黒猫と血塗れのされこうべ 5

 先にたどり着いた黒音は、一体の骸骨が横たわっていることに気が付いた。背丈からして、先程の人間だろう。しかしこの短時間で骨だけにしてしまうとは、どんな大食漢か。

 樹の陰から何かが出てくる。それは、先ほどの髑髏の何倍もある大きさだった。

 

「肉を食べ、髑髏は身体に、霊魂は妖力に、か」


 がちがちと不快な音を大髑髏が出す。


「妖怪が妖怪退治。正義の為でもなんでもなく、ただ邪魔者を潰すのみ!」


 黒音が脇差を構えると同時に、大髑髏が自分の図体から小さな髑髏をざっと百ほど分裂させた。黒音は脇差で、時に蹴りと拳で髑髏を粉々に砕いていく。どうやら、粉々に砕けば元には戻らないらしい。大髑髏は更に小髑髏の数を増やす。


「ちっ」


 数に対処しきれなくなってきた黒音に、小髑髏が噛みつこうと飛び掛かってくる。それを躱すが、着物の袖が犠牲になる。その刹那にまた別の髑髏が飛び掛かってくる。それを何回も何十回も繰り返すうちに、黒音の体にはかすり傷が増えていった。

 だが、いつしか髑髏の数も減っていった。


「さあ、あとはお前だけだぞ。でかいの」


 残った小髑髏を自分の体に戻し、大髑髏は光のない眼で黒音を凝視する。そして、その大きな顎を開き、黒音に襲い掛かった。

 大きい図体とは裏腹に、動きは俊敏だ。あの大きな口は黒音は丸のみにされてしまうほどである。黒音は躱すと、脇差を振り下ろした。が、ひびが入っただけで、たちまち治ってしまう。


「なるほど。これは厄介な」


 やはり完全に砕くか両断しないと効かないらしい。ではどうする。砕くことができないなら、灰にしてしまえばいい。

 黒音の脇差が赤く輝く。妖力はやがて焔と化し、刃にまとわりつく。


「やっぱり……少しだけ妖力が戻ってるな」


 それは腕を失う前のことだ。黒音は確信していた。天敵は近くにいる、と。

 それがどこかはわからないが、今は目の前の敵に集中する。


 名前は呪である。名前を付けられたものは、名前を付けられて初めてその効果を発揮する。黒音は自分が持っていた火の力をより強大な炎へと昇華させた。それは脇差の持つ火の力と合わさり、勢いを増す。その力に、黒音は神の名前を借りることにした。

 「軻遇突智」。母神を殺し、父神に殺された火の神の名である。故にその火は「神殺し」の力である。

 黒音は、神に近しい大蛇を倒すために、その名前を借りた。神域には入れないため愛宕の山の天狗に頼み、名前を借りたい旨を伝えてもらったところ、何故か許してもらえた。それは今でも不思議で仕方がない。

 そんなこんなで、黒音の炎は、神殺しには及ばないものの、それでも十分すぎる威力を持った。

 

「成仏してもらうぞ。怨念の塊!」


 そういって、黒音は炎を放った。

 炎は厄災でありながら、浄化の一面も持つ。魂を正しく冥府へ送るために燃えるのだ。

 今黒音が放った炎もまたしかり。

 大髑髏が咆哮ともとれる音を出す。怨念が剥がれていく。

 弔いの念を乗せた炎は、大髑髏を灰へと変えていく。だが、黒音は忘れているものがあることに気が付かない。そもそも、その可能性はないだろうと勝手に決めつけていた。



 もう一つ、残されているのだ。骸は。



 大髑髏をまとっていた炎が爆発する。突然のことに黒音は飛んで後方に退いた。


「なっ!?」


 炎が爆発した理由は、怨念が大きすぎたからだと思ったが、ちがう。消えかけた大髑髏の意地と、外部からの干渉があった。詳しく言えば、人間だった者の骨である。

 炎は霧散し、代わりに大髑髏、いや、違う妖が姿を現した。


「いやいやいや、それは聞いてないんだが……!?」


 半壊した大髑髏は、巨大な体躯を得ている。大きさでいえば5メートルほどと言っても過言ではない。この妖怪を知っている。知らない者はいないほど、有名な妖怪。これも怨念から生まれる骨の妖怪。


「がしゃどくろ……!」


 爪は鋭く、その手にかかれば人間や動物などいとも簡単に引き裂かれてしまうほど。

 がしゃどくろは黒音めがけて、その大きな手を振りおろした。黒音は咄嗟に躱し、脇差を再度構える。黒音がいた場所は大きくへこんでいた。あれを受ければこちらとてひとたまりもない。もう一度振り下ろされた手を躱し、黒音は腕の骨を駆け上がっていく。

