黒猫と最凶の蠱毒 7
這いずる長細い体躯のそれは小さい。が、それの数十倍もの大きさのものを、呪いの靄がかたどっている。結局、蛇の体躯は何メートルもの大蛇に変わっていた。
小さいならまだ可愛げがあるものを。と、黒音は嫌悪の表情を崩さない。だが、嫌悪とは別の感情がふつふつと湧いてきていた。
しかし、その感情を打ち消す。
『これは違う。あのこととは関係ない』
腰から脇差を引き抜くと、切っ先を蛇へと向けた。
「悪いが、その怨讐、力ずくででも斬らせてもらうぞ」
そう言って、黒音は蛇に向かって駆け出した。大蛇の体めがけて刀を振りかざす。
が、大蛇の体のほとんどが実体のない靄である。斬るには、元の蛇本体を探し出さなければならない。黒音の脇差は靄を斬っただけだった。
「付喪神の女(あいつ)を連れてくるべきだった……!」
思考が至らない自分に腹を立てる。瘴気を微量だが浴び続けていたせいか、やけにいろいろと忘れている。
刀の付喪神はたしか瘴気を浄化できていたはずだ。裕昌のことを心配して置いてきたのが間違いだった。
黒音はもらった乳液状の毒消しを刃に塗り付ける。それで黒音を覆わんとしていた瘴気を薙ぎ払ってみる。
「あまり量はないが……今はこれで!」
靄を斬って進み、蛇の本体を目指す。効果が薄れてきたら毒消しを塗る。炎で燃やしてもいいのだが、如何せん、靄が厚い脂肪のようになって中心部へ届くのを遮ってしまう。
そして、もう一つ困ったことが。
「くっそ……!この瘴気、底なしかよ……!」
斬っても浄化しても中心にたどり着かない。靄による修復速度が速すぎる。
それに加え、本体へ近づけば近づくほど瘴気は濃くなっている。もはや瘴気ではなく、呪詛の類だ。うかつには手を出せない。
『一回で決めれば何とかなるか?』
このまま瘴気を浴び続ければ、身体的に支障が出てきてもおかしくない。早い決着が望ましい。
黒音は残りの毒消しをほとんど塗ると、本来蛇の心臓がある部分をめがけて跳躍した。目を凝らすと赤い双眸が爛々と光っている。
脇差の刃を振りかざし、片手を伝い全体重を刃にかける。
瘴気の層を斬るたびに毒消しが剥がれていく。塗った毒消しが全て剥がれる寸前、脇差は蛇本体を捉えた。
「来た!」
その勢いのまま、蛇を両断した。蛇の残骸は呆気なく地面にポトリと落ちた。
黒音は着地すると、すぐに距離を取った。けほけほとせき込む。
「うっ、ちょっと吸いすぎたか……」
あと少し戦いが延びていたら、本格的に麻痺や何らかの症状が現れていたに違いない。
「さて、この後どうするか、……っ!?」
背筋が凍るような感覚が流れる。蛇の残骸に目をやると、目を疑う光景が広がっていた。
確かに蛇の生命活動は終わっている。
だが、周囲に残った瘴気は再び渦を巻いて何かの形を取ろうとしていた。
蜘蛛、蛙、蜥蜴、百足、蛇。その他様々な生き物の形が浮かんでは消え、浮かんでは消えている。
おそらく、蠱毒の糧となった、あの壺の中にいた生き物だろう。
靄は呪いだった。呪いの声が鳴りやまない。その数の多さに黒音は思わず耳をふさいだ。
毒消しはほとんど底をついている。そもそも、この呪いは毒消しが効かないと、本能が警鐘を鳴らしている。これは決して関わってはいけないものだ。
裕昌を連れてこなかったことだけは幸いした。きっと一分も持たなかっただろう。
「おいおい、どれだけ執念深いんだよ……!」
その刹那、靄は黒音に向かって襲い掛かった。黒音はその重圧に何とか耐えながら、妖気で毒気を軽減する、が、先ほどまでとは比べ物にならないものだった。
