黒猫と血塗れのされこうべ 6
ぐったりとして動かないそれを、裕昌は震える手で抱き上げた。
「く、ろ………ね……?」
腹あたりから流れている朱いものは広がることを止めない。裕昌の服と腕と手を、瞬く間に朱く染め上げる。
「黒、音……黒音……!黒音!」
「…………ぁ………」
ほとんど吐息と変わらない声が、血のこびりついた唇から漏れる。黒音はゆるゆると瞼をあげた。
「ひろ、まさ……?」
どこか安堵した表情を見せる黒音。だが、名前を呼ぶ声は消えそうなほど掠れていた。
「黒音のばか!なんで……っ、なんで庇ったりしたんだよ!」
黒音がぺちっ、と泣きそうな顔をしている裕昌の頬を叩く。本人の中では叩いたのだが、あまりにも弱弱しく、裕昌は思わず黒音の手をつかむ。
「たいせつ、だから」
「……は……?」
「………ちょっと、つかれた……。ねる……」
そういうと、黒音は瞼を閉じた。息はある。脈も未だある。だが、すべて止まってしまうかもしれないほど浅かった。裕昌は、黒音と約束した「何かあったら見捨ててでも逃げる」というものを忘れてしまっている。正直、そんな心の余裕はなかった。
今目の前で、黒音が瀕死だという恐怖と戦うのが精一杯だ。
「大切だから、って……前もそんなこと言って、なんで……」
刀の呪いで死の淵にいたとき、黒音は絶対に死なせるもんかと、言ったのだ。裕昌はちゃんと聞こえていた。あの時から、どうしてこの黒猫は出会って間もない人間をそこまで大切にするのか、という疑問が裕昌の中にあった。
妖怪は人間より生きる時間が長くて、自分より大切なものなんていくらでもあるに決まってる。それでも裕昌は黒音を一番大切にしようと決めている。
たとえ、黒音にとっての本当に大切なものが裕昌でなくても。そう思っていたからこそ、庇った行動が理解できなかった。
「自分の命の方が大切だろって……」
裕昌の中の感情はぐちゃぐちゃだった。
なにがあってもちゃんと連れて帰れるように、そう決意してこの場に来たはずなのに、いざとなると体が思ったように動かない。
やっぱり自分は何もできないのだと実感させられる。
追い打ちをかけるように、がしゃどくろが吼えた。瀕死の猫又と、何もできずに座り込んでいる人間を見て、好機と思ったのか、再び攻撃態勢に入る。裕昌は黒音の上に覆いかぶさるようにして庇う。こんなことをしても、何にもならないと知っていながら。
そして、裕昌と黒音にがしゃどくろの爪が迫った。
刹那。
白銀の光が一閃した。ぱらぱらと、何かが落ちる音が聞こえる。
「え?」
何が起こったのか理解が出来ない裕昌の目に飛び込んできたのは、いつも無口な、刀をもった女性ががしゃどくろと対峙している光景だった。
「お前……っ、付喪神の……」
かつては裕昌を死の淵まで追いやり、操ろうとした張本人。最近は裕昌の知らない間に、掃除やらごみ捨てやら何かと家事の手伝いをしてくれていた付喪神。何故ここに居るのだろう。
付喪神は何も答えず、がしゃどくろを見据える。よく見ると、がしゃどくろの右手が綺麗になくなっていた。今、落ちている破片は、その右手だったものなのだと気が付く。
付喪神は、がしゃどくろにむかって走り出した。骨の妖怪は突如現れた邪魔者を排除しようと、残った体と左手で攻撃する。大きく、潰されればひとたまりもない重量はある。付喪神の上に、大きな左手が落とされた。
なす術もなく、消滅した。裕昌も、骨の妖怪もそう思っていたのだ。
落ちた左手に、光の亀裂が走る。粉々に砕け散った欠片の中から、付喪神が無傷で飛び出す。そして、そのまま左肩を落とした。
次にあばら、右腕、背骨、右肩。みるみるうちに数メートルもあった巨体は、元の大髑髏の大きさに戻っていた。残るは、半壊した頭部だけ。
「すごい……」
長い髪と白い裾を翻しながら、次々と部位を落としていく様は、まるで白桔梗のように美しかった。呪われていた時よりも、ずっと美しく、そして強かった。
大髑髏は残った頭部で最後の力を振り絞る。その顎を開けば、付喪神などたやすく噛み殺せるのだ。
だが、顎を開くことしかできない。付喪神は大髑髏を一太刀で、縦に両断したのだった。刀に付いた破片を払うと同時に、大髑髏は怨念とともに消滅していく。それはまるで、浄化したかのようで。
その始終を、呆気にとられながら見ていた裕昌だったが、すぐに我に返り、黒音のことを思い出す。
「黒音……!」
幸い、出血は先ほどよりも少なくなっていた。。裕昌は自分が羽織っていた上着を、黒音の腹部の傷口に巻く。見るのも痛々しいほど、肉がえぐられていた。
裕昌は、正体を無くした黒音を抱え、傷口がこれ以上開かないように気を付ける。
刀の付喪神を呼ぼうとして、さっきまでいた場所に姿がないことに気が付く。
「あ、あれ?」
あたりを見渡すと、裕昌の近くにある樹の陰から、こちらの様子を伺っているようだった。
「ちょっと手伝ってほしい」
そう呼びかけると、刀の付喪神が小さくこくりと頷いた。戦っていた時とは別人かと思うほど遠慮がちに。
「どこか妖怪を手当してくれる場所、知らない?」
付喪神はふるふると首を横に振る。裕昌は懸命に次しなければならないことを考える。そういえば、黒音の知り合いに薬屋を営んでいる妖怪がいるとかいないとか。
「その人たちはどこにいるんだろう……」
これも、教えてもらおうと思って先延ばしになっている。話し合って、黒音のことは知った気でいたことを改めて気づかされる。
「本当に俺、何も知らないんだな……」
自己嫌悪に陥る裕昌。黒音の体から少しずつ熱が奪われている。
ふと、刀の付喪神が気配を感じて辺りを見渡す。火が、灯っていた。
一つ。二つ。三つ。
その数は瞬く間に多くなり、まるで道のように列をなす。
「なっ、なにこれ!?」
火の玉の道のその先に、一人の少女がたたずんでいた。暗くてよく見えないが、灯籠を持って手招きをしている。
「あ、ああいう怪しい手招きって、ついていっちゃいけないんじゃ……」
「敵意はないようです。ついていってみますか?」
突然、刀の付喪神が喋った。その事実に裕昌が驚く。
しゃ、喋れたのか。
だが、その言葉通り、ついていく選択肢しか無い。かなりの出血量だ。早くしないと黒音の命が危ない。
手招きする少女のもとへ、裕昌は一歩踏み出す。刀の付喪神は、裕昌の後ろを守るように、共についていくのだった。
見知らぬ少女について行き、どれくらいが経っただろうか。大分山の深くまで来た気がする。ある地点で、裕昌は少女の姿を見失った。と、同時に、小さな小屋を見つけた。
その小屋には木の板の縦看板があった。
「薬屋……水仙堂……?」
4話へ続く。
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