黒猫と護りの刀 5

*         *        *


 生きる。その行動が理解できなかった。生も死も、意思すらない、只々静かな世界に在ったから。

 けれども。


 あの時、「生きる意味」を与えてくれた人間がいた。


*         *        *





 轟音をたてて、雷光が二人の目の前に落ちてきた。砂煙が巻き上がる。

 黒音とあせびは目を凝らして、砂煙の中を蠢く影の形を探る。


「ちょっとでかいが、予想は当たったか」


 犬、いや狼に似た姿をしているが、その後ろ脚は四本、尾は二つ。赤黒の体毛に覆われ鋭いく曲がった爪を持っている。そして、あたりに漂う静電気と、瘴気。

 人々はそれを、『雷獣』と呼んだ。


「どうしてこんな晴れの日に紛れ込んでいるのかは知らないが、ひとまずここから立ち去ってもらうぞ」


 雷獣が二人に向かって咆哮する。あせびは片手を掲げた。


「母から受け継いだ鴆毒、とくとご覧あれ」


 そういうと、あせびの周りに妖気の風が発生する。その風は妖気の濃度を増し、あせびの姿を隠した。雷獣がそのすきにあせびに襲い掛かるが、妖気の風が跳ね返した。

 現れたあせびの姿は、いつもは二つに結っている髪を一つに、薬屋のエプロン姿ではなく、艶やかな緑色の袿を身に着けていた。

 袿の両袖から見えるのは鳥の羽。黄緑の羽から、あせびが舞ったと同時に羽根が舞う。それは落下せずに一定の位置で留まった。


「千本毒槍!」


 千本の毒羽根が雷獣に降り注ぐ。それは矢、というよりも槍だった。毒の槍が雷獣の体を串刺しにする。だが、雷獣はそれを霧散させ、再び動き出す。


「うっ、流石に毒耐性はそこそこあるのね……でも、確実に毒は入ったはず」


「あとはあたしがやる」


 黒音があせびの隣から駆け出した。雷獣の爪と黒音の脇差が交わり、妖気と妖気がぶつかった衝撃が辺りの土を抉り砂埃を巻き上げた。

 黒音がそのまま押し切ろうとするが、不意にずきっ、と横腹が痛んだ。


「っ……!」


 痛みに気を取られ、黒音の力が一瞬弱まった。そのすきを雷獣は逃さない。

 力任せに、黒音の刃を跳ね返した。黒音は鞠のように地面で一回受け身のまま跳ねると、すぐに態勢を立て直した。

 大口をたたいたものの、まだ傷が完全に癒えていない時点で戦闘は厳しいか。

 雷獣はここぞとばかりに雷撃を幾つも放つ。黒音とあせびは全ての雷撃を何とか打ち返す。だが、雷獣のほうが早かった。再び雷撃が襲い掛かる。


「黒音!」


 聞きなれた声と共に、水の砲弾が雷獣に命中した。


「裕昌!?……げ」


 黒音は裕昌の横にいる人物を見て、思わず呻いた。目が据わった河童の老婆が、こちらを睨みつけてきている。そして、近づいて来ると黒音の頭をべしっと引っぱたいた。


「あいだっ!」


「まったく、この戯け。寝ていろといったじゃろうが。治る傷も治らんわい」


 そんなやり取りを遮るように、再び雷獣が咆哮と共に雷撃を放つ準備に入る。


「来ます!」


 あせびが叫ぶ。各自自分の身を守る体制に入った。


「裕昌」


「はい?」


「その羽織の使い時じゃろう」


 ふと、自分が手に持っている物に気がついた。藍染めの羽織。どんな効果があるのかは知らないが、身に着けてみる価値はある。

 裕昌がそれを羽織ると同時に、水仙が細長い獲物を裕昌に渡した。


「これを使うといい」


「あ!それあたしの筆架叉!いつのまに!?」


「うるさい。裕昌に貸してやれ」


 黒音はどこか不満げに、まあ、裕昌だったらいいけどさ、などとぶつぶつ呟いている。

 そして、雷獣が雷撃を放った。各自打ち払っていく。裕昌にも、その毒気を吸った雷が直撃しようとしていた。以前なら、体がすくんで動けなかっただろう。だが、咄嗟に筆架叉で雷撃を防いだ。そして、足元にもう一発着弾しようとしていたのを、後方にわずかに跳び退った、と裕昌自身では思っていた。


「うわあっ!?」


 躱すには躱したのだが。思いがけない跳躍力に裕昌自身が一番驚く。まるで、黒音やあせびのように、何か人外の生き物のように、飛んだのだ。

 このことには黒音やあせびもぽかんと口を開けている。


「え?えっ?」


「言ったじゃろう。その羽織は身体能力を妖怪のレベルまで引き上げると」


 確かにそんなことを言っていた。だがこれ、思ったより力の制御が難しい。


「ということじゃ。裕昌のことは気にせんでいい。お前たち、あの不届き物をさっさと片付けてしまうぞ」


「そんなこと分かってるよ」


 水仙がそう言うと、黒音とあせびが雷撃を潜り抜けて、雷獣の体にそれぞれ攻撃を打ち込む。雷獣が二人を跳ね返すが、あとから水仙が水の砲弾で追撃する。その間、裕昌は自分の身を守ることに専念していた。妖気の影響もほとんど受けていない。

