黒猫と血塗れのされこうべ 2

*       *       *


 妖怪というもののほとんどは、人間の負の「想い」が生み出したものである。

 未練、後悔、悲嘆、嫉妬、憤怒、怨恨、絶望。その他。

 人間はそれをまとめて「怨念」という。

 負の想いは形を得ると、人に害をなす。それは生者であれ、死者であれ同じことである。

 それが群れを成したとき、図体はでかくなり、今までは微塵も考えていなかった団結力、結束力というものが生まれる。



 黒音にとってそういう類は、相手にするのも面倒くさいのだ。



*       *       *

 

 翌朝。黒音は五十鈴屋の妖怪たちに人食い妖怪の噂を聞いて回った。


「いつ、どこで、どんな形で現れたか詳しく」


「そんなこと言われても実際に見たわけじゃないからなあ……」


 鼬の妖怪が首を捻る。後ろについてきた兄弟鼬たちも、真似をして首をひねる。

 黒音は仕方ない、と息をつくと、周りに集まった野次馬妖怪に視線を投げた。

 野次馬妖怪たちは、その圧に怯え、ひっ、と声を上げる。


「何をそんなに怯えているんだ。お前たちは何か知らないか」


 呆れ交じりに黒音が問うが、妖怪たちは首を横に振るばかりだ。


「し、知らない」


「そんな噂聞いたことないし、そんなに友達いないし……」


「五十鈴屋にいれば安全なんだから別に関係ない」


 多種多様な返答を受け、「役に立たない奴らめ」とぼやき、黒音はため息をついた。

 五十鈴屋の成人済み男性住人に似たのか、ここの妖は内向的だな、などと埒もないことを考える始末である。

 昨日一夜、町中を駆け回ってみたが、それらしい妖怪は見当たらなかった。これは本格的に探さなければならないか。

 少女の姿の黒音は、片膝を立て、膝に肘をつく形で頬杖をついて唸っていた。そこに、裕昌が階段から降りてくる。今日は休日、五十鈴屋も閉店日である。先ほど朝食を作っていたらしいが、いつの間にか二度寝していたようだ。


「おはよう……。あれ、黒音もう起きてたのか」


「ああ、一刻を争う……は大げさだが、なるべく急ぎたいからな」


 ふーん、と裕昌は生返事をする。裕昌の頭の中は、昨日聞こうと思っていたことで埋め尽くされていた。昨晩自分なりに気持ちを整理しておいた。

 やはり、家族であるからには黒音のことを知っておきたい。一つ息を吸って、勇気を出す。


「なあ黒音」


「何?」


「ちょっと、話したいんだけど」


「?」


 黒音は不思議そうに裕昌を見るが、裕昌の表情がいつになく真剣だった。黒音はしっかり頷く。周りの小妖怪たちは空気を読み、散り散りになって去っていった。




「んで、話したいこととは?」


「黒音のことについて」


 裕昌と黒音は正座して対面している。突然、黒音自身のことについて聞きたいと言われた本人は、はっ、とした表情をした。


「まさかあたしがいらなくなった……!?菜海と不知火が来たから古株のあたしは邪魔だってか!?酷いっ、酷すぎるぞ裕昌!」


「すぐに茶化すんじゃないっ!」


 よよ、と泣く真似をする黒音に突っ込む裕昌。しかし、黒音は「冗談だ」と、すん、と泣きまねを止めた。


「あたしのことってのはなんだ?」


「うん。黒音のことが知りたい。生まれた場所とか育ったところとか、あと、今どうしてそんなに焦っているのか」


「焦っている……?あたしが?」


「え?俺にはそう見えたけど」


 黒音はかりかりとこめかみを掻く。

 隠していたつもりだったが、この男はなかなか鋭い時があるようだ。


「あたしのことを知って何になるんだ」


「…………」


 しばし沈黙。黒音は裕昌の方を見た。裕昌は少し照れ臭そうに顔をそむける。


「……五十鈴家の家族だから」


 黒音は目を丸くし、呆気に取られているようだった。


「へえ、驚いた。お前、妖怪とはなるべく接触しないんじゃなかったのか」


「なるべく接触したくないけど、でも黒音は別」


 それに、結局黒音に係れば、妖とのつながりもできてくるのだろうと。自分から積極的にかかわることはないが、妖怪のことは否定しない。

 それが、昨晩で裕昌が自分なりに考えたけじめであり、答えだった。

 黒音もそれを感じ取ったのか、柔らかな表情を見せた。


「いいぜ。あたしの過去、ちょっとだけ教えてやるよ」


 そして、肘から先のない左腕を握りしめる。


「隻腕になった理由もな」







 時は明治が大正へ変わる頃。江戸の時代に生まれた黒音はしばらくして、五十鈴屋がある鈴鳴町に存在し、妖と人間が共生している「鈴鳴怪道」と呼ばれる場所に身を寄せていた。幼く親もいなかった黒音を育ててくれた化け猫の姉貴分がいる場所である。

