黒猫と護りの刀 4

 時は少し遡る。裕昌が五十鈴屋に戻って、家事を一通り終えたころ。

 黒猫又の少女は一度目を覚ました。

 

「…………ぅ?」


 知らなくはないが、あまり見慣れない天井が見える。

 ああ、何とか生きているみたいだ。今回ばかりは少しだけ死も覚悟したが。

 ふう、と一つ息をつく。まだ体調は万全ではない。もうひと眠りしても許される。

 そう思って意識を手放そうとした時だった。

 傷口に突如激痛が走った。


「いったあああああああああっっっ!?!?」


 黒音の絶叫が響く。がばりと起き上がってみると、河童の老婆が壺を片手にじとっとこちらを見ていた。


「何するんだよ!?」


「ただの傷薬じゃ。わし特製のめちゃくちゃ効くがめちゃくちゃ沁みるやつ」


 黒音は傷口によほど沁みるのか、涙目になっている。


「それぐらい元気ならもう大丈夫じゃな。無駄に心配して損じゃったわい」


「いや、死にかけてたけどな、あたし」


「あれだけ出血しておいて軽口が叩ける奴がどこにおる、馬鹿者」


 水仙が話しているのは裕昌が黒音を水仙堂に連れてきたときのことだ。だが、黒音にはその時の記憶はほとんどなかった。


「人間の小僧に感謝するんじゃな。お前さんをここまで運んだのはあの子じゃ」


「わかってるよ。……裕昌は?」


「今は自分の家に帰っておる。すぐ戻ってくるじゃろうが」


「そっか」


 裕昌はどうやら無事だったようだ。黒音は安堵した。その様子を見ていた水仙が一つ息をつく。


「火夜」


「黒音だ」


 黒音が水仙の言葉にかぶせる。


「黒音。それがあたしの名前」


 人間がくれた、たった一つの大切な名前。


「その呼び名は、あんまり裕昌の前で言ってほしくない」


 水仙は思う。ああ、それほどまでに。この少女はまた―――――-。

 黒音は毛布をぎゅ、と握りしめる。


「ばあさんには悪いけど、あの名前は周りのみんなに良くない。あたしが、そうしちゃったから」


 黒音が俯く。火夜、という名前は嫌いではないし、呼び名を付けてくれたことにも感謝はしている。だが、それ以上によくないものを呼び込む可能性があるのだ。大蛇と戦った頃の呼び名は火夜だった。そのころの黒音はかなり荒れに荒れていて、いろんな方面から恨みを買っている、と自覚している。


「そうか。あいわかった」


「ごめん」


「珍しく素直になりおって。天変地異の前触れかのう」


「人が心から謝ってるっていうのに、このばばあ……!」


 黒音の眉がひきつる。だが、分かっている。気にするな、と言わんばかりの水仙なりの優しさなのだと。


「まだ体力も妖力も戻っておらんじゃろう。寝ておくとよい」


「うん。わかった」


 そう言うと、水仙は部屋を後にした。残された黒音はもう一度横になる。ふと、自分の隣に毛布がもう一つ畳まれて置いてあることに気が付いた。ずるずると引きずり寄せ、それに包まる。毛布からは良く知っている匂いが付いていた。自分の血の匂いと、もう一つ。


「裕昌の匂い……、………ずっと居たんだな」


 黒音は目覚めたときにそばにいなくて寂しいような、でもそれまではずっとそばにいたのだと嬉しいような、そんな感情を抱いていた。

 最後に見た裕昌は泣きそうな顔をしていて、思い出すたびに申し訳なくなる。

 あんな姿を見せるつもりはなかったのに。というか見捨てて逃げろと言ったのに。あとで、約束破ったな、と軽く叱っておこう。

 だが、ひとまず。


「無事でよかった……」


 その事実に心の底から安堵する。ちゃんと守れているようだ。

 黒音は毛布の温かさか、それとも別のものか、温もりを感じながらもう一度眠りの波に誘われていった。





 あせびは裕昌を再び水仙堂へ連れ帰ってきた。


「ふー、やっぱり人を運ぶのにはなれないですわ」


 一般的に言われるお嬢様口調、それがあせびの素である。

 あせびは肩をぐるぐるとまわした。そして精一杯伸びをして気合を入れる。

 裕昌と出かけた水仙の代わりに店番だ。一人患者を抱えているが問題ない。


「さて、きょうはどんな怪我人が来るのやら……」


 その時、丁度小屋の戸を叩く音が聞こえた。




 夢から目覚めるほんの少し手前、そろそろ起きようかなー、などとぼんやり考えていた黒音の耳に、誰かが話す声が聞こえた。


「ん……、誰か客が来てるのか……」


 よっこいしょ、と起き上がると傷口が僅かに傷んだが、朝に比べたらましになっている。良薬は口に苦しならぬ、良薬は傷口に沁みる。水仙の作った薬はやはり効くのだと再認識させられる。