 あせびが毒羽根で雷獣の動きを止めた後、黒音が炎で雷獣を包み燃やす。そして、水仙が追い打ちの砲弾を命中させた。

 三者の攻撃を受けた雷獣は、戦う力を失ってその場に倒れ伏した。


「ふう、なんとかやりました」


「裕昌、無事か?」


「うん。大丈夫。しかし凄いぞこれ!なんかこう、アニメとか漫画でよく見る動きが出来るんだぞ!」


「お、おお。それは良かったな」


 興奮冷めやらぬ裕昌に、黒音が若干その圧に押される。

 確かにこういう能力などを手に入れたいと願うのは、サブカルチャーを嗜むものとしては憧れの一つだ。俗に言うと、厨二病を拗らせているだけなのだが。

 さて。すっかり雷獣を沈静化し勝利モードに入っている一行だが、雷獣がまだ動けるということを忘れてはならない。

 動ける。いや、声を上げることができるのだ。自分が圧倒的劣勢の戦いにいるとき、声を上げることができるなら何をするか。


 助けを呼ぶのだ。


 雷獣が今までとは違う鳴き声を上げる。それは辺りに、空に響いた。


「なんか嫌な予感がするんだけど」


「これは……、っ!全員下がれ!」


 黒音の声で四人はその場を飛び退る。刹那。雷が二つ落ちてきた。


「これは相当怒ってますね……」


「見たところ、いじめられた子供の両親、と言ったところじゃな」


 雷の中から二頭の雷獣が姿を現す。それは先ほどから戦っている個体よりも一回り大きかった。

  合計三体の雷獣を目の前にして、黒音は攻撃を警戒したままどうしたものかと思案する。

 正直、戦力差は厳しい。裕昌は自分の身を守れるにしても限度がある。水仙は老河童。雷獣三体の攻撃を真正面から迎え撃つほどの力は無い。結局戦えるのはあせびと、一応怪我療養中の黒音だけだ。

 雷獣の親個体と思われるうちの一頭が咆哮すると、それに反応して三体分の雷撃があちこちに駆け巡る。それは、鈴鳴怪道にも侵入しようとしていた。

 鈴鳴怪道には小から大まで様々な妖怪や人間や半妖が暮らしている。今も少し離れた場所で心配そうに黒音たちを見ている影がいくつかあるのだ。


「まずい!」


 そう黒音が叫ぶのとほぼ同時に水仙と裕昌が先に動いていた。裕昌が妖数匹を抱きかかえ、安全な場所へ移動させ、水仙が水の波動で結界を生成した。

 わあー、と抱えられた小妖怪たちが声を上げる。少し離れた場所までやってきた裕昌は、妖怪たちを下ろした。


「はい。これで多分大丈夫」


『お前、人間?』


『人間だー』


 小妖怪がわらわらと裕昌に集まってくる。


「ちょ、早く逃げろって。巻き込まれても知らないからな!?」


 そんな裕昌の言葉を聞いているのか聞いていないのか、呑気にぴょんぴょんと飛び跳ねる妖たち。


『助けてくれてありがとう』


『ありがとう』


『でもちょっと抱え方雑だったけど』


『じゃあなー』


 そう言って、去っていった。


「な、なんか好き放題言って去っていったな……。妖って、皆あんな感じなのか?」


 裕昌が思い浮かべるのは五十鈴屋の小妖怪たちだ。彼らもかなり自由気ままな暮らしをしている。最近は一従業員のように菜海の周りで働いているが。

 裕昌は駆け足で水仙の元へ戻る。


「戻ったか。早速使いこなしているようじゃな」


「うん。大分力加減とか慣れてきた」


 水仙は満足そうに一つ頷くと、目の前の結界の向こう側に視線をやる。その先には雷獣と対峙するあせびと黒音がいた。


「この結界も長くはもたん。いざとなったら逃げるように」


「わかった」


 そう頷くと、裕昌も視線を黒音の方へやった。

 結界の生成と裕昌が動いたのを察知して、黒音は意識を雷獣たちだけに向けることにした。


「あせび。あいつらにとびきりの毒を浴びせること、できるか?」


「見逃してあげようと思ってたんですけど」


「仕方がない。このままだと被害が拡大するだけだ」


「じゃあ、内臓が爛れて溶けてしまうくらいの毒を浴びせますね」


 そんなやり取りを終えると、黒音が一匹の雷獣に向かって走りだした。脇差で雷を打ち払いながら雷獣の体に脇差を刺す。黒音の白い頬に返り血が飛ぶ。雷獣は黒音を振り払うと、鋭い爪が備わった前足で、黒音を木の幹に叩きのめした。


