黒猫と最凶の蠱毒 4
翌日。朝から裕昌はやけに機嫌がよかった。鼻歌を歌いながら朝ごはんを用意している。
「なんだお前。やけに上機嫌だな」
「いやなんかさあ、後輩っていう存在が出来るのってうれしいなあって。今日の研修めちゃくちゃ楽しみなんだけど」
「人見知りはどこ行ったんだよ」
「だって萬屋さんとは仲良くなれそうだし、それはそれ、これはこれ」
裕昌は昨日の深夜辺りからずっとこのような感じだ。まともに人間関係を築いてこなかった学生時代。その反動が今降りかかっているらしい。
余談だが、裕昌が連絡を取っている友人はほとんどいない。唯一連絡を取っている相手はいるが、その相手は多忙のため会うことがない。 あとは顔も知らないネットの中での友人が何人か。
「そうだ裕昌。今日から夜はちょっと出かける。あの壺の対処法を調べに出る」
「蠱毒の壺の対処法?黒音でも知らないことあるんだ」
「当たり前だろ。蠱毒が流行ったのは平安時代くらいだ。あたしの生きた江戸の頃は衰退してるよ」
ふーん、と裕昌は相槌を打つ。
「何かあったらここの奴らに託けしておけ。そうだな……、妖刀、は出てこないし……鼬らはあたしが連れていくし、侍はなんか頼ったらいけないオーラ出てるし……一つ目の奴にでも言っておくといい」
「わかった。はい、ご飯」
猫缶とかりかりを混ぜたものが、黒音の前に置かれる。「いただきまーす」とあいさつをすると、もぐもぐと食べ始める。裕昌は老夫婦と自分の朝ごはんを食卓に並べると、席に付き、手を合わせた。今日の朝ごはんは、みそ汁と白米と漬物と焼き鮭だ。老夫婦はまだおりてきていないようだったが、起きてはいるようだ。
「調べに行くって言っても、どこに行くんだ?」
「知り合いに毒とか薬とかに詳しいやつらがいる。あとはまあ、期待は薄いが図書館とか、どっかの由緒正しそうな家にお邪魔させてもらうとか」
「ふ、不法侵入も甚だしい……」
裕昌は顔を引き攣らせる。人間ならば犯罪として逮捕されるところだが、妖はそんなものお構いなしだ。
「ひろくん。おはよう」
「ばあちゃん、おはよう。ご飯できてるよ。品出しがあるから俺は先に食べちゃったけど」
「いつもありがとうねえ、おじいさんにも伝えておくわね」
じいさーん、ご飯が出来てますよー。と声が響く。その光景が平和で幸福な時間であることを実感し、裕昌からは自然に笑みがこぼれていた。
夕方。そろそろ菜海がやってくるころだ。裕昌は何処かそわそわと落ち着かない様子を見せながら、店番をしていた。果たして研修をうまく進められるだろうか。仕事をちゃんと教えることができるだろうか。そんな心配が直前になって湧き出てきたのだ。
その様子に黒音から、朝のうきうきなお前は何処にいったんだ。と突っ込まれた。
「こんにちは。お疲れ様です」
店の入り口のほうから声が聞こえた。裕昌が入り口のほうを見ると、トートバッグを持ち、リュックサックを担いだ菜海がいた。
「いらっしゃい。あれ?猫は?」
「あ、ここに」
そういうと菜海がくるりと背を向けた。リュックサックだと思われていたものは、キャリーバッグだった。キャリーバッグに付いた透明なドームからジト目の白猫が顔をのぞかせた。
「え、そのキャリーケース可愛い……」
ちらり、と商品棚の上の猫用ベッドで丸くなっている黒音のほうを見る。今はまだ黒音を連れてどこかへ外出することはないが、のちのち実家から帰って来いと言われたときに必要になりそうだ。
「じゃあ、空き部屋があるからそこなら大丈夫かな。一応小型のキャットタワーも置いてるし。行くぞ黒音」
「へーい」
黒音が返事をする。裕昌は黒音を抱きかかえ、空き部屋へ案内した
「ここは好きに使っていいよ」
「ありがとうございます。よかったね、不知火」
菜海はキャリーバッグを下ろし、猫、不知火を出した。
