黒猫と最凶の蠱毒 6

 何かの影は見た。

 付喪神の証言をもとに、黒音は翌朝から警戒態勢に入った。一方裕昌は、調子が戻ったようで、清々しい朝を迎えていた。


「健康ってなんてすばらしいんだろう……」


 うーん、と伸びをする。


「黒音、朝からやけにピリピリしてるけど、どうした?」


「お前は知らないだろうが、結構重大な事実が発覚したんだぞ」


 黒音は裕昌に、昨夜の出来事を掻い摘んで話した。瘴気が漏れて充満していたこと、それが不調の原因ではないかということ、霊符が偽物にすり替わっていたこと。

 それを聞いた裕昌は口の端を引き攣らせる。


「え。ということは、五十鈴屋全体に瘴気が充満してて……」


「うん」


「俺と黒音だけではなく、萬屋さんや不知火もその瘴気を浴びてたってことだよな」


「うん。……ちょっと待て」


 黒音は肯定してから、何か引っ掛かるものを覚えた。


「菜海と不知火も浴びてたんだよな?」


「そりゃあ、そうでしょ」


「何故あいつらは不調を訴えてないんだ?」


 濃度は薄いとはいえ、瘴気は瘴気、毒は毒。動物の心身には悪影響を及ぼすものだ。それが何故、五十鈴屋に三、四時間滞在している菜海と不知火には、何の影響も与えていないのか。


「黒音、もしかして疑ってる?」


「まあな。霊符のすり替え犯人候補だな。不知火は猫だし、今は菜海が一番黒い」


「でも、萬屋さんはほとんど俺と一緒にいるけど」


 黒音は黙り込んだ。確かに、菜海が裕昌の目をかい潜って日中にすり替えるのは難しい。かといって、夜中に五十鈴屋に入ることも難しいだろう。


「だが、霊感があるのに何故瘴気に気づかない?そういうの、敏感なはずだぞ」


 黒音が引っかかっているのはその点だ。


「今一度、行動を見とく必要があるな」


 裕昌は黙ったままだ。菜海は初めての後輩で、真面目で穏やかな性格をしている。あまり疑いたくないというのが本音だ。


「……じゃあ、萬屋さんの行動は俺が出来る限り見とくよ。アリバイがあれば犯人の可能性は低くなるだろ?」


「そうだな……。壺の方には、付喪神のあいつを付けておくか。今回は関係なさそうだし。一応あたしも見張っておくから」


 黒音はひそかに五十鈴屋の小妖怪たちも容疑者リストにいれていた。よく首を突っ込んでくる三人は可能性は低いだろうが、その他は十分に行動が出来る。彼らは曲がりなりにも妖だ。いくら裕昌に懐いているとはいえ、ころっと掌返しをすることはよくある。それは黒音にも、刀の付喪神にも言えることだが。

 それに、菜海の行動を監視してほしいのは、菜海本人を監視するのともう一つ、要因を探りたいのだ。菜海が瘴気には何の反応も示さない理由が何かあるはずだ。







「こんにちはー」


 菜海の声が入り口から聞こえた。裕昌は慌てて段ボールを整理していた手を止めて、レジの方へ出た。


「こんにちは。ごめん、ちょっとだけレジに入っててくれる?」


 そういうと、裕昌はあと少し残っている段ボールの整理を終わらしに奥に入った。それと入れ替わるように、黒音が猫用ベッドに向かってやってきた。今日は不知火は連れていないようだ。


「黒音ちゃんもこんにちは。不知火はお母さんが来ていて面倒見てもらっているから、今日はいないの」


 菜海はそういうと、黒音を撫でた。黒音もごろごろと喉を鳴らす。


『うーむ。悪くない撫で心地……』


 などと、思わずなごんでしまう黒音であった。が、すぐに我に返り、注意深く菜海の周りを調べてみる。


『変なところはないんだが……なんというか……』


 今も五十鈴屋には微量の瘴気が漂っている。妖や見鬼持ちには、黒く薄い靄に見えている。その靄も、空気と同じように流動しているのだ。だがそれが。


『菜海の周りで、動きが変わっている……?』


 どちらかと言えば避けていると言えばいいか。更に、裂けきれずに菜海にぶつかった瘴気は刹那に消えていく。あれは浄化の力。霊力のものか。

 しかし、霊力があるからと言って蠱毒の毒に耐えきれるわけはないのだ。


「えーと、次は……。萬屋さん、これの品出し頼んでもいい?」


 裕昌は中くらいの段ボールを手渡した。菜海はそれを快く受け取ると、商品を並べに行った。ちなみに、あの段ボールの中身は猫が描かれた和風カレンダーである。最近の新商品だ。

