第21話 君枝の店

 十和瀬の切実な問題だと思って訪ねた新居は、意外なほどに彼奴あいつの一方的な思い込みが産んだ産物だった。新居への訪問で十和瀬の悩みは、己自身の希実世さんに対するふがいなさにあった。もっと相手の身になって過ごせば自然と好転するのは間違いないだろう。だがそれを言っても改心するような男じゃなかった。希実世さんは受け入れているのに、それに気付かないで疎外感を持った十和瀬に、問題があると分かった。これも高校時代から気付いて実害はないが、一緒に共同生活する夫婦となれば、此のすれ違いをどう受け止めるのかだ。

 新居に招かれてから希実世さんとは懇意にさせてもらい、それから時々は新居に呼ばれるようになった。勿論最初は十和瀬が呼んだが、その内に希実世に催促されて来る事もある。十和瀬にすれば夫婦仲もあの日から円満とは行かずともそこそこ回復基調になった。そのご褒美でもないが十和瀬夫婦が、揃って土曜日の夜に小谷を『利き酒』に誘ってくれた。

 小谷は香奈子目当てに店に行くが、話せるのは初めのうちで、客が混んでくればいつもカウンター席の端で独り呑んでいた。それを見かねて今日は十和瀬夫婦も一緒に付き合ってくれる。もちろん希実世さんの提案に十和瀬が乗った。

 小谷が店に着くと既に希実世さんがカウンター席に座っていた。今日は希実世さんが一人だから店の者は珍しいと思ったようだ。十和瀬が後で来ると解り取り敢えずは君枝さんが、此の前出した飾り棚のショーケースから、四合瓶の高級酒を出してくれた。

「それって勝手に出していいの?」

 前回は鴈治郎の指図で出した酒だ。

「あたしがこれっと見込んだ人には勝手に出してもええんよ」

 コップに注がれた頼みもせんお酒に「何ですかそのお酒は」と希実世さんが言うと小谷がすかさず「口当たりが良くてスーッと喉を通りますから飲み応えありますよ」と勧めた。君枝さんも、気に入れば実家の店で販売して、他の方にも宣伝してもらうように頼むと、また飾り棚のショーケースに閉まった。

 言われて希実世さんはひと口呑んで、コップをカウンターにゆっくり置いた。

「試飲してみてどうですか?」

「小谷さん、こんな強い酒呑まはったんですか?」

「ええ、十和瀬酒造の会長から呑ませてもらいました」

「エッ! あのお義父さんが」

 希実世さんの驚きは尋常ではない。

如何どうしたんですか」

「だってそうでしょう。いつもと言ってもたまにしか会いませんがあのお義父さんは何か気むずかしそうなんですもの」

「それは鴈治郎さんの素面しらふの時だけですよ」

 実家には何か縁起ものでもあった時に、主人と一緒に挨拶に顔を見せる程度で、酒でほろ酔い気分に成っているのは結婚披露宴の時だけだそうだ。

「それじゃあ無理もないですね」

 そこで仕込みのもろみが活発化して、温度管理に追われて遅くなると、十和瀬がメールを寄越した。香奈子さんの話だと今は大変な時期らしい。でも兄の幸弘余り関係なく殆どが、杜氏の大西さんがやっているはずだと首を傾げていた。

「復職してきっとあの人張り切っているのよ」

 そう言われれば、先日はもろみの仕込みタンクの前で、データ管理について考え込んでいた。

 土曜の夜は早めにテーブル席も賑わって、君枝と香奈子は「ごめんなさいね」とカウンター席とテーブル席を行き来し始めた。こうなると希実世さんと二人は、カウンターに取り残された。これ幸いにと、此の前は十和瀬が居て聞き漏らした、菜摘未に関するひみつを小谷は訊ねた。

「そうねー、あの時は主人が居たから言いそびれたけれど……」

 希実世さんは菜摘未の執念深さには呆れている。しかし十和瀬が香奈子を紹介するとアッサリと引き下がっている。しかしこれも二人が仲を深めると、菜摘未はどう動くか解ったもんじゃないと注意を喚起した。

「今の菜摘未にはそんな風には見えないがなあ」

「そうねー、今は遠目に見ていられるのも若さから来ているのね」

「若いって言ったって五つも違わない」

「年頃の人にはその差は大きいわよ」

 それに菜摘未ちゃんは小さいときから勝ち気な処があって、親がやることにはことごとく気に障っていた。歳の近い姉の香奈子さんの存在を知ってから、よく遊びに行ったのも親への反感が募った結果だ。あの腹違いの姉妹には、お互いに相反する共通のものが芽生えたとしても、その心の持ちようは全く正反対に作用している。こうして二人を身近で見比べると益々その傾向を強く感じる。

「それは希実世さんは僕らから距離を空けて見てられるからそう取れるんでしょう」

「そんなことないわよ」

 希実世の反論に、そうねと香奈子さんも同調した。 

 香奈子さんも中学生時代は此の店の二階で菜摘未ちゃんの勉強を手伝っていた。社会や国語、理科より、主に算数の問題ばかり付き合わされた。そんな計算問題なんて将来余り役に立たないと云っても、これが出来なければ恥を掻くが、記述式には決まった答えが割と少ないからそっちは適当に遣っていた。

「そうか、まさか人の感情まで計算ずくめなのかしら?」

「そんな処って余り見受けないけどなあー」

「要するに猫かぶりなのよ」

 香奈子さんはお客さんの注文が途切れると、二人の前にやって来ては話を途切れ途切れに聞いている割には、話の内容を良く捉えていた。

「そうだろうか」

「でも最近はもう少しましだと想うけれど」

 希実世さんより長く身近に接してきた香奈子さんは思慮深いようだ。

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