭にカッと来たようだ。

「お兄さん、言っときますけれど今更昔の話を蒸し返しても何も成らないことは解ってます。だからこれから先の話をしたいんです、あたしは……」

「だからなんなのだ。おやじに言いたいことがあれば、俺でも社長の兄貴でもその嫁さんの千夏さんでも言えば良いのに黙って家出するなんて……」

「別に家出をしたわけじゃあないわ。ちょっと旅行がしたくなっただけよ」

「無断でか、境田さんと二人っきりで行くなら、ひと言連絡して行けば何もみんな大騒ぎしなかったのに、此処にいつまで居るか知らんが、解っていればみんな何も心配しないだろう」

「本当に心配してくれているのか解ったもんじゃないわよ」

 人の恋路を邪魔するなと妹は言いたいのか。それじゃあどうしてもっと好かれるようにしないのかと問い詰めても。人の愛し方には色々あっても良いでしょう。あたしは本当に想いを寄せる人には面と向かって馴れ馴れしくしないだけ。でも人の心を見る目は誰より確かだ。それが証拠に兄と希実世さんとの仲を取り持ったのはあたしなのよ。と痛い処を突かれた。無言で聴いている小谷にすれば、これじゃあどうして連れて帰れるんだと奥歯を噛み締めた。

「菜摘未、十和瀬への言い分よりお父さんの鴈治郎さんに不満が有るのだろう。それで直るところとそうでないものを整理したらどうだ」

 口を出したいが、少しは関連しているだけに収まるのを待ったが、ひるむ十和瀬にたまり兼ねて小谷は代言だいげんした。

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