第4話 黒猫と護りの刀

黒猫と護りの刀 1

 裕昌は膝を抱えてまどろんでいた。蝋燭一本の火がゆらゆらと揺らめいている。時刻はとっくに朝の三時を超えていた。ふと、目を開けて横を確認する。横たわっている少女の、規則正しい寝息が聞こえた。裕昌はそれを聞くともう一度目を閉じ、今度こそ夢の中へ旅立っていった。



 『薬屋 水仙堂』。それが、裕昌と付喪神が案内された場所だった。先に中に入った、手招きをしていた見知らぬ少女のものらしき声が聞こえる。


「師匠―、連れてきましたー!」


 中から二つの人影が出てきた。丁度月明りが二人を照らす。一人は先ほどの少女。緑の髪を二つに結い、緑と黄色の羽根飾りをつけている。そしておそらく師匠と呼ばれた人物を見て、裕昌は絶句した。

 嘴。白髪が生えた頭の上には皿。手には明らかに人間のものではない水掻き。

 日本で一番ポピュラーな妖怪と言っても過言ではない、それの名は。


「河童、だ……」


 裕昌の口は開いたままふさがらない。河童は動かない黒音に近づくと、目を据わらせた。


「まったく、懲りない小娘じゃのう。これ、聞こえておるか馬鹿娘」


 河童の老婆は、黒音の耳を持ち上げる。


「無償で手当てするのはこれが最後じゃからな。これ以上は赤字になるわい」


「……うるさいばあさんだな」


 それまでぴくりとも動かなかった黒音が顔をしかめて、小声で文句を言う。河童の老婆は少女の方を振り返る。


「あせび、止血剤と消毒薬を用意しなさい。しかもとびきり傷口に沁みるやつ」


「さいてー」


「それほど口が回るなら大丈夫じゃろ」


 黒音は不満げに一息つくと、裕昌の腕の中でもう一度意識を手放した。

 少女、もといあせびは、小屋の中へ入っていく。河童の老婆は今度は裕昌に視線を向けた。


「ふむ、おまえさんが火夜かよの新しい友達かい」


「あ、はい。えーと……、火夜?」


「今は別の名前か。その黒猫の呼び名じゃよ。わしと、その子の周りの妖怪は皆火夜、と呼んでおる。まあ、もともと名前がなかったし、呼ぶためだけに付けた名前じゃがな」


 河童の老婆は入れ、と言わんばかりに手招きをする。裕昌はそれに従い、小屋の中へ入った。後をついて行こうとした河童の老婆は、刀の付喪神が外に残ろうとしていることに気が付き、優しく声をかけた。


「おまえさんも入ると良い」


 おずおずと刀の付喪神は河童について行った。一方、裕昌から思わず感嘆の声が漏れる。部屋の中には壺や薬研、薬棚などが多く並べられており、いかにも薬屋という感じだった。

 すると、更に奥の方からあせびがこっちです、と呼びかける。裕昌は黒音を抱いたまま奥へ進んでいく。すると、几帳の奥に如何にも固そうな枕と筵が敷かれていた。


「あ、ここに寝かせて大丈夫です」


「え、大丈夫なの?」


「うちは貧乏なので、薬以外に使えるお金がないんです」


 あまり踏み入ってはいけない話題な気がして、裕昌は黒音を筵の上に寝かせる。


「じゃあちょっと脱がしますので、後ろを向いていたほうがいいかもです。いろんな意味で」


 そう言うと、あせびは黒音のボロボロになった着物を脱がし始めた。慌てて裕昌は身体ごと後ろを向く。妖怪とはいえ、人の姿で異性の裸を成人済み男性が見るのはどうかと思うし、そもそも抉れた肉が見えるのが、裕昌には耐えられなかった。

 どのくらいそうしていただろうか。あせびの「はい、終わりました」という声で、恐る恐る振り返る。着物はボロボロのままだったが、どうやら腹部は包帯で巻かれているようだった。


「うむ、終わったか」


「はい」


 そこに河童の老婆と刀の付喪神が姿を現す。河童の老婆はどれどれ、と包帯の様子を見る。


「まあ80点じゃな」


「ありがとうございます」


 裕昌は会話の内容をつかみあぐねて困惑している。


「では、自己紹介でもするとしようかの」


 裕昌の目の前に河童の老婆がよいしょ、と腰を下ろす。その隣にあせびも正座する。裕昌の隣には、刀の付喪神が腰を下ろした。


「わしはこの薬屋を営んでいる店主じゃ。名を水仙。それ以外はただの老いぼれた雌河童じゃよ」


 水仙が次に、あせびの方を見る。


「そしてこの子が、わしの跡継ぎ(仮)のあせびじゃ」


「あせびと申します。今は見習いの身ですが、よろしくお願いします」


「あせびは「鴆」という妖怪じゃ。解毒のことはこの子の方がよーく知っておる」


 毒、という単語で裕昌は思い出した。蠱毒の件の時、黒音が知り合いのもとを訪れた、と聞いていたがここだったとは。


「おぬしの名は何という?」


「あ、五十鈴裕昌です。黒音……火夜?とはまあ、ひょんなことから出会いまして、ただの人間がちょっと霊視能力持っちゃった、みたいな感じになってます」


「ひろまさ……?」


 水仙が胡乱げに呟く。少しなにかを思い出そうとしているようなそぶりを見せる。


「あの……?」


「いや、気にするな。昔聞いた名前に少し似ているなと思っただけじゃ」


 いやあの、めっちゃ気になるんですけど。

 という言葉は呑み込んで、とりあえずへえ、と相槌を打っておく。


「それで、隣の付喪神は裕昌の連れか?」


「えーと……」


 裕昌はどのように説明しようか迷う。呪いの刀の件を話せばややこしくなるし、それ以外の関りを話すとなれば知らなさすぎる。

 裕昌が悩んでいると、刀の付喪神は床に手をつき、深々と頭を下げる。その所作はしなやかで美しかった。


「わけあって、五十鈴裕昌様の住まいに身を置かせていただいている、名もない付喪神でございます」


 ふむ、となにか思案するそぶりを再び見せる水仙。


「なるほど、わけありか……あせび、少し出かけてくる。店を頼むぞ」


「はい、いってらっしゃいませ」


 そう言うと、水仙は小屋を出ていった。残されたあせびは、裕昌と付喪神に微笑む。


「もう夜も遅いですし、少しお休みになってください。掛け毛布くらいは用意できますので」


 そういうと、あせびは毛布を取りに隣の部屋へ。裕昌と付喪神は沈黙したまま座っている。


「……そういえば、お礼がまだだった。ありがとう。助けてくれて」


裕昌が付喪神の方を見る。付喪神の表情は、髪に隠れていて見えない。裕昌は膝を抱えて、その上に顎を乗せた。


「あの時、君が助けに来てくれなかったら俺も黒音も死んでた。本当にありがとう」


 それまで表情がわからなかった刀の付喪神が、少し嬉しそうに照れている。裕昌は、少し驚いていた。今までこのような表情を見せることはなかった。いや、それもあるが、裕昌自身が付喪神に無意識に恐怖心を抱いていたからだろう。あまり近寄ろうとも思わなかった。


「あ、そう言えば最近、よく部屋が片付いていたり、ごみが分別されていたりしてたのって、もしