黒猫と血塗れのされこうべ 4

 夜。ほとんどの人間は夢の中。

 しかし、活動し足りない若者や、人付き合いのための飲み会などで夜遅くまで外出している者が少なからずいる。そういう者に限って、人気の少ない路地や見知らぬ土地に迷い込む。

 そういった人間は、人ならざる者にとって格好の餌食である。

 つまり、こうして神隠し事件は出来上がるのだ。


「というわけだ。多分連日行方不明者が続出しているのは、十中八九例の妖のせいだろうな」


「行方不明者の大半が夜にいなくなってるのはそういうことだったのか」


 黒音と裕昌は夜の道を歩く。こうして二人して夜出歩くのは刀の付喪神の一件以来だ。


「黒音が探してる大蛇なのか?」


「いや、多分違う。小妖怪どもの証言じゃ、音がするらしい」


「音?」


 歩くうちに、人通りがほとんどない路地が多く存在する土地までやってきた。明かりがついているのは本当に僅かな家屋だけ。


「からからと、音がするそうだ。あんな風に」


「え?」


 黒音が一つの路地につながる道の前で立ち止まった。裕昌は懸命に耳を澄ませる。本当に微かに、音が聞こえた。それは人間の聴覚では聞こえるかどうかの小さな音。

 一方、猫である黒音の耳にははっきりと聞こえていた。

 硬いものが転がった時に鳴る、独特の音。


 からから、からから、からから、からから。


 神隠しが始まる音が鳴る。だが、神隠しとは名ばかりの――――――。


「夕餉の時間だろうさ」


 黒音が音の鳴る方へ走り出す。裕昌は懸命に黒音の後を追いかけた。迷路のような路地を黒音と裕昌は駆けていく。

 路地の中は音が反響し、音の出所がわかりにくい。黒音についていく裕昌は、反響しているものとは少し違う音を聞いた。右の路地を見ると、白く丸いものが通りすがったのが見えた。夜にしてはやけにはっきりと白い物体が見えるということは、それは妖だ。


「黒音、あれ!」


 裕昌は心の中で、「ゲームで鍛えた聴覚、グッジョブ」とガッツポーズをした。

 だが、黒音が見たときにはすでにその姿はない。


「!右から後ろに回ったか!」


 黒音のその言葉通り、裕昌の後方に白い物体が現れた。それは裕昌めがけて突進した。

 裕昌は振り返りざま後ろにさがり、代わりに黒音が前に出る。白い物体を横一文字に両断した。


「やった?」


「いや、だけだ」


 白い物体は瞬く間に修復していく。今までぼやけていた輪郭が、はっきりと浮かび上がる。

 白く、硬く、手のひらより少し大きい。くぼんだ眼窩は一点の光もない漆黒。ガチガチと嫌な音を立てている。


「どっ、髑髏……!?」


「の、妖怪だな」


 裕昌は顔を引きつらせた。よくアクセサリーやハロウィンの装飾などで髑髏のイラストなどは見たことがあるが、実際に妖怪として現れると、正直言って怖い。

 髑髏とは、死そのものだ。霊魂が抜けてしまったただの抜け殻、それが新たな霊魂を手に入れようとしている。そして、その原因は厄介なことに、大体の動機になる「念」や「想い」といった、どの事象に対しても都合よく変化してしまうものだった。


「さ、最近そういうの多くない……?」


「付喪神……はまあ良いとして、蠱毒、そしてされこうべ。妖怪っていうものは半分がそういうものだ」


 裕昌はうう、と呻いた。あまり関わりたくなさそうだが、本音は黒音も同じだった。黒音などの猫又は猫が長生きし、妖力を手に入れたため妖怪となった存在だ。根本は動物のままで、感情を持ち、意思を持ち、一定の社会性を持っている。善も悪も持ち合わせての生物だ。それが負の感情で埋め尽くされた妖怪を相手にすると、自分の精神も汚染されていく。

 端的に言えば、相手をすると疲れるのだ。


「こういう負の塊は関わりたくないなあ」


「同感。負の感情以外ないからな、こういう奴らは」


 黒音は脇差を構える。しかし、髑髏は慌てて逃げていく。


「あ、おい!待て!」


 黒音と裕昌は再び髑髏を追いかけた。角を曲がり、見失いかけては黒音が屋根からショートカットし、裕昌が回り道をして何とか視界にとらえたままでいる。塀や草木に隠れず、髑髏が律義に路地の道を逃げ回ってくれていることに感謝した。

 全力疾走にも近い速度で走り続けていた裕昌は、流石に体力の限界を感じていた。


「はあっ、はあっ、……っ、ひきこもりには辛い……!」


 しかしそれでも、という、自分でもわけのわからない衝動に駆られている。

 今は黒音が追ってくれている。少しだけ立ち止まり、肺を空にして大きく息を吸う。


「よし」


 新鮮な酸素を取り込んだ裕昌は、もう一度黒音と髑髏を追いかけるために走り出した。




「悪い。見失った」

 

 十字路で立ち止まっていた黒音が発した言葉がそれだった。やっとのことで追いついた裕昌はぜえ、ぜえ、と肩で息をする。黒音も渋面を作って唸っていた。


「あの髑髏、律義に道なりに進むと思っていたら、撒く、ということを覚えたらしい」


 曰く、分身を作って逃げたらしい。


「どう、するんだよ……」


 未だ息が整わない裕昌は、不安げに黒音を見る。黒音はにっこり笑った。


「それはもちろん……追いかける!」


 裕昌がうなだれる。そして、勢いよく顔を上げた。


「……っ、だああああ!こうなったらとことん付き合ってやるうう!」


 半分やけくそになりながら絶叫する。走る覚悟を決めた裕昌は、黒音と共に再び走り出した。

 どのくらい走っただろうか。民家は近くにはなく、あるのは無人のバス停といくつかの会社と思わしき建物。人はいない。いないと思ったが。


「――――――――――――――――――!」


 遠くから叫び声が聞こえた。声からして男性だろう。黒音と裕昌は声のする方へ走っていく。もうすぐ山だ。山の入り口、藪の中にあの白い髑髏が見えた。そして、それに引っ張られていく人間の男も。


「っ、黒音」


「ああ、あの様子じゃ手遅れだな」


 引きずられていく男の足はピクリとも動いていなかった。それに加え、山の入り口に来てみるとおびただしい鮮血が散っていた。血の跡は山の中へ続いている。

 裕昌はゆっくり呼吸をして自分を落ち着ける。人が、死んだ。その間際の声を聞いてしまった。


「裕昌、無理はするな」

 

 黒音が静かに言葉をかける。裕昌は深く一呼吸すると、顔を上げ、黒音の方を見つめた。


「……、うん、大丈夫。行こう」


 きっとこの先、こういうこともあるだろう。自分は何もできないから、せめてこういう人がいたんだと覚えておこう。そんな風に、自分を落ち着けた。



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 生き物の「死」を知っている。大切な誰かの死を知っている。それに比べたら少しだけ他人事に出来て。でも、あの声は耳から離れない。

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 山の中を歩いていく。険しい山道は歩くことしか出来なかった。黒音は「先に行く」と軽々跳躍してあっという間に見えなくなった。

 決して叶わない妄想だが、裕昌は少しだけ夢を見る。

 もし自分が妖怪だったら。もし自分が何かの力を持っていたら、こんな風に足手まといになることもなかったのだと。

 だからせめて、どんなことがあっても家に帰れるように。

 あの時みたいに、知らないところでいなくなってしまうのは嫌で。

 裕昌は剣戟の音が聞こえるほうへ、懸命に歩いていく。

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