「し、しらぬい?」
「不知火っていえば、海に浮かぶ怪火の名前だっけか。……個性的なネーミングセンスだな」
裕昌と黒音がきょとんとする。菜海は笑顔で裕昌を見上げる。
「ゲームにそういう名前のキャラクターがいたもので、そこからつけさせてもらいました」
なるほど。ゲームか。裕昌は少しうれしそうな顔をした。後でおすすめのゲームを聞いてみよう。
一方で不知火はさっさとキャリーバッグを出て、菜海が持ってきたベッドで早くも丸くなっていた。黒音はその様子を見て図太いやつだな、と心の中でつぶやいた。
「じゃあ不知火、行ってきます」
「黒音もよろしく。仲良くな」
「わかってるよ」
黒音は手を振る代わりに、尻尾をゆらゆらと揺らした。ぱたん、と扉が閉まる。黒音はキャットタワーの上から不知火を見下ろした。
『こいつ、雄か……』
不知火と黒音を空き部屋に置いてきた二人は、さっそく研修を始めるところだった。
「まずは、品出しかな。基本的に仕入れはうちのばあちゃんとじいちゃんがやってて、俺がレジと品出しと、あとネット系管理をやってるって感じ」
ふむふむと菜海は熱心に頷いて聞いている。
「あとは……最初はレジの補助やってもらおうかな。商品の梱包とか。まあ梱包って言ってもほとんどは袋に詰めるだけなんだけど、割れ物とかは特に注意してね。そうそう、たまにネットからの注文が入るときもあるから、その時は伝票と梱包の作業をしてもらうかも」
裕昌は店の中と裏方を案内しながら、説明を進めていく。一通り回り終わると、レジに戻ってきた。
「あと、あっちの資料館……みたいなところは行かないほうがいいかも。霊的なものを感じて不安になった時は一回俺に行ってもらえると何がいるかは教えることが出来ると思う……うん……」
「はい。ありがとうございます」
「ちなみに、今は何かない?大丈夫?」
「隣になんかいる気がします」
裕昌は菜海の隣を見た。新人に興味津々な一つ目、妖鼬、武士の霊が眺めている。その目は好奇心できらきらと輝いている。
「えーっと……害のないやつらが興味深そうに眺めてるだけだから大丈夫」
五十鈴屋の妖たちが害をなさなければの話だが。黒音曰く、自分がみっちり言い聞かせているから大丈夫、とのことだが、いつもの一つ目、鼬、侍の霊以外はいまいち信用しきれないでいる。言い聞かせているというより、圧制していると言った方が正しいか。あの妖怪たちがいつまで黒音の圧に耐えることができるのだろう。もしかすると不満が爆発して蜂起とか起きるのではないだろうか。裕昌の脳裏には、庶民が蜂起して大名のところへ押しかける、というイメージに五十鈴屋の妖と黒音を当てはめた。だが、黒音の場合なら容赦なく脇差で一掃しかねないなと、裕昌は思うのであった。
閑話休題。
「仲良くしたいんだってさ」
「妖怪って優しい人たちもいるんですね」
菜海がほっとしたように肩を下ろすと、微笑を浮かべた。
「五十鈴屋の妖の皆さん、仲良くしてくださいね」
菜海のその言葉に、周りの妖たちはなにやら嬉しそうに頷く。
『可愛い子を連れてきたなあ。よくやった裕昌』
『この子の言うことなら何でも聞くぜ』
『裕昌殿は我々に構ってくれませんからね』
「こら、俺には聞こえてるからな」
遠回しに裕昌の妖たちへの対応が冷たいことを指摘され、裕昌の目が据わる。
わー怖い。と妖たちはたいして怖がりもせず、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
自由奔放な妖たちが去り、裕昌はため息をついた。
「ごめん。じゃあ、仕事始めようか」
黙々と仕事をこなす二人。数人来客があったが、そこまで忙しくはない。菜海は何とも思っていないようだったが、裕昌はここにきて沈黙の気まずさに耐えることが出来なくなっていた。