 裕昌と同じように、その姉さんは店を経営していたのだという。黒音はそこでしばらく居候しながら手伝っていた。

 ある日、鈴鳴怪道に一匹の妖がやってきた。それは蛇のような妖怪だった。いや、蛇というには大きく、神々しく、禍々しかった。人はそれを「大蛇(おろち)」という。「大蛇(だいじゃ)」ではなく、龍神を指す「大蛇(おろち)」と呼んだのだ。

 それは「災害」そのものであった。家屋を壊し、道を壊し、木々を壊し、人間を壊し、妖怪を壊し。壊して、壊して、壊して、壊して、壊しつくした。

 それは、黒音と姉さんも例外ではなかった。まだ戦う術を持っていなかった黒音は、大蛇にとって格好の餌食だ。案の定、黒音に牙は向けられた。それを、化け猫の姉さんは庇った。庇っただけではなく、戦い、退けたのだった。幸い一命を取り留めたが、その際癒えない傷を背に負った。血は流れないが、痛みだけが残る。呪った本人が消えない限り続く呪いである。

 

「あたしは、皆の仇討ちと姉さんの呪いを解くために、強くなって大蛇と戦った」


 鈴鳴怪道襲撃から十年が経った頃だった。黒音は大蛇と戦った。

 黒音はそこまで話し終えるとふう、と一息ついた。


「とまあ、可愛い可愛い黒猫は、若気の至りで大蛇に無謀な戦いを挑んだ結果、敗れた挙句、左腕と共に妖力もごっそり持っていかれましたとさ」


 おしまい。とまるで童話のように話を締めた。裕昌は想像以上の出来事に、絶句していた。


「その時に姉さんと同じ呪いを受けてだな、あたしの腕は何故か傷を受けたときのまま」


「え」


「見るか?ちょっと刺激が強いかもしれないが」


 ばっ、と袖をめくり、断面図を見せた。裕昌は思わず顔を手で追い、目線をそらした。


「いい、いい!黒音、もう見たから!」

 

 黒音ははーい、と素直に袖を戻す。


「つまり『新鮮』、腕が取られてすぐ後の状態ってところだ。毒でも入れとけば壊死してダメになっていたものを、あの馬鹿はそれをしなかったのさ」


「というと……?」


 裕昌の問いに黒音がにやりと笑う。


「あたしの腕は、多分、取り返し次第修復可能ってわけだ」


 裕昌は思った。この黒猫、全然懲りていない。大蛇に負け、左腕を取られたにもかかわらず、また戦おうとしている。


「探しているのは大蛇なのか」


「もちろん。今はどこに隠れているのやら」


「黒音の左腕はどこにあるんだ?」


「多分あいつが抱えているんだろうさ。何を考えているのかよくわからんが……」


 まあ、おいそれと渡すつもりはないのだが。

 曰く、黒音の左腕に簡単な妖力の壁を作ってきたらしい。食べるのに口内くらいは持っていける威力を潜ませておいた。

 

「じゃあ、もう一つ聞きたいんだけど」


「?話せることは全部話したつもりだが」


「………どうして、あの時、俺を選んだんだ?」


 裕昌が言うのは黒音と出会ったあの時。猫カフェの店員は、黒音が裕昌にしか懐いたことがないと言っていた。選ぶのなら見鬼の力を持っているほうが良いだろうに、何故か裕昌を選んだ。


「それ、は……」


 黒音が言葉に詰まる。その声はいつになく弱弱しく、小さかった。何かを言いかけて、口をつぐむ。そして、しばらくの沈黙の後口から出た言葉は、


「なんとなく、だな」


 の言葉だった。裕昌は思わず前のめりになる。


「なっ、なんとなく、なんて単純な理由じゃないだろ!?他の理由があるんじゃないのか!?」


「いや、本当に、なんとなく」


「嘘つけ!」


 裕昌がじーっと黒音を見つめる。黒音は恥ずかしそうにそっぽを向いた。


「女の勘ってやつだよ。本当に」


 裕昌はまだ納得していない。だが、どうやら信じてもらえるようだった。


「女の勘を舐めるなよ?人が好さそうで動物が好きな人物くらい見分けれるってもんだ」


「そういうものか?」


「そういうものだ」


 などと冗談を言い合う。黒音はそのやり取りをしながら、穏やかな時間に目を細める。


『本当は、理由はもう一つ』


 黒音が微笑み、しかしどこか寂し気な表情を浮かべていることに、裕昌は気が付かない。

 願わくば。


 この時間が奪われることなく、永遠に続きますように。


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