第2話 十和瀬と云う男
階段を降りた二人は改札を抜けて更に地下のホームまで降りた。
四条京阪駅には全ての電車は停まるが、十和瀬幸弘の実家がある造り酒屋の伏見桃山駅は普通と準急しか停まらない。その電車が行ったばかりだと、急ぐ時は次に来る特急か急行に乗り、電車が追い付く丹波橋駅で、先行した列車が待期していて、それに乗り換える。此の時は気が乗らないのか、十和瀬が次の電車を待った。矢張り、菜摘未の用件は大したものではないようだ。ならどうして電話で同行を求めた時に断らなかったのか、考えられるのは、どうしても実家に行く用事があったのだろう。じゃあ菜摘未は小谷でなく兄から頼めばと詮索したくなる。それを敢えてしないのは、兄の性格を見越して小谷に電話したのだろう。地下部分を走る列車同様に先の見えない兄妹だと今更ながら小谷は隣に座った十和瀬を眺めた。
京阪電車は七条駅を過ぎてからその姿を地上に現すと、同時に眩しいほどの光が突然車内に流れ込む。此の光になれた頃には、密集した家の軒下近くまで建て込んだ寂れた裏側を、舐めながら準急列車は通り過ぎていく。
昼間の準急は空いていた。長いベンチ式のシートに座った二人は顔を合わせることもなく、流れ込む光にホッと落ち着いた気持ちなった。二人はどちらからともなく閉ざされた闇の空間から解き放たれたように喋り始めた。
「妹は俺に用があったんだ」
と聞かされた小谷は、横ならびのシートから顔だけ無理に向けた。その顔を十和瀬は制止した。
「言いたいことは解っている。何でそれなら直接呼ばなかったのか、だろう」
二年前の十和瀬の結婚に関して家では揉めた。新妻の
そんなこんなでここ暫くは、実家には仕事以外では余り顔を出さなくなった。妻にも仕事だと言って帰りを遅くして、休日は仕事と称して小谷のアパートで
「俺は仕事では良く行くが無駄話はしないんだ、注文が済めば直ぐ帰るから俺が仕事以外であの家に行くのはもう半年以上は経っているからだろう」
「お前の家だ! どうしてそう遠くはないのにゆっくりしないんだ」
「結婚して別に所帯を持ってからは妻の希実世の方に気持ちが遠のいていたからなあ」
嘘吐け! と思った。
「それだけか、じゃあ俺の部屋に最近は頻繁に来るようになったのはどう何だ」
十和瀬が最近になって頻繁に来るようになったのは妻との不仲しかなかったが、どう言う状態かは聞いていない。
「俺の生まれた家だッ、それにちゃんと顔は見せてるから困ることはないだろう」
「ならどうして仕事以外で実家に行かないんだ。そろばんなしでは話せない事情があるのか」
「ない!」
「じゃあ菜摘未が急に俺を呼び出して来たのはどう言うことなんだ」
「あれから中々俺を誘い出す名目に事欠いていた。そこで妹は香奈子を計算に入れて先ずお前に電話したのだろう。だから妹の電話はお前には福の神だ。そう思っての気遣いだと思え」
菜摘未にそこまで見透かれているのは、矢張り十年以上も二人を傍で見続けていたからなのだろう。
「お前との付き合いは正確には十三年だろう」
「なんだ急に」
「菜摘未とお前とは三つ違いなんだろう」
「お前の云う正確さに合わすと三つ半だ」
俺もお前も二十八になったばかりだが、妹は半年前に二十四になっていた。
「それがどうしたんだ?」
「上手いこと菜摘未に二人とも呼び出されたっちゅう事だ」
それでも十和瀬は暢気に構えて、菜摘未の用件に至っては気にしていない。この辺が彼奴の欠点だ。特にデリケートな女心を十和瀬幸弘は気付かないのが余計に相手を苛立たせる。これが積もり積もって十和瀬幸弘が二年前に築いた家庭は今崩壊の危機に瀕していた。小谷は予想していたとはいえ、彼奴の妹や妻に対する無神経な性格は、本当の愛を語る言葉を持たない
「妹は直接香奈子に云えない物があるから、どうしてもお前に聞いても貰いたいらしい。どうせ半年もうやむやだったのだから大したことじゃないと思う」
どうやら菜摘未が、その辺を確かめたくて小谷を呼んだ。ついでにわざわざ小谷から兄へ来るように頼んだのが、一番真面な推理だ。
「十和瀬、お前、菜摘未が俺を呼んだ本当の理由を知ってるのじゃないのか」
肝心の十和瀬はこの件に関しては沈黙処か、急に話題を小谷が気にする香奈子さんに切り替えて、妹処か妻の事まで此処では話さないようだ。
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