第24話 香奈子に聞く
十和瀬酒造から仕入れた商品を積んだままの営業車を店に置いて、いつものように徒歩で香奈子の店に向かった。京阪電車伏見桃山駅前の大手筋通りから、二筋目の通りを下がる途中に在る君枝の店はまだ閉まっていた。小谷が注文を聞きに来る時間は大体決まっていた。店の前の電飾看板は
香奈子が座る仕事場の右側には、顔料を調合した白い鉄鉢が所狭しと並んでいた。前に掛かっている反物は、地味に染められた生地にゴム糸目された枠内を、塗り絵のように彩色していた。
「今日は塗り絵ですか」
と
香奈子は一区切りついたのか、水だけ入った鉄鉢に筆先を洗って、布で拭き取った。休憩するときは、こうして拭き取っておかないと、乾くと筆先が硬くなり、ほぐさないと元のように直ぐに使えないのだ。
「お店には寄られたんでしょう」
順序として此処は車が置けなくて十和瀬酒造に置いて来る。
「ちょっと早めに寄ったら菜摘未とかち合わせた」
「あら !、そうッ、最近はあの子は来ないけどどうしてるのかしら」
今日の菜摘未の態度と、これはリンクするものがあるのだろうか、と想って
「いつもの気紛れだと思って、もうそろそろほとぼりが冷めた頃だと勘違いしたらしい」
菜摘未は此の勘違いで、思いも寄らぬ行動を取らされて困惑をきたす事もある。確率は半々だから熱意がまだ残っていればおそらく境田と謂う男も、その気まぐれに期待してやって来たのだ。菜摘未にそれほどの価値を見出せない者だけが、彼女の気まぐれから逃れられる。
「あの子はお父さんに似てるのかなあ」
「そんなことはないでしょう。鴈治郎さんはうちの母と向こうのお母さんと同じように愛したが、それに比べて菜摘未ちゃんはそんな器用な人ではないでしょう」
「それだけ一人の人を真剣に愛せるのか?」
「それも当てはまらない、取り敢えず来たバスに乗って目的地が代われば乗り換えればいいって考えるタイプだと想うけれど」
子供の時から答えが出る算数には熱心に取り組むが、幾通りにもある物には深く取り組まない。でも思い込むととことん追求するアンバランスな処があの頃はあった。それが彼女が人を想う気持ち、即ち恋愛には
「香奈子さんは菜摘未の心変わりの原因を知っているの?」
と試しに聞いたことがあった。返ってきた答えは、人を好きになるのも嫌いになるのもその人の自由で、それをどうして理由づけするのか解らないと言われた。ああ、此の人はまだ人を真剣に好きになったことがない人なんだ。それだけに此の人も後戻りしょうとはしない。つまり恋に目覚めたら突っ走るんだ。
「香奈子さんは小学生の頃から菜摘未を知ってるんでしょう」
「でもそれは小谷さんもそうでしょう、お兄さんから聞いたけれど」
「十和瀬が言ったんですか」
「意外とあの人は色んな事を教えてくれるのよ」
「いつから」
「多分菜摘未ちゃんからあたしのことを色々と訊いているうちに関心を持ったみたい」
「だけど俺は十和瀬とは十三年の付き合いだが
「言いにくかったんじゃないかしら」
「大学生になってもか、いっぱしの大人がそんなもん気にするか」
他人の話ならいいが、身内のしかも両親の浮気話を、子供時分は気が引けて言えない。大学生ともなれば気の合う者なら、親近感を伴って耳に入れても何の違和感もない。問題は腹違いの妹の存在を、十和瀬は
「お父さんの浮気話は菜摘未の怪我で突然知ったのだ。その時は十和瀬はどうして俺に今まで黙っていたのだろう。別に言っても同情こそしても
「貴方の人柄は兄も十分心得ているから、この件で云っても言わなくても友人として何らかの影響がなければ掻き回されたくないのよ」
そっとしておいて欲しい、それが兄の心境だと彼女は理解している。
「だとすれば十和瀬はあなたを妹の為に利用した根拠が、境田を哀れむ気持ちから出ているのなら滑稽過ぎる」
そんな遠回ししないで直接妹に意見すればいいものを、と小谷に言わせれば十和瀬は滑稽な演出家だ。
「それは全て菜摘未ちゃんの性格から兄が取った処置でしょう」
希実世さんは、そんな過激な行動に出ないのに、自分が煩わしくなければ十和瀬は勝手に独走する処があった。
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