第16話 鴈治郎の来店2

 香奈子の話だと今日は結構賑わって、八席あるカウンター席は埋まって、テーブル席の客も埋まってる。君枝の計らいで殆どのお客が、十和瀬酒造の銘柄の酒を呑んでいる。店を開けた頃は疎らな客で、君枝も煙草を吸っていたが、それが次第にくわえ煙草になった。すかさず香奈子が「お母さんみっともないわ」と煙草を取り上げて灰皿に揉み消した。

「君枝、今日は多いなあ」

 と鴈治郎は君枝のくわえ煙草を久し振り見てひとこと言い添えた。 

「初めて呑みに来られた小谷さんは福の神かしら」

「いやいや香奈子さんの着物姿ですよ」

 此処で小谷は初めて見た香奈子の着物姿を、更に印象づけようと再度アピールした。

「ほうー、そうだなあ物珍しいんだろう」

 しかし鴈治郎がすかさず香奈子を茶化してしまった為に、小谷のアピールも水泡に帰してしまった。

「お父さん、もうー、何て謂う言い草なの」

 この時間になると着物姿の母と娘は、カウンター内に居る時間より、テーブル席を掛け持ちしている。どちらかと謂うと若い香奈子さんの方が出ずっぱりで、カウンター内に居るのは君枝の方が多かった。

「君枝さん、此処はスナックよりも居酒屋にすればそんなにテーブル席に出向くこともないでしょう」

「そうだなあ君枝、娘も結婚すればお前一人なら居酒屋の方がそんなに頻繁にテーブル席に行くこともなく客あしらいも減るから楽だぞう」

「でもねえ、あたしはお客さんに出せるような料理なんかやったことがないからね」

 店を持たせてもらうまでは、夕方早くにアパートを出て行って、深夜過ぎに帰って来る生活で、殆どが店屋物かレトルト食品で間に合わせている。弁当を作ったのは娘の遠足ぐらいだろうか。此の店を持った丁度その頃に娘が中学生になって給食がなくなった。それで少しは余裕が出来てた時に弁当持参になり、簡単で手間暇が掛からない適当な味付けの料理ばかりをやっと作れた。そんな状態だからとてもお客さんには出せない。

「うちの店では酒以外の物も扱い出してね、それでどうでしょうコンビニなんかでやってるおでん、あれは何も出来ない学生バイトでもこなせますからどうてすか一式此の店に置いてやってみませんか」

「オッ、それはいい、確かにあれはこれからの冬場には持って来いで出汁だしも簡単で日本酒にも合うぞ」

 鴈治郎はかなり乗り気だが、君枝に言わすと客が来ない日でも温め続けないといけないから気が抜けない。今の遣り方は客の顔を見てから直ぐに出せるから気が楽なようだ。鴈治郎も長いホステス暮らしの君枝に、居酒屋は似合いそうもないが、一応は小谷の提案に乗ってみたのが本音のようだ。

 テーブル席が賑わったのは一時間ほどだ。伏見近辺の客ならもう少し居るが、これから電車で花見小路でも繰り出すのだろう。長年祇園界隈の店に居た君枝にも、そんな風に郊外から来る二次会のお客さんを、相手にして判っているようだ。カウンター席も半分になっていた。観光客を相手にするのなら、夕方までは喫茶店にしたいが、それではテーブル席が少な過ぎた。

「どうだろうねぇ、喫茶店にするには狭すぎるし、同じ一時間粘られるのなら珈琲よりもお酒の方が実入りも良いし……」

 矢張り昼間より夜の方が客は多かったが、伏見近辺で仕事を終えてから一杯呑んで、電車で帰る客が殆どだ。

「昼間はどうしてるんだ。煙草ばかり吸っていてもしゃないやろう」

 隣では小谷が香奈子に店の状態を聞いている。店は家賃は要らないし十和瀬酒造の酒は伝票だけで支払いはない。売れれば売れるだけ十和瀬酒造の宣伝になるからだ。

「なら心配することはないのか」

「そうねー」

「じゃあどうだろう、簡単な料理なら出来るから夜は俺をバイトで雇わないか」

 ハアーと香奈子は母を見ながら困惑気味だ。そりゃあそうだ実質は母親がやってる店だ。彼女に訊いてもしゃあないが、好感度を試しただけだ。ご好意だけは受け取られたが、君枝は今のところ人手は要らないと丁重に断られた。最悪、母一人でも十分切り盛り出来るからだ。

「とにかくおでんのセットだけでも置いておけば、具材はうちの店で配達するがどうだろう」

「いやにおでんに拘るなあ」

 と鴈治郎も小谷の積極的な提案に対して小耳に挟んで来る。木屋町や縄手ならともかく、メニューに少しは腹の足しになる物もあれば、夕食がてらに店にやって来られる。このままでは客単価が上がりそうもない。それを何とかしたいと勧めたが、鴈治郎も君枝も此の店は十和瀬酒造の商品を知ってもらうためのショウルーム的存在らしい。商品が広く知れ渡ればそれでいい。あとは君枝の気分次第で、夕食がてらの客などは当てにしていなかった。

 小谷にすれば十和瀬から引き継ぎを任された以上は、彼奴あいつより真っ当な仕事をしている、と此の店の関係者に見てもらえれば良い。その甲斐あって鴈治郎には、そこそこ仕事熱心な処を見てもらい、良い印象を持って帰った。鴈治郎が帰ると君枝はカウンター席に居る常連客の相手をしていた。小谷はようやく香奈子とカウンターを挟んでのんびり出来た。

「良かったわね、お父さんに出入り禁止なんて言われなくて」

 香奈子はねぎらうように声を掛けてくれた。

「そんなに厳しい人には見えなかったが……」

「お父さんは女性には甘くても男性には余りいい顔はしないのに、今日は愛想が良かったから上々の出だしよ」

 そう言われると鴈治郎さんが、いつもより今日は愛想が良かったのは、香奈子さんの着物姿の影響なら、益々彼女が魅力的な人に見えて来た。



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