何とか靄の襲撃から逃れた黒音は、脇差を支えに膝をついた。
呼吸によって侵入した毒気が体中を巡り、四肢を麻痺させる。思うように体が動かなくなっていた。
そして悟った。これは蠱毒の続きであると。どちらかが滅ぶまで終わらない。勝者はさらなる力を手に入れ、敗者に残るのは負の情のみ。
「蠱毒の一部になってたまるかよ……!」
そう意気込むも、体は言うことを聞かない。靄が更に膨れ上がり、黒音を呑み込もうと蛇に姿を変えたその時だった。
妖気の刃が黒音の背後から放たれた。それは桁違いの威力を見せ、靄は、呪いは蛇の形を保てなくなる。
「まあよくここまでぶくぶくと肥えられたもんだ」
「なっ……誰だ!」
黒音が振り向く。靄の意識も、黒音から逸れた。
視えたその姿に黒音が絶句する。
それは最近よく顔を合わせる、白猫だった。
「けっ。近くにいた妖怪(おれ)にも気付かないわ、浄化の力もないくせに蠱毒と戦って死にそうになってるわ、馬鹿かてめえは」
突然の馬鹿呼ばわりにむっ、と黒音はむくれた。
「ああ、だからその年で半人前なのか」
ぶちっ。
黒音の頭のどこかで、何かが切れる音がした。
「おまえーーっ!言ってはいけないことを言ったなあっ!?てか、何者なんだお前!」
ふしゃーっ、と毛を逆立てて吠える黒音。本来なら飛び掛かっているところだが、悔しいことに今は体が動かない。
白猫はふん、と斜に構えると、黒音の前にで、靄の目の前に立ちはだかった。
その時、靄が白猫に襲い掛かる。靄で白猫の姿が見えなくなった。が、靄が膨れ上がったと思うと、爆散して辺りに広がる。
白猫が立っていたはずの場所には、一人の青年が剣を持って立っていた。
「猫の蠱毒」
青年は、黒音の方に背を向けて静かに正体を明かした。
「そう言えば十分だろ」
繰り返すが、蠱毒というものは生き物同士を壺か何かに入れ、食い争わせ、生き残った者に残る怨念を利用して行う呪術のことである。
稀に、生き物の怨念を利用して行う呪術のことをも指すことがある。
その中でも有名なのは、犬を用いた「犬神」の呪術。そして、猫を用いた「猫鬼」という呪術だ。
「猫鬼」は古代中国、隋の時代に内廷にて発覚した怪事件である。日本の蠱毒と同じように廃れていったはずだが、まだ残っている個体がいたとは。
しかも、黒音の直感だが、この猫鬼は1000年以上の年月を感じる。黒音の知り合いの化け猫は最年長でさえも700年ほどだ。
「お前、猫鬼だったのか……!」
ふん、と青年もとい、不知火は鼻を鳴らす。だが、黒音にはあまり興味がないらしい。
白い髪に燃えるような赤い瞳。手には中華の剣を持っている。
菜海に蠱毒の瘴気が効いていなかったのは、それよりも強い毒気に慣れていたからか、もしくは不知火が守っていたからか。
「さあ、百年ぶりの食事(・・)だからな。恨みつらみの片っ端まで味わってやる。感謝しろ」
そう言うと、不知火は瞬く間に蠱毒の靄を刀で斬っていく。否、吸っていた。あっという間に呪詛の靄は三メートルほどの大きさまでに減っていた。
だが、相変わらず呪詛は生まれ続けている。それは蛇の屍から出ているようだった。
不知火はそれを一瞥した。
「おい小娘」
「こむっ……!?」
「うるさい。いまからほんの少しの間だけ妖気の出力を上げる。てめえの身はてめえで守れ。それだけしかない妖気でもちょっとは役に立つだろうな」
ぴしゃりと言い放ち、不知火は蠱毒と対峙する。
不敵な笑みを浮かべた刹那、爆風が炸裂した。
黒音は間一髪、同じく妖気を放ち、何とか自分の身を守っている。そして気が付いた。