 まずは、下半身を切り落とし、動けなくする。股関節から右足、左足と落とし、炎で燃やしていく。関節に入れば斬るのは簡単で、黒音は脇差を突き立て切り落とした。

 足を失ったがしゃどくろは、音を立てて崩れ落ちた。残った股関節と、両腕で体を支えている。がしゃどくろは、背骨に立っている黒音を振り落とした。

 落下する黒音をボールのごとく、跳ね飛ばした。


「っ!」


黒音は木の幹に叩きつけられた。かなりの大木だったため凹む程度で済んでいるが、細い木であれば折れていた衝撃だ。黒音は衝撃で体中の骨が軋むのを感じた。脇差を地に刺し、支えとして立ち上がる。


「げほっ、……これは長丁場になりそうだな」


 よろめきながら、もう一度体勢を立て直す。


「黒音!」


 声がした後方を振り返れば、裕昌がやっとのことで追いついたのだった。かなり長い道のりだったのか、かなり息が上がっている。

 裕昌は、目の前の大きな骸骨にぎょっ、と目を丸くした。


「な、なんっ、掌位の髑髏がどうしてそうなった!?」


 小さい髑髏が大きい髑髏になって、がしゃどくろになっているんだがな、と黒音が心の中でぼやく。


「裕昌、お前は木の陰に隠れてろ!少し事情が変わった!間違っても前に出るな!死ぬぞ!」


 なるべく短く、簡単に警告する。大髑髏くらいなら、躱せ、などと指示できるのだが、この巨大な骸骨にはそうもいかない。躱せ、と言っても躱しきれないほどの大きさだからだ。

 裕昌は一つ頷くと、指示通り木の陰から黒音を見守る。

 黒音はがしゃどくろの肩を落とそうと、再び駆け出した。横から薙ぎ払うように、大きな骨の手が迫るが、黒音は跳躍すると、その指の上に乗った。関節に脇差の刃を突き立て、妖力の炎を燃え上がらせた。がしゃどくろの右手が燃え上がり、親指と人差し指が燃え尽きたようだった。怒り狂ったがしゃどくろは、黒音にその鋭い爪を振りかざす。ぎりぎりで交わした黒音の頬に、うっすらと一筋の血が流れた。

 どうやら足を落とされ、指も落とされたがしゃどくろはかなり怒り、焦っているようだった。

 これでは、このままでは黒猫又に殺されてしまう。どうにかして力を戻さなければ。どうする。

 半分ほど失われた顔、切り落とされた下半身、燃え尽きた指二本。力が、妖力が足りない。

 ―――――――――なら、補充すればいい。


「……?」


 明らかに動きが変わった。がしゃどくろは黒音に向かって再度その手を振り下ろすが、その手は黒音の手前に落ち、土埃を立てた。


「くそっ……!」


 視界が悪くなる。黒音は咳き込みながら、がしゃどくろの姿を探す。土埃が視界を遮っているとはいえ、そのでかい図体は浮かび上がっている。

 だが、黒音は一つのことに気が付いた。

 大妖怪は、黒音よりも後方へ向かっている。後方には、木が。木の陰には、彼が。



 木の陰に隠れていた裕昌は同じく土埃に咳き込んでいた。腕で埃を遮りながら、何とか目を凝らして二匹の妖怪を探す。幸い、大きいほうの妖怪は視認できるようだった。だがしかし、その大きな影は裕昌の方へ向かっている。


「え……」


 狙いは自分だった。裕昌は逃げようと走り出した。走り出したつもりだった。頭では逃げなければ、とわかっていても、足が鉛のように重く、動かない。

 気づいたときには、大きな骨の妖怪は目の前にいた。

 ああ、もう逃げられない。

 裕昌は死を覚悟する。

 がしゃどくろは残った右手の三本の爪で、目の前の人間を引き裂こうと、手を振りかざした。


「―――――――――――――!!!!!!」


 誰かが叫んでいる。自分の名前を叫んでいる。

 裕昌は思わず、腕で顔を庇った。

 振り下ろされた三本の爪は肉を引き裂き、特有の嫌な音がした。

 吹き出たものは熱湯のように熱くて、だが、痛みは不思議なことに無かった。

 体が倒れる。何かに押し倒されたように、体が重い。



―――――――――――――――――いや。



 何かに押し倒された。熱いものがじわじわと広がって、骨の爪からは朱いものが滴っている。なのに、痛みはない。何故。

 裕昌は、無傷だった。

 自分の上に乗っかっているものを、体を起こして見る。

 綺麗な黒髪、猫の耳、花の形をした組みひもは桃色で、同じ色の着物は―――――――。

 着物は、朱かった。

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