 黒音は几帳の陰からこっそり隣を覗いた。あせびと手当てをしてもらっている妖怪が何やら話している。


「じゃあ、止血と傷薬持ってきますね」


「ありがとう……」


「かなり深い傷ですね。どうされたんですか?」


 妖怪、犬の見た目の婦人が涙目になりながら説明する。


「鈴鳴怪道、ご存じですか?そこで妖怪が大暴れしてまして……運悪く通りすがったところ襲われました」


「おい、あんた。鈴鳴怪道のどこらへんだ」


 黒音が几帳の陰から顔を出す。


「え、えと……入口です」


「入口か……」


 黒音がすっと片膝を立てたときだった。あせびが両手で黒音の肩を抑えつけた。

 上から押さえつけられた黒音は立てない。ぐぐぐ、と力を入れてみるが、傷口が少しだけ傷んだ。


「ちょっ、あせび!なにすんだよ!?」


「それはこちらのセリフです。火夜、あなた今何を考えたのかしら?」


 あせびの笑顔がひきつっている。黒音はうっ、とその迫力に気圧された。

 あせびは綺麗な黄緑色の羽根をひらひらとちらつかせる。


「良い子にしていないと、この羽根を酒に浸して飲ませますよ?」


「それ、あたし死ぬやつ……」


 鴆の毒羽根。鴆毒として恐れられるほど強力である。その毒は無味無臭の水溶性、その羽毛を一枚酒に浸せば毒酒として対象を暗殺できるほどの効力を持つ。

 黒音は、その羽根に触るだけでも危ないんだけどな、とぼやく。


「大丈夫だって、姉さんに顔出すついでかなって思ってただけだ」


「ふーん?」


 黒音が目を泳がせる。

 すると犬の婦人は深々と頭を下げて懇願した。


「他にも傷ついた妖たちがたくさんいます……どうか、あの妖を退けていただけませんか?」


「ほら、こういってるぞ。どうするあせび?」


 む、とあせびが眉間に皺を寄せる。一方で悪戯っ子のような笑みを浮かべる黒音。


「助けを求めてるのに、あせびは無視しちゃうんだな〜」


 むむむむ、と渋面になるあせび。出来ることなら、黒音をこの場から離れさせたくはないのだが。


「あーもー!仕方がありません。薬師として、私が傷ついた妖たちを助けに行きます!」


「じゃあ、あたしはあせびの安全確保係ということで」


「〜〜〜〜っ!あとで師匠と裕昌様にこてんぱんにしてもらいますからね!」


 黒音はにやりと勝利の笑みを浮かべる。あせびはどこか納得がいかない様子で紙切れに何かを書くと、救急カバンを肩から引っ提げた。


「さあ行きますよ!」


 あせびがずかずかと小屋を出ていく。黒音は自分の傍らにあった脇差と筆架叉を腰に差し、薬屋見習いの後を追っていこうとした。その時、犬の婦人に呼び止められた。


「あの……暴れている妖怪の正体なんですけど……」





 あせびと黒音は山道を走っていく。もうそろそろ鈴鳴怪道の入り口あたりか。

 鈴鳴怪道は人と妖が共存する世にも珍しい町である。人間は視えるものしかいないが。

 ふと、黒音は空を見上げ、異変に気が付いた。

 黒く厚い雲に覆われている。五十鈴屋の方は雲一つない晴天だ。それが、鈴鳴怪道の一所だけ、今にも雨が降りそうな雲が覆っている。


「あせび、犬の婦人から聞いたんだが」


「なに?」


「あの妖、毒を持っているそうだ」


 あせびの口端が吊り上がる。


「じゃあ、私とどっちが強いか競わなくて?雲の中の、魔獣さん?」


 その刹那。

 激しい雷光が轟音と共に、あせびと黒音の前に落ちてきた。

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