黒猫と血塗れのされこうべ 3
* * *
からから。からから。からから。からから。
* * *
噂というものはいつも自然に消滅していく。あれから一週間、人喰い妖怪についての新しい情報は入ってこなくなった。五十鈴屋の妖たちに聞いても、そんな話は聞かなくなったというのだ。黒音はテレビの前のテーブルの上で丸まっている。老夫婦がその横でテレビを見ながらくつろいでいた。裕昌はというと、シンクで洗い物をしている。
『次のニュースです。市内に住む20代の男性の行方が分からなくなっています。行方不明の男性は、昨晩外出してから連絡が取れずにいるとのことです。また、先週にも同じような事件があり、警察は―――――――』
「あらあら、いやあねえ。また行方不明者ですって」
「最近何かと物騒だよなあ」
心配そうに老夫婦が呟く。黒音と裕昌はお互いに顔を見合わせた。二人には、もしかすると、という同じ予感があったのだ。
その時、店の入り口の鈴が鳴った。もうすぐ開店だ、菜海が来たのだろう。
「あ。じゃあ、ばあちゃん、じいちゃん。俺店に出てくるから」
「はーい、行ってらっしゃい。店番おねがいね」
裕昌が居間から店につながる廊下へ出る。そのあとを追おうとした黒音だったが、ふと視界の隅に、刀の付喪神が見えた。何をしているのだろうと、見てみると、せっせと空き段ボールを畳んでいた。しかも綺麗に大きさ順に分別してある。
裕昌に頼まれたわけでもなさそうだが。
「もはや付喪神じゃなくて家政婦だな……」
などと埒もないことをぼやく黒音であった。
一方、裕昌は菜海と開店準備を進めていた。この日は菜海の授業がない日らしい。もちろん不知火もついて来ており、相変わらずのふてぶてしく見える顔で裕昌と菜海を見守っている。
そこに、遅れて黒音がやってきた。
「ちっ、今日も憑いてきやがったのか」
「けっ、今日もよく口が回るようだな小娘」
黒音と不知火の間で今日も火花が散る。その様子を見た裕昌と菜海が苦笑する。
「こら、二人とも喧嘩しない」
裕昌が火花が炎に燃え上がりそうなところを鎮火する。鎮火方法は、裕昌の秘儀、『首裏マッサージ』で。
黒音と不知火は妖怪だが、その本質は猫である。裕昌の手によって瞬く間に火花は収まり、それぞれごろごろと喉を鳴らす。
『ごろにゃーん』
『こいつ、なかなかやるな……』
黒音に関しては脳内すら、もはやただの家猫と化している。菜海は裕昌の技に思わず拍手を送る。
そこに、小妖怪たちがぴょんぴょん跳ねてきた。どこか慌ただしそうに。
「大変だ―!黒猫―!一大事―!」
「一大事……?」
呼ばれた黒音が怪訝な顔をする。手鞠のような妖怪は飛び跳ね続けて黒音に呼びかける。
「また出たって、人喰い妖怪!五十鈴屋にいた仲間が一匹やられた!外に出たときに襲われたみたいだ」
黒音の瞳に険が宿る。
「他に情報は」
「なんか、変な音してたー。かちかち、みたいな、からから、みたいな」
ふむ、と黒音は思案する。はたして目当ての大蛇か否か。
だが黒音には、大蛇であろうとなかろうと見逃すという選択肢はなかった。
「裕昌」
「うん?」
「今日の夜ちょっと行ってくる」
「分かった、気を付け……」
気を付けてと言いかけたそのとき、裕昌が言葉を詰まらせた。そして、少しばかり沈黙が生まれる。
「なあ、黒音」
「?」
「俺も行っていい?」
「……………………はあっ!?」
黒音の心の底からの声だった。
「お前、妖怪とは積極的に関わらないんじゃなかったのかよ」
「まあ、それはそうなんだけど……心配なんだよ」
裕昌には少し嫌な予感があった。それが何か、どういうものかはわからないが。
心配する、ということは信頼していない、というのもあるのだろう。信用はしている、だが、信頼できない。それは何故か。
裕昌は、黒音の過去を聞いたとき思ったのだ。なんでも一人で抱え込んでいるのではないかと。一人で大蛇に戦いを挑み、そして敗走した。代償は左腕。
それに加え、前回、前々回と黒音は単独行動が多かった。裕昌が戦える力を持たず、弱いという理由と、もう一つ、裕昌が妖怪と極力関わりたくない、という僅かな思いを汲み取ってのことだろう。
このままだと、黒音はいつか自分の知らないところで、知らない間にいなくなってしまうのではないかと、裕昌は不安になった。
「疲れてたら抱えて帰るし、いざとなったら、俺を囮にしてくれていいから!」
足手まといであるということは承知の上だ、と付け加える。
黒音は裕昌の真剣な表情を見て、少し考える。
『………そうやって、また……』
黒音は一つ嘆息する。
「分かった。だが絶対に前には出るなよ。いざとなったらあたしを見捨てて逃げろ」
「え、それは……」
「これが約束できないなら、来るな」
裕昌は「見捨てる」という単語に詰まったが、覚悟を決める。それが戦う術を持たない自分が出来る精一杯のことなのだと。
「約束する」
「よし」
黒音は一つ頷くと、ベッドから飛び降り、少女の姿へ変化した。
「ちょっと二階で刀の手入れしてくる」
「うん、行ってらっしゃい」
裕昌はひらひらと手を振る。黒音は二階に行くだけなんだが、とぼそっと突っ込んだ。
その様子を見ていた不知火は、ぴしりと尾を揺らす。菜海ははたきでパタパタと棚の埃を払っている。裕昌もそろそろ事務作業をしようと道具を取りに物置へ向かおうとした。
「おい、裕昌」
不知火が裕昌を呼ぶ。
「どうした?」
裕昌が首を傾げる。不知火は体勢はそのままに、視線だけ裕昌に向ける。
「お前、今みたいにこれからも、あの小娘についていくつもりか」
「多分……」
「やめておけ」
間髪入れずに警告され、裕昌は不知火の意図をつかめずに困惑した。
「それは、どういう……?」
「まず、お前は何の力も持たない人間だ。人間は妖に比べて身体的にも、精神的にも弱すぎる。それを理解したうえでついていくのだというのなら、」
不知火の眼光が鋭さを帯びる。
「いつか死ぬぞ」
裕昌が唾をのむ。「死」という言葉に喉が硬直し、声を発することができない。
裕昌は、やっとのことで声を発した。
「それ、でも」
掌を握りしめる。不知火は次の言葉を待っていた。
「俺は、黒音が死ぬ方が怖い」
不知火は、少しだけ目を見張ると裕昌から視線を外した。不機嫌そうにぴしりと尾が揺れる。
「俺は忠告したからな。あとはお前の責任だぞ」
「うん、ありがとう」
裕昌は不知火をこれでもかというほどのマッサージを行う。
されるがままの不知火は、どうしてこうも変わった人間ばっかりなんだ。などと埒もないことを思っていた。
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