土がむき出しになっている部分が増えている。剥き出しの土肌の部分を超えたすぐの草木花、先ほどまでは青々と、または鮮やかな色を付けていたのにかかわらず、消えている。
地面を見ると、何やら粉のような、紙片のようなものが落ちていた。
近くを飛んでいた虫や小鳥は、跡形もなく消えるか白い骨と化し、所々溶けている。
黒音の肌を、ピリピリとした痛みが襲った。
不知火の妖気は、毒だった。これをくらえば黒音であってもひとたまりもない。その事実に、思わず冷や汗が流れ落ちる。
不知火の妖気の影が、蛇の屍ごと呑み込んでいく。それを黒音は、ただ見ていることしかできなかった。
蛇を頭から骨ごと砕く。肉をじっくり味わうように噛む。呪詛の靄など、スパイスに過ぎない。
血の一滴すら惜しいように、丁寧に、ゆっくり、取り込んでいく。
ぐしゃり、ぐしゃりと咀嚼する妖気の影は、猫の姿をしていた。
あたりに静寂が漂う。蠱毒の呪詛は消え、黒音の体の毒も残りの毒消しを使い、きれいさっぱりなくなっていた。が、問題はまだある。
目の前の妖が敵か味方か。結果によっては戦いが続くかもしれない。
しかし黒音は、不知火に対して勝ち目がないとふんでいた。生きた年数も、妖力の差も桁違いなのだ。今の黒音に勝算は全くない。
ううーっ、と唸っていると、不知火は黒音を凝視する。
「なにか言いたいことでも?」
「聞きたいことが山ほどある」
「ほう、なんだ言ってみろ」
不知火の上からの物言いに、一瞬苛立つ黒音だったが、理性でなんとか噛みつきたい衝動を抑える。
「お前は、お前たちは敵か」
脇差を手に黒音は質問する。不知火は肩をすくめた。
「敵とか味方とか、思わないことだな。菜海が仲良くしている間は何もしないでおいてやる」
「壺の霊符を変えたのはお前か」
「そうだ。様子を見るなどと悠長なことを考えている奴がいたからな。さっさと俺が頂こうとしたわけだが、あの女に邪魔をされなければな」
あの女、という言葉に黒音は納得した。ああ、あの付喪神が見た影はこいつだったのかと。
と、同時に危うく五十鈴家全滅の可能性を引き起こしたことに腹が立ってきた。
「さっきの、全力じゃなかっただろ」
「けっ、俺が全力を出すときはこの国の生物を全滅させるときだ」
つまりそれだけの力を有している。黒音はひやりとした。そのような爆弾が今目の前にいる。
「安心しろ。そういうのに興味はない」
くわあ、と大きく欠伸をすると、不知火は白い猫の姿へと戻った。そして、てくてくと帰っていく。
「そうそう、てめえのその腕」
黒音の表情が険を宿す。
「それも呪詛だろ」
それだけ言うと、答えも聞かず不知火の姿は闇に消えていった。
黒音はふう、と息をつくと、刃を鞘に納めた。思っていたより緊張している状態だったようだ。
猫鬼の妖力は強すぎる。猫の姿では、黒音が気づかないくらい抑えられているようだったが、人の姿へ変化した途端、肌を指すような痛みを伴うくらい溢れていた。とはいえ、人の姿も仮初のものでしかない。「猫鬼」の真の姿になった時、つまり「本気」の時は国一つを滅ぼすことができるほどの妖力を有しているのだと。
考えただけでも笑えない。
『それ、呪詛だろ』
不知火の言葉を思い出した黒音は、腕の先がない自分の左腕を握りしめた。
「……そうだ。これは呪いだ」
ぎり、と歯噛みする。痛み続ける呪い。
忘れもしない、仇敵に付けられた傷なのだ。
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