第20話 十和瀬の新居2

 十和瀬は煙草を灰皿の上で揉み消して希実世に催促した。此の家では肝心な事を訊く時は煙草を消すのが仕来りらしい。

「それで妹は俺の事をなんて言って貶したんだ」

 十和瀬に対しては厳しい表情を取っていた希実世も、これで少しは穏やかになった。 

「他人が聞いたら吃驚びっくりするけれど、小さいときから一つ屋根の下で暮らした兄弟なら彼女には大したことではないわよね」

 とはばかりながら菜摘未は小谷について喋った。次兄が家に連れて来た小谷について子供心に全然兄とは違う雰囲気に最初は見とれた。その内にぶっきら棒な兄と違って愛想良く接してくれて温かみを感じた。それは毎日顔を合わすお兄さんと、偶にしか家に遊びに来ない人との違い以上のものを感じた。それは大学生になっても菜摘未は変わらなかった。それは如何どうかしているって問い詰めても、おそらく此の部分は菜摘未には説明できなかったのだろう。急に思いも寄らぬ気持ちを訊かれて狼狽うろたえたが、そこは表面上は毅然として答えていた。これには十和瀬も小谷ばかりで、自分への関心度の低さにがっかりした。 

「それで小谷さんは菜摘未ちゃんとはどうなの?」

 小谷にすれば、最初は畏まって可愛げの無い子供やと思った、がそのうちに慣れると悪戯いたずらばかりされた。これはそれだけ構って欲しいんやと悟ると一緒になっても遊んだ。菜摘未が中学生になると照れくさく成ったのか、そんな馬鹿な事はやってられんとそっぽを向かれてしまった。距離を置くようになって嫌われたらしいと思ったら、気恥ずかしくなったようだ。それが大学生になると堂々とそばに寄って来て、近くの店や喫茶店で食べたり話し込んだりするようになった。それと同時進行で大学時代の男と深く付き合いだした。それで俺はもてあそばれていると想った頃に、十和瀬が香奈子を引き合わせてくれた。

「そのことで菜摘未ちゃんは、人の気持ちも知らないで兄貴はいらんことをするって文句たらたら言ってくるのよ」

「何が人の恋路だ! それは違うぞ、妹があの時に付き合っている相手に対して誠意が見られなかったからだ」

「確かめもしないでそれはないわよ」

「確かめなくても普段妹のやってる事を見れば分かる」

 妹の何処どこを見ているのか、そうは言っても妹が振った彼氏の相談を、妻が知ってるのに全く知らないで居る十和瀬が言ってもピンと来ない。

「菜摘未ちゃんは、あの披露宴の時もそうだけれど色々と小谷さんの事を言って来るのよ」

「何て言って来るんですか」

「それはひ、み、つ、彼女と言わない約束しているから」

 それじゃあさっきから何の進展も見られない。それでも振った男には全く未練もなくよくもまあ、しゃあしゃあと聞かされた時は気になった。菜摘未の場合は「愛は惜しみなく奪うタイプらしいから付き合うのなら性根を入れんと」と言われた。香奈子しか眼中にない小谷には、それはそのまま菜摘未に返したい。

「処で新しいマンションは見晴らしが良いそうですね」

「それが階段の上がり下がりが大変なのよ」

 と希実世は待っていたように、十和瀬を皮肉って愚痴っぽく言われた。

「前のアパートに比べれば過ごしやすいだろう」

 と前の住居より環境も良く、広くて住み心地の良さは比べものにならないそうだ。全ては俺のお陰だと十和瀬はしきりに自慢した。しかし実際に動いてくれたのは千夏さんだ。それは希実世さんも知っているが、無理に口には出さなかった。

「いつもこんな感じで十和瀬とは話してるんですか?」

「今日は珍しく今だけ、多分小谷さんがリードしたからかしら、いつも此の人あんまり喋らないのよ、デート中はあんなにはしゃいでくれたのにスッカリ騙された」

「人聞きが悪すぎる」

「別に希実世さんでなくても俺と居る時も余計なことは喋らないですよ」

「男どうしのお喋りはみっともないけれど……、所帯を持ってる相手とはそうはいかないでしょう」

「でもね毎日顔を見ていれば喋るネタも尽きるでしょう」

「そんなもんじゃあないでしょう。テレビや新聞からでも話題は何でも出来るのに……」

「そう言えばこの部屋にはテレビは置いてないんですか」

「向こうのキッチンルームにはあるけれど此処は、ただ、寛ぐ場所なんですって」

「十和瀬、お前仕事がないときは毎日此処でどうしてるんだ」

「俺は小さいときから周りには親兄弟以外に酒の仕込みをする大勢の人の中で育った反動なんだろう、こうしてのリンビリと寛げるのが唯一の楽しみなんだ」

「お前はそれでいいだろうが、昼間ずっと一人でいる希実世さんにすればやっと帰って来て家に入るなり瞑想されたらたまらんだろう」

「瞑想なんて、そんないいもんじゃないけれど帰って来ればその日あった事ぐらい話されてもバチは当たらないけれど」

「そう言う宗教じみた話はスカンのだ」

「やっと日の当たる会話に成ってきたのは小谷さんのお陰がしら、でも癪に障ることを並べないと会話にならないなんて寂しすぎると思いませんか?」

「まあ恋愛時代はいかにして相手の気を引ける洒落た文句で話を繋げるかに掛かって来ますから、今の十和瀬はやっとそんな境地から抜け出してホッと一息吐いている時期だからそのうちに気の利いた文句を言い出すようになるでしょう」

「そうかしらこのままだと棺桶まで無言で入ってしまいそう」

 まだ人生これからなのに、そんな先のない事を考えれば、人生そのものが暗くなる。そうさせたくないのが希実世さんの切実なる願いらしい。

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