第7話 香奈子の場合
十和瀬兄妹は、お互いの主張を言い合っていては結論が出ないと、小谷を呼び出したようだ。そんな十和瀬兄妹と別れた小谷は香奈子の店に寄った。店のガラス戸には相変わらずカーテンが引かれていたが、隙間から覗くと君枝はカウンターの向こう側に座り、煙草を吹かしていた。ドアの人影に気付いた君枝は、カーテンの隙から小谷を確認すると直ぐに彼を二階へ招いた。
靴を脱いで二階上がると、香奈子は先ほどと同じ付け下げ着物に柄を描いていた。どうやら上前の仕上げに掛かっていた。大きな大輪の花に胡粉を小さい刷毛に付けて花の輪郭に沿って塗り込んでいた。花の中心部に向かって、薄紫から中心部になるほど濃い紫に描かれていた。下地には黒で引き染めされているから白い花弁の大輪の花は見事に着物の上前に咲き誇っている。
「その柄だと一日に二反出来ますか」
「夕方まで詰めてやれば出来るけれど、下のお店を手伝えば無理かなあ」
「じゃあどっちが実入りが良いんです」
「それは断然こっちよ」
「じゃあお店はバイトの子を雇ったらどうですか」
「でも夜まで詰めて描くとちょっと荒れるの、それで下のお手伝いは気分転換になるし、それに此の前みたいに忙しい時だけでしょう。それより今日は十和瀬さんに呼ばれて何かいい話あったの?」
「何かって?」
最近は来ないのに、急に来た理由を知ってるのか、とわざとらしく聞き返した。
「小谷さんって用事がなければ来ないでしょう。だからなんとなく聞いてみたの」
これにはぐらっと来たが、本当は毎日でも来たいのだが、ストーカーみたいに変に勘ぐられたくない。せっかくコツコツと気持ちを引き寄せる工夫しているのに、それを一挙に悪くすれば、もう伏見には足を踏み込めなくなるのが怖いのだ。実に未知の人への恋心を掴むのに、四苦八苦する見苦しい処は、彼女に悟られないようにしたい。
「余り詳しくないから聞こうと思って来たけど?」
「あのディスカントショップでしょう。お店広げたいけれどお酒だけではあれだけ広い駐車場があるのに勿体ないって会社から云われた話は聞いてる。でも幸弘さんは酒造会社の息子さんだから、お酒以外の商品知識が乏しいから思案しているようね」
「そうか、それで俺にお株が廻って来たのか」
「あらッ、小谷さんが次からうちの御用聞きをするの?」
「まだ決まってないけれど」
「嘘でしょう。もう決まってると云う顔してるわよ、菜摘未さんに
「いや、なんとなく言われただけだ」
頼んだのは十和瀬幸弘だが、そうするように話を持って行ったのは菜摘未だ。
「そう謂う話は菜摘未から来るんですか ?」
「そうね、まあ一応は姉妹だけれど、中学生になってから急に知った妹だから、何か他人みたいにずけずけと突っ込んで来る物言いなのよね、あの人は」
「遣りにくいちゅう事ですか」
「いえそうでなくて、あたしの場合はネチネチやられるのは好きじゃない、だからあのさっぱりした気性は気にならないけれど限度があるわね」
「エッ、ネチネチしているのは嫌いですか」
「相手が女の場合はね、それとも何か他に気になるんですか?」
「いやいや別に、とんでもない」
と慌てて否定したが冷や汗もんだった。
彼女は実に口と手先が交互に器用に動いている。それは彼が想うほどそんなに気にしていないようだ。そう言えば菜摘未は変わり身の早い女だ。香奈子が云うように、いつまでも尾を引かないが、その代わりまたとんでもない事を考える。だから菜摘未は尾を引かないのでなく新手を繰り出してくる。
元々は菜摘未が男を振った原因は、十和瀬が小谷に香奈子を会わせた事から始まっていた。
あれは十和瀬にも責任があった。適当に男ごころを
着物を粋に着こなしているスナックのママが、八人掛けのカウンターの前で、四人のお客さんに愛想良く話し相手になっていた。小さいがテーブル席もあったが、半分空いているカウンター席の一番端に座ると、奥から若い女性が顔を見せた。スナックなら普通はスカートと上着のスーツ姿だが、彼女はジーンズに胸の辺りに、外国のロックバンドが印刷されたティシャツを着ていた。髪は肩から胸の辺りまであって、前屈みになると軽く手を添えて
此処で十和瀬は小谷をあの店に連れて行き香奈子を紹介した。此の十和瀬の
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