『まずい。何話そう』
典型的な人見知り発動である。人と会話するのが苦手な裕昌の中で、好きな食べ物を聞くことは会話デッキの切り札と決めている。あまり話は広がらずに終わるわけだが。
菜海は、自分は後輩だからと先輩に気を遣ってくれているのでは。そう思わずにはいられない。ここは先輩である自分が何とか雰囲気をよくしないと。
その時、ふと不知火のことを思い出した。
「そういえば萬屋さん、不知火はいつからいるの?」
「えーっと……多分、私が三歳くらいの時に拾ってきた子です」
* * *
曰く、幼い菜海は、母親と共に公園を散歩していた。
「おはながいっぱいさいてるね!」
「菜海、走ったら転んじゃうわよ」
色とりどりの花が咲く生垣に沿いながら、菜海は色彩豊かな世界に目を輝かせていた。ふと、綺麗な世界に違和感を覚えるほど、ボロボロになった箱に目が留まった。好奇心の塊である年齢だった菜海は、何のためらいもなく箱の中身を除いた。
「わあ……!」
心地よさそうに眠っている大きな白猫。
「おかーさーん!みて!ねこちゃん!」
「え?」
母親が不思議そうな顔をして近づいて来る。少なくとも今いる位置からは白猫が見えない。
「あら、ほんとだわ。捨て猫かしら……」
白猫は起きたのか、じっと二人を見つめてくる。
「ねこちゃんかっちゃだめ?」
「そうねえ……。菜海、ちゃんとお世話できる?」
「うん!」
菜海が勢いよく頷く。母親は苦笑して、飼育の許可を出した。もしかしたら迷い猫かもしれないため、母親は一応保護団体に連絡を入れてみる。
菜海は嬉しそうに目を輝かせ、白猫、後の不知火をむぎゅっと抱き上げた。
「しらぬいってなまえにする!」
父親がしている育成ゲームに登場するキャラクターの名前が、印象的だった。幼い菜海はその名前がどんなものなのか知らず、無邪気な思いのまま命名する。
されるがままの白猫は、どこか小さな子供に疲労困憊しているような、そんな表情をしていた。
* * *
「じゃあ、20歳超えてるのか……長生きだな……」
猫の平均寿命は約15年ほどと言われている。現代の医療が発達して20歳近く、もしくはそれ20歳を超える猫も数は少ないが増加傾向にあるだろう。
「すごーく長生きで、おじいちゃんなはずなのに、全然動きが衰えてないんですよね。尻尾も二つに分かれてるみたいな形をしてて……」
「それって猫又じゃ……」
裕昌が苦笑する。猫又、という言葉で黒音を思い出す。黒音は黒猫又と言っているが、尻尾が二つではない。今度何故なのか聞いてみよう。
「五十鈴さん」
「あー、裕昌でいいよ。五十鈴さんだとばあちゃんもじいちゃんもそうだし」
「じゃあ……、裕昌さん、黒音ちゃんとはいつ出会ったんですか?」
「実は最近なんだよね、黒音と暮らし始めたの」
今の今まで忘れていたが、黒音と出会ったのはついこの間なのだ。もうそろそろ一カ月になる。例の呪いの刀騒動で、長い時間共に過ごしてきたような気がしていたが、黒音に関して知らないことはまだまだある。左腕の肘から先を失っている理由も、生まれつきなのか何かの事故で失くしたのか知らない。裕昌と出会う前にどんなことをしていたのかさえ。
「黒音ちゃんと裕昌さんって、すごく仲がいいですよね」
「そう?」
「はい、あんなに会話して、意思疎通出来ているのはとても仲が良い証拠です!」
そこで裕昌は、あ、と固まった。そういえば菜海のまえで普通に黒音と会話していた。菜海は霊感はあるが視えないのだった。さらに、黒音が妖であることも伝えていない。
「う、うん。なんか黒音とは気が合うっていうか……」
ごめん、萬屋さん。今度ちゃんと言います。黒音は妖です。
そう、心の中で謝罪するのであった。
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