 黒音がやってきてから妙に猫系グッズの売り上げがいい。常連も新規も関係なく、客は皆黒音を可愛がる。


「黒音、どうだった?」


「怪しい点はあるっちゃあるが、別に害を及ぼす類のものじゃない。寧ろ人間が持っているものだからな」


「?どういうこと?」


 黒音は掻い摘んで今までの観察結果を話した。


「霊力は誰もが持ってるものだ。それを自覚しているしていないに関わらずな」


「俺は?霊力どのくらい?」


 裕昌が目を輝かせて黒音に詰め寄る。やけに圧を感じる。こういうファンタジーチックなものに、裕昌は目がないのだ。

 若干答えにくそうに黒音が続ける。


「………………普通だな。正直に言うと人並みよりも無い」


 裕昌は肩を落とした。普通ならまだしも、人並みよりも無いと言われるとは。

 まあまあ、と黒音がなだめる。ぺしぺしと尻尾で裕昌の肩を叩いた。


「霊力も霊感もないが、視えるんだから良いだろ。猫と会話できるなんてめったにないぞ」


 裕昌は思った。猫は猫でも妖だろうと。


「冗談はさておき、こうなったらどこかの誰かが壺を持っていく前に、あたしがどっかで対処した方がいいらしい」


「黒音、あの壺の対処法見つかったのか?」


「いや、力づくで」


 たまに脳筋だよなあ、と裕昌は心の中でぼやく。

 一方黒音は、正体不明の犯人に一つも心当たりがなく、このような雑な対処になることに不満げだった。これからずっと様子見を続けていても、瘴気は漏れ出し続ける。だが、力づくで対処しようにも、黒音自身も命の危険があることは変わりない。

 何せ蠱毒は人も妖も、生きとし生けるものを殺す猛毒の呪いだ。そして、濃密な呪いの毒を浴びればただじゃすまない。妖は少しは瘴気に耐性があるが、それもどこまで持つか。


「菜海の毒耐性には引っかかるが……、妖も視えていないのにそんな器用なことができるわけない」


「実は視えるとか」


「それはない。視線が全く合わん。更に加えると、あいつの霊感は『近くに何かいる』程度だ。詳しい場所や姿かたちはわかっていない」


 それに、と黒音は視線を頭上に向けて続けた。


「これだけちょろちょろされて、気が散らない奴はいないだろ」


「……………確かに」


 裕昌は黒音の視線の先を追う。頭上には妖たちが飛び交っていた。







 夜。瘴気の靄が濃くなっていた。どうやら犯人が壺を持ち出す以前に、中に潜むものが外に出てきてしまう方が早いらしい。だったら尚更、強引に消滅させた方が良いだろう。

 黒音は付喪神に頼み、裕昌の護衛を頼んだ。どうやらこの刀、最近裕昌の周りをうろついているが、殺意でも悪意でもなく、ただ純粋に興味があるようだった。裕昌に何かあれば、黒音がすぐにへし折り、付喪神として顕現出来ない状態にするつもりでいるので、危害を加えることはない。……多分。

 不安をぬぐえないでいるが、今は五十鈴屋の住人総倒れの可能性があるのだ。こちらが優先だ。壺を小脇に抱え、五十鈴屋を飛び出した。


「取り合えず毒消しはもらってきたが、もって三十分か……」


 知り合いである薬屋の見習いはとりわけ毒に詳しい。毒消しを作ってもらい、蠱毒の対処時に使用する予定だった。想定より早かったが。


「さて、どこか人気もなくて生き物も少なくて草木が少ないところは……あそこらへんかなー……」


 黒音は屋根から屋根を飛ぶように移動しながら、工事中につき、山肌が見えている部分を見つけた。


「さすがに土地が死ぬということはないだろうが……まあ、そのときはそのときで」


 蠱毒は呪いであり、毒である。生き物は死に、骨は溶け、植物は枯れ、土地は呪いに染まる。それが毒及び呪いというものである。この蠱毒はいったいどれだけの年月放置されていたのやら。

 草木は切り倒され、土がえぐられた部分にたどり着いた。一番深い部分に、壺を置く。壺の蓋は不自然に音を立てていた。

 蓋を外そうとして、黒音の動きが止まる。最悪の事態が発生した。

 この這いずり回ったときの独特の音、かすかに聞こえる背筋が凍りつくような息の音。

 黒猫又の少女が、この世で最も嫌いなもの。


「っ……、最悪だ……!」


 黒音が壺から遠ざかる。彼女の表情はまさに苦虫を百匹噛みつぶしたような顔をしている。嫌悪という嫌悪の感情がこれでもかというほど顔に出ている。

 黒音は何とかその場から逃げ出したい衝動を抑えながら、深呼吸をする。


『大丈夫だ。この忌まわしき生物をあたしがあの世に送ってやるんだ』


 等と自分に言い聞かせる。黒音がこれほどまでにこの生物を嫌いになった理由は一応あるのだが。

 さて、そろそろ壺の中身とご対面といかなければ。黒音は意を決して、なるべく遠くから石を思いっきりぶつけた。

 石に当たった壺にはひびが入った。黒い靄が徐々に溢れ出し、その量に壺の耐久力が耐えられず、音を立てて砕け散る。

 靄は重く、大きな塊となって、割れた壺からずるずると這いずり出てくる。その中では明らかな固体が蠢いていた。

 よくもまあ長い年月放置されていたのにもかかわらず生き延びていたものだ。いや、もはや生き物の次元を超越している。

 あれは、怨讐だ。




*        *         *


 僅かになった屍を咀嚼するたびに、怨嗟の力が流れ込む。


 これは怨みである。

 これは怒りである。

 これは悲しみである。

 これは痛みである。

 これは苦しみである。

 これは恐怖である。

 これは孤独である。

 これは嘆きである。

 

 生きるものたちへの遺恨、軽蔑、憤怒。

 生きるものたちの怨恨、嫉妬、憎悪。


 ぐしゃり、ぐしゃりと、怨嗟を噛み締める。

 人間どもの駒ではない。もはや其の域を外れた。

 これは、屍となった同胞たちとの、呪詛である。

 それが、蠱毒である。


*        *          *


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