第43話 境田の真意

 小谷はもう探さなくても境田とは、連絡すれば会う段取りは付けられた。今度は仕事が終わってゆっくりと酒でも呑みながらと、四条木屋町に有る居酒屋風の店で待ち合わせた。もうすっかり陽は落ちた夜の七時には、灯りが各店から溢れて暗い歩道を照らし出していた。前回の境田は営業中でスーツだったが、今日は普段着にダウンジャケットを羽織っていた。場所は四条木屋町を上がった四階建ての細長いビルの三階にある個室だ。個室と言っても障子の引き戸になった三畳ほどの部屋だ。座卓に四人、詰めると六人の部屋で、二人が向き合って座った。おしぼりを持ってきた女の子にビールとつまみを頼んだ。部屋から女の子が出ると境田が堰を切って喋ってきた。

「あれから菜摘未さんと会いました」

「あの限定販売のお酒で?」

「それもありますが小谷さんの件で」

「俺のことで」

「そうです」

「で、何て言ってたんだ」

「未練や、って言うんですよ」

 未練、たった一言。これを境田は散々考えて、小谷さんの何が未練なのか。そこでさっきの女の子がつまみと瓶ビールとコップをふたつ持ってきた。さっそく注ぐと軽くコップを合わせて一口飲んだ。続きを話す境田を止めて、スマホ取り出して、ユーチューブから曲を選曲して彼にイヤホンで聴かせた。

「これ聴いたことあります。ドン・マクリーンの曲ですね」

 間違いないが、突然過ぎた。

「エッ! どこで、何で聴いたの?」

「さっき言った菜摘未さんと会った時に、ポータブルのCDプレイヤーで」

「それって、何で菜摘未が知ってるの、此の曲を」

「香奈子さんからもらったんです」

「いつ?」

「ついこの前」

 ちょっと早過ぎる。よくよく聞くと、香奈子さんは美術館でのデートのあと、直ぐに菜摘未に会ったそうだ。

 エッ! これはまた日が浅すぎる。

 あの日は日曜で店は休みだ。それで夕食を二人で食べて河原町で別れた。彼女が家に帰るとどうやら菜摘未が店で待っていたのか。

「それじゃあ菜摘未は休業のスナックで遅くまで香奈子さんと話していたのか」

「下の店でなく二階ですけど」

 まあ、そうだろう一階の店に灯りが点いていれば、知らない客は営業していると間違って来るかもしれない。

「菜摘未さんは二階でこのドン・マクリーンの曲を聴かされたんです」

 香奈子さんの部屋には色々な美術雑誌も有った。その時にゴッホの絵も菜摘未は見せられてないだろうか。

「ゴッホの話は全くなかって、此の曲だけ聞かされたけど何ですか? そのゴッホの絵が菜摘未さんとどんな関係があるんですか?」

 香奈子さんは菜摘未に対してどんなゴッホの話をしたのか、少なくてもゴッホのあの烈しさを小谷に語ったままではまずい。菜摘未はいいように着色するはずだ。

 境田がドン・マクリーンを聞き終わると、小谷は感想を聞いた。

 彼は井上陽水のイメージを浮かべた。昔の陽水のアルバムを買い集めて、アナログのレコードプレイヤーで休日には自宅で聴いているそうだ。だいたい同年代のシンガーソングライターだから似通った処もある。あの頃は日本のフォークソングの歌手達は、ボブディランに追髄して境田の指摘も頷ける。

 彼とは曲も詩も似ていないが思想の根底には何かに共鳴する物があったのか? 境田の想定外な言動に言われてみれば真っ向から否定しづらい。どちらも二世代前の人間だけに二人の共通点は僅かに残る古いビデオで探るしかない。取り出したスマホのユーチューブから二人を見比べた。二人ともギターを抱えてスタンドマイクに語りかけるように歌っていた。そこだけ見れば雰囲気は似ていた。なるほどこれを見る限りは一概には否定しづらかった。境田はスマホよりもっと大きい画面で、多くの映像から雰囲気の相違点を掴んでいるのだろうか。

「僕はもっと多くの映像を見ましたよ」

 そうか、境田はもっと多くの映像から、此の二人の雰囲気の相違点を掴んだのか。

 だから思い切って先日の香奈子さんとのデートで、彼女は菜摘未についてこの曲を選曲した理由も境田には話した。

「それで共通点が分かりましたか?」

 聞き終わった境田にただした。

「二人とも烈しい感情を秘めてますね」

「まあそれは、ここまで認められるにはそれ相当の並外れた感情の起伏を歌に出来たからだろう」

 歌を作る過程において、心の底から湧き上がる理不尽な仕打ちと不条理とを、並外れた精神で対峙しなければ、世間に訴える歌は作れないだろう。そして大事なのは、それが世間に対してまとを得えていることだ。

「ただ、違うのはドン・マクリーンが歌うゴッホの星月夜で、あの天空の夜に渦巻く多くの星達に共鳴している処でしょう、か」

 終わりが断定的なのは、境田自身の心の迷いを感じ取った。その迷いが何なのか試す必要がある。

「香奈子さんが菜摘未に聴かせたドン・マクリーンと今、僕が境田さんに聴かせたドン・マクリーンには『ヴィンセント』と謂う曲の説明を香奈子さんは菜摘未には簡素化した。おそらくゴッホの経歴だけに留めた。けれど僕はさっきあなたに云ったとおり、香奈子さんからゴッホのイメージの全てを聴かされた」

「それはどう違うんですか?」

「香奈子さんは菜摘未にこう謂う人も居るんですよと話したが、境田さんにはぼくを通じて『彼女には絵心はないが似通っている』と伝えたかったそうです。要は境田さんがそんな菜摘未に愛想を尽かさないように刷り込んでいるんですよ」

 その覚悟があるかどうかを香奈子は試している。

「何が起ころうとその心配は要りませんよ」

 境田の強い決意が瞳からみなぎっていた。


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