「ぐっ……!あせび!」


 黒音の合図であせびが躍り出る。それを阻止しようともう一匹の雷獣が襲い掛かろうとした。黒音はそれを炎で包み制止した。その隙に、あせびは毒羽根をあたりに舞わす。


「簡単には死なせません。みっともなく足掻きなさい」


 舞っていた毒羽根がぴたりと空中で静止し、近くの敵に照準を合わせた。


「毒華、乱舞」


 あせびが両翼を一仰ぎすると、羽根が鋭い毒の鏃のように雷獣二匹に降り注いでいく。

 鴆の羽根は触れるだけでも爛れるほど強力だ。それが今刺し傷や火傷などがあればなおさら効力を発揮する。

 体内に毒を流し込まれた雷獣は苦しみ悶える。だが、彼らとて毒素を持つ妖だ。耐性は微量とはいえど、攻撃する力は残っている。

 一匹はあせびを雷撃で撃ち落とし、もう一匹は黒音に噛みつこうとした。黒音は咄嗟に脇差でその牙を防ぎ、耐えた。

 膠着状態が続く。その時、黒音は痛みと共にじわり、と何かが染み広がる感覚を覚えた。

 腹のあたりの着物と帯が赤く滲み、足元にぽたぽたと雫が落ちる。

 押し返す力が弱まった瞬間、雷獣は黒音を噛み砕こうとした。黒音はそれを寸前で、皮膚をかすめたものの、躱した。

 ごろごろと地面を数回転がり、黒音は何とか立ち上がった。腹を抑えた手は徐々に朱く濡れていく。


「やば……傷口が開いたか……」


 がしゃどくろに引き裂かれた傷口は深かった。特に、中指に当たる骨で引き裂かれた部分は一番深くえぐり取られている。開いた傷口はそれだった。治ったと思っていた傷は、表面上のものだったか。

 黒音の額には、痛みによる汗が滲んでいる。

 黒音自身は、このまま戦闘を続けてもいいのだが、裕昌の目の前で再び出血、最悪死、とかいう事態は避けなければならない。

 さてどうする。


「黒音!しばらくじっとしておいてください!」


 あせびが叫ぶ。更に追い打ちをかけようとした雷獣を、あせびが近寄らせまいと毒羽根を放つ。その隙に、黒音を運び去った影があった。見ているだけという事実に耐えられなくなった裕昌である。


「おい馬鹿!なんで出てきた!死ぬぞ!?」


「馬鹿はどっちだ!強がって出てきたくせに、傷口開いて出血多量でお陀仏とか笑えないからな!」


 珍しく、黒音が言葉に詰まる。裕昌の言うとおりだった。

 黒音は納得がいかなさそうに目を据わらせ、拗ねた。

 こういう妖がらみのことで裕昌に正論を言われたのが納得がいかないようだった。成長というべきか、悪影響というべきか。

 口論をしながら裕昌は結界の中に飛び込んだ。

 水仙が結界を維持しながら横目で黒音を見て一言。


「たわけ者」


 と吐いた。黒音は苦虫を百匹ほど噛みつぶしたように顔を歪めた。

 三人から責められてはいないが怒られ、解せないでいるようだ。

 しかし、これで事態は一気に深刻化した。戦えるのはあせびだけ。そろそろ復活してくる雷獣の子供を合わせて合計三体。どう考えても、あせびが三体を完封できる未来が見えない。

 彼女はただの毒の専門家で、戦うことをあまり好まない性質だ。戦闘慣れはしていない。

 熟考する黒音と共に、裕昌も彼なりにこの状況の打開策を探していた。

 

 どうする。このままでは防戦一方で、いずれ崩壊してしまう。

 考えろ。考えろ。

 なにか、何かないのか。

 戦力と言えば不知火だが、ここから家までは距離があるに加え、今は店番を任せている。

 誰か。戦える人は。

 

 ふと、情景が浮かんだ。


 あの夜の出来事を思い出した。

 舞う桜のように、揺れる白桔梗のように、美しかった。

 『彼女』ならば。

 

『――――――呼ぶといい』


 ぶっきらぼうな声が蘇る。2、3時間はかかると言っていた。2時間経ったかどうかぎりぎりだ。

 けれども、ここで呼ばなければ自分たちも、鈴鳴怪道の妖たちにも被害が及ぶ。

 黒音が大切にしている故郷でもあるのだ。それをまた、壊させたくはない。

 請い。

 来い。

 裕昌は、ここ十数年間で一番大きな声で、全霊を込めて、名を呼んだ。


「黒龍―――――――――――――――!」


 その時。あせびと目前まで迫っていた雷獣の間に一閃のきらめきが

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