第24話 香奈子に聞く

 十和瀬酒造から仕入れた商品を、積んだままの営業車を店に置いて、いつものように徒歩で香奈子の店に向かった。京阪電車伏見桃山駅前の大手筋通りから、二筋目の通りを下がる途中に在る、君枝の店はまだ閉まっていた。小谷が注文を聞きに来る時間は大体決まっていた。店の前の電飾看板は昼行灯ひるあんどんで夕方にならないといているのか解らない。昼間は観光客が相手だからこれで十分なようだ。看板前のドアにはまだカーテンが掛かっていたが鍵は掛かってない。それで喫茶の営業前だと判る。ドアを開けると君枝はカウンターの向こうで煙草を吹かしていた。いつものことだが朝の挨拶もそこそこに、彼女の視線を横切るように小谷は二階へ上がった。

 香奈子が座る仕事場の右側には、顔料を調合した白い鉄鉢が所狭しと並んでいた。前に掛かっている反物は、地味に染められた生地にゴム糸目された枠内を、塗り絵のように彩色していた。

「今日は塗り絵ですか」

 と揶揄やゆすれば少し脹れっ面をされた。良く見ると枠内の枝も葉も花も一色でなく他の色と見事にグラデーションするように滲ませていた。そこが単純な塗り絵とは違う素描き友禅らしさが出ていた。香奈子は一区切りついたのか、水だけ入った鉄鉢に筆先を洗って、布で拭き取った。休憩するときは、こうして拭き取っておかないと、乾くと筆先が硬くなり、ほぐさないと元のように直ぐに使えないのだ。

「お店には寄られたんでしょう」

 順序として此処は車が置けなくて十和瀬酒造に置いて来る。

「ちょっと早めに寄ったら菜摘未とかち合わせた」

「あら !、そうッ、最近はあの子は来ないけどどうしてるのかしら」

 今日の菜摘未の態度と、これはリンクするものがあるのだろうか、と想って躊躇ためらいながらも「とうとう菜摘未の別れた彼と店で出くわしたんだ」と言ってしまった。エッ!何しに来たのッ、と驚かれた。

「いつもの気紛れだと思って、もうそろそろほとぼりが冷めた頃だと勘違いしたらしい」

 菜摘未には此の勘違いで、思いも寄らぬ行動を取らされて困惑をきたす事もあった。確率は半々だから熱意がまだ残っていればおそらく境田と謂う男も、その気まぐれに期待してやって来たのだ。菜摘未にそれほどの価値を見出せない者だけが、彼女の気まぐれから逃れられる。

「あの子はお父さんに似てるのかなあ」

「そんなことはないでしょう鴈治郎さんはうちの母と向こうのお母さんと同じように愛したが、それに比べて菜摘未ちゃんはそんな器用な人ではないでしょう」

「それだけ一人の人を真剣に愛せるのか?」

「それも当てはまらない、取り敢えず来たバスに乗って目的地が代われば乗り換えればいいって考えるタイプだと想うけれど」

 子供の時から答えが出る算数には熱心に取り組むが、幾通りにもある物には深く取り組まない。でも思い込むととことん追求するアンバランスな処があの頃はあった。それが彼女が人を想う気持ち、即ち恋愛には躊躇ちゅうちょなく現れている。今回もその一環じゃないかと考えていた。しかし菜摘未が境田を振った本当の原因には香奈子は気付いていない。単に菜摘未の気持ちが萎えただけなんだろうと理解している。

「香奈子さんは菜摘未の心変わりの原因を知っているの?」

 と試しに以前に聞いたことがあった。返ってきた答えは、人を好きになるのも嫌いになるのもその人の自由で、それをどうして理由づけするのか解らないと言われた。ああ、此の人はまだ人を真剣に好きになったことがない人なんだ。それだけに此の人も後戻りしょうとはしない。つまり恋に目覚めたら突っ走る。

「香奈子さんは小学生の頃から菜摘未を知ってるでしょう」

「でもそれは小谷さんもそうでしょう、お義兄さんから聞いたけれど」

「十和瀬が言ったんですか」

「意外とあの人は色んな事を教えてくれるのよ」

「いつから」

「多分菜摘未ちゃんからあたしのことを色々と訊いているうちに関心を持ったみたい」

「だけど俺は十和瀬とは十三年の付き合いだが彼奴あいつが香奈子さんを紹介したのは半年前だ、それまでもう一人妹がいるなんてどうして黙ってたんだろう」

「言いにくかったんじゃないかしら」

「大学生になってもか、いっぱしの大人がそんなもん気にするか」

 他人の話ならいいが、身内のしかも両親の浮気話を、子供時分は気が引けて言えない。大学生ともなれば気の合う者なら、親近感を伴って耳に入れても何の違和感もない。問題は腹違いの妹の存在を、十和瀬は躊躇ちゅうちょしたのだろう。それを突然に菜摘未の為という理由づけで告白した彼の真意が未だに掴めなかった。

「お父さんの浮気話は菜摘未の怪我で突然知ったのだろう。その時は十和瀬はどうして俺に今まで黙っていたのだろう。別に言っても同情こそしても彼奴あいつの人格に差し障るはずもない」

「貴方の人柄は義兄も十分心得ているからこの件で云っても言わなくても友人として何らかの影響がなければ掻き回されたくないのよ」

 そっとしておいて欲しい、それが義兄の心境だと彼女は理解している。

「だとすれば十和瀬はあなたを妹の為に利用したその根拠が境田を哀れむ気持ちから出ているのなら滑稽過ぎる」

 直接妹に意見すればいいものを、遠回しに動かなくても良いものを、小谷に言わせれば十和瀬は滑稽な演出家だ。

「それは全て菜摘未ちゃんの性格から義兄が取った処置でしょう」

 希実世さんには、そんな過激な行動に出られないのに、自分が煩わしくなければ十和瀬は勝手に独走する処があった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る