第27話 菜摘未の呼出

 龍馬通り商店街は、この船着き場からは百メートルも離れていないが、寺田屋旅館に近くて静かで、当時の風情が残り、石畳の情緒在る商店街だ。四条河原町の繁華街にはない個性が溢れる若者の賑わう通りだ。

 境田は店で会った剣呑な菜摘未より、後から追いついて無表情ながら、ぐい呑みを渡してくれた菜摘未に期待した。いつもは賑わうが、矢張り十二月半ばになると、人通りは少なく落ち付いてくる。龍馬通り商店街を闊歩する連中は、買う物を決めないで此の雰囲気に合わせて歩く。そうあくせくしない歩く若者の中にあっては、境田の軽い足取りも通りに溶け込んでいた。ただしトレンチコートだけは場違いのようだ。仕方がない、どんな態度に出るか解らない、いや、どうせ門前払いだ。だが、急展開に此の服装が今は少し困惑した。

 いつもの喫茶店に着くと、さっきのように躊躇ちゅうちょすることなく、ドアを押し開けた。細長い通路を挟んで、両側に並ぶテーブル席を奥まで見渡したが彼女がいない。また気持ちが急転直下しかけた処に、脇の席から名前を呼ばれた。斜め下のテーブルに彼女は座っていたのだ。

「もうー、どこ見てるのッ、気が付かないなんて」

 と言われるままに前の席に着いた。

「さっきはあの龍馬像の所に居たでしょう」

「見てたのか」

 まあね、と気乗りしない返事をされた。

「君にあんなお姉さんが居るなんて知らなかった」 

「あー、香奈子姉さんね」

「でも君と余り似てないなあ」

「異母兄弟ですから」

 これにはハア? とおかしな顔をした。

「香奈子さんのお母さんは此の近くでスナックをやっているのよ」

「じゃあ彼女も店に出てるのか」

「そうね、出ないときもある」

「出ないときは何をやってるの」

「お姉さんは手描き友禅が主でスナックはお母さんのお手伝いていどだから」

 此処までの菜摘未の話しぶりは半年前までは考えられなかった。これならもっと早く来ればと思ったが、矢張り無理だろう。それほど菜摘未の調子の良し悪しが掴めないのだ。厳密には今日もそうだ。

 今日の彼女は阿修羅から弥勒菩薩に。此の変化は、世間一般のごく普通の人が行う基準値を遥かに超えて、読み取るのは至難の業だ。即ち予測不可能な彼女の動きにどう対応するかに掛かってくる。

 菜摘未の負けず嫌いは、子供の頃はその対象範囲は狭いが、年相応にその対象範囲が、家族から身内になり今や恋人にまで及んでいる。今はそのとばっちりを境田独りが受け止めていた。

「なぜ急にメールしてまで呼んだか解る?」

 菜摘未は境田が席に着くなり、注文を取り次ぐ前に、真っ先に訊ねた。呼び出した本人の気持ちが解らないのに尋ねる。それはこちらが聞くのが筋だろう。答えられるはずのない質問に戸惑う彼に、楽しげな眼差しを浴びせた。

「どうなの」

「出会った頃の菜摘未さんなら解ったけれど、今日の菜摘未さんは、いや、半年前から何も解らなくなっているんだけれど……」

 それを敢えて今、聞かれても、三年近い二人の恋をどう想うよりも、今の君を判断するのは難しかった。

「敢えて言えば、久し振りに会ってそんな質問をする意味が解らない」

 どんな理由にせよ半年前に別れた菜摘未が、元彼を呼び出した理由を聞くとすれば、それは彼女が会いたいからだ。世間一般では聞かずとも解る答えだが。朝はけんもほろろに追い返された後に、呼び出した理由を聞くか。と誰もが想うと境田もその一人で返事に苦慮した。

「本当の恋って、その時々の相手の雰囲気で気持ちがシーソーのように傾くのが普通でしょう」

 普通じゃない ! と完全否定したいが、反響が怖くて言い出せない。

「まあそれは恋が成就するまでの仮定ではよくあるが、お互いに信頼で結ばれればそれは嫉妬に成るんじゃないの?」

「じゃあ数分おきに相手の気持ちが沈むと嫉妬だと想うの」

 それは二人以外に思いを寄せる人が居る場合で、二人だけの場合は入り込む余地はないはずだ。と今更ながら、嫉妬の意味を深く掘り下げて、菜摘未に言って聞かせた。案の定彼女はむかついたのか怒り出した。

「どうしてそんな子供扱いするのよ!」

 仕舞った。彼女の気分転換の口実に乗せられて、しまった。菜摘未と付き合っていた頃は、このような口車に乗せられると、気分転換まで暫く女王様扱いをしなければならなかった。時にはそんな優越した気分を味わう為に、敢えて意地悪な質問をさも真面目そうに切り出してくる。今日もまた始まったかと、彼は下部しもべのように従順に指摘した。当然馬鹿にしないでよと怒り出す。

「まあいいわ久し振りに会ったのにつまらない事で時間を潰したくないでしょう」

 珍しく向こうが折れたのも、半年ぶりの再会の効能なら期待もしたい。

「それで後からわざわざ追っかけてまで渡してくれたあの小さな箱はあの酒に付いていたの?」

「そんな訳ないでしょ、普通おまけが付くのはキャンペーン中のお酒だけよ」

「じゃあ、あれば何なの?」

「そんなもの聞かなくてもいつものあなたなら解りそうなものなのに、それってあたしに対する当て付け」

 当て付けも何もありゃしない。ただ君の気持ちを確かめたかっただけだ。素直じゃないのはあの頃と変わらないが。

「あの切り子細工の入ったぐい呑みは、あの酒の味わいがまして来るからてっきりそう思った。全くいいセンスをしていると感心させられたのに……」

「そうなの」 

 とやっと菜摘未は表情をほころばせた。注文した珈琲が冷めた頃に、やっとあの頃の彼女が戻って来た。

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