第3話 黒猫と血塗れのされこうべ

黒猫と血塗れのされこうべ 1

 菜海と不知火が五十鈴屋に来るようになって、もうすぐ一ヶ月になる。菜海も視えはしないが、妖怪たちがいる五十鈴屋での仕事に慣れてきたようだった。

 菜海が品出しをしていると、段ボールに入った小物がひとりでに動き出す。それに気づいた菜海は、小物の方を見て微笑んだ。


「手伝ってくれるの?」


 そうだと言わんばかりに小物が上下する。


「ありがとう、じゃあそれはこの棚に置いてくれる?」


 小物はぴょんと棚に飛び乗ると指定された場所で静止した。その様子を見ていた裕昌は苦笑する。


「すごい順応力だな……」


「あの小妖怪どもが素直に言うことを聞いている……」


 黒音が猫用ベッドの上で呆気に取られている。五十鈴屋の小妖怪たちが率先して菜海の手伝いを行っているのだ。


「できれば俺の方も手伝ってほしいんだけど」


「その重さじゃ、あいつら潰れるぞ」


「デスヨネー」


 裕昌が肩を落とす。

 こんな風に、平穏極まりない日常がしばらく続いている。黒音を除いて。

 黒音はあまり心穏やかに過ごせていない。裕昌と菜海の距離感がどうも気に食わない。先日、顔を知らなかった友人であったことが発覚し、「ひろくん」「菜海ちゃん」と呼び合うほど仲良くなっている。

 一気に距離が近づいた二人に、なにか違う気持ちがあるのではと勘繰った黒音が裕昌に問うたところ、


『別にそんな関係じゃないよ』


 と笑って流された。が、黒音はいつ「そんな関係」に発展するか気が気でない。

 そしてそれを面白そうに見ている傍観者が一匹。黒音の平穏を脅かすもう一つの存在。


「なんだ、お前そんなにあいつのことが好きなのか」


 白い猫、不知火が黒音と反対側のベッドで丸くなりながら呟いた。

 きっ、と黒音が不知火を睨む。


「別に裕昌にそういう感情抱いてないしー!相棒として心配なだけだし―!」


「俺は別に裕昌だとは言ってないぞ」


「うぐっ」


 黒音が呻く。不知火がやってきてからというもの、連敗記録が更新され続けている。その影響かわからないが、五十鈴屋の妖が完全に黒音を舐めている態度へ変化している。とても分かりやすく。

 いかん。威厳を取り戻さなければ。このままだと裕昌が妖怪たちのおもちゃにされてしまう。

 実際問題、おもちゃにされつつある。それは黒音が威厳を無くしつつある、とかいうことではなく、裕昌が今も妖怪に消極的に接しているからである。裕昌自身、呪いの刀騒動をはじめ、蠱毒まで持ち込まれるなど、事件に巻き込まれてから妖怪と接することをあまり快く思わないようになっていた。それを表には出していないが、小妖怪は思っている以上に、変化に敏感だ。だからこそ、小妖怪たちは裕昌に構ってほしくておちょくっているのだ。

 黒音への態度はどうかと言われると、あまり変わっていない。裕昌の中での黒音は「家族になった猫が、たまたま喋れる猫又だった」という風になっているらしい。裕昌は黒音を「猫」の体で接している。また、黒音が猫耳少女の姿で接するのが滅多にないということもあるだろう。


「そうだ、おい黒猫」


「なんだよ」


 小妖怪の一匹、鼬の妖怪がカウンターの下から呼びかける。黒音は覗き込んで鼬に返事をする。


「最近妖怪仲間が減っているんだ。そこで妙な噂を聞いたんだが……」


 次に鼬から放たれた言葉に、黒音の表情が一変した。


「その妖、人も妖も喰うらしい」






「今日から夜は出かける。朝ごはんまでには戻るから心配するな」


「え、うんいいけど、一人で大丈夫か?」


 黒音は少女の姿で脇差の状態を確認する。刃毀れはどうやら無く、蠱毒の毒でも溶けていないようだった。さすが薬屋の毒消し、効果は絶大だったようだ。

 裕昌は、どこか気が立っているような焦っているような黒音の様子に心配を隠せない。


「これ以上裕昌を巻き込めないし、これはあたしが自分で首を突っ込む。だからあたし一人で十分だ」


 そういうと、脇差を鞘に納め、窓から外へ飛び出した。裕昌は、黒音が出ていった後を視線で追う。窓から黒音を探してみたが、もう姿は見えなかった。


「黒音、何か焦ってた……?」


 何故、黒音は焦っているのだろう。何故、今回の噂には自分から首を突っ込んだのだろう。

 裕昌の中で、疑問が次々に浮かんでくる。

 妖怪と積極的に接するのは控えることにしたが、一方で、黒音のことを何も知らないということに、焦燥感も覚えている。その理由に、菜海と不知火の存在があった。

 蠱毒事件のあと、不知火は菜海に裕昌を介して自分の生い立ちなどを知らせたうえで、菜海に自分と関わるのか、という質問を投げかけた。菜海はそれでも共に暮らすという選択を取ったのだ。




*        *         *

「俺は隋の時代から生きている妖怪だ。猫鬼という呪詛の一種で、蠱毒だ」


「うん」


 裕昌の口で、不知火の言葉を菜海に繋ぐ。


「近くにいることで、お前の身に何かあるかもしれない。妖怪が寄ってくるだろうし、俺の妖気の毒に中てられるかもしれない」


「うん」


「これを聞いたうえで、お前は俺と関わるのか」


 菜海は目を丸くしたが、にっこり微笑んだ。偽りのない笑みだった。


「不知火は、私が幼いころから私を守ってくれてたんでしょ?」


 不知火はじっと聞いている。


「それに、今まで一緒にいたのに毒気に中てられてないってことは大丈夫ってことじゃない?」


だから、と続ける。


「私は一緒に暮らしたいな」


「………物好きな娘だな」


 不知火が裕昌に聞こえないくらいにぼそっと呟く。だが、いつも仏頂面な不知火の瞳が、どこか優しげなことに裕昌は気が付いた。


「だって、不知火は家族だもの」


 菜海は無愛想な白猫をぎゅ、と抱きしめた。


*          *        *




 その一部始終に関わっていた裕昌は、黒音のことを何も知らないし、黒音も裕昌の過去を知らないのだと気が付いた。

 これからも共に暮らしていくならば、一度話し合いたい。だが、そこで裕昌は臆病風に吹かれていた。

 もしも今の生活が続かなかったら。もしも、黒音がどこかに行ってしまったら。

 だったら過去の話なんてしない方が良いのだろうか。


『だって、不知火は家族だもの』


 菜海の言葉が頭の中で木霊する。


「家族、か……」


 その時、一階から老夫婦の声が聞こえた。


「ひろくーん、ちょっとお願いできるかしらー?」


「はーい!今行くよ!」


 多分重い荷物が届いたのだろう。最近、五十鈴屋の経営はほとんど裕昌がこなしている。老夫婦は商品の発注や、地元で人気のある手作りの細工を作ることに専念していた。

 慌てて階段を降りていく。

 誰もいなくなった裕昌の部屋に、白い服を着た女が音もなく現れる。机の上には資料が散らばり、ベッドの掛布団は起きたときのままだ。付喪神は少しばかり散らかった部屋の片づけを黙々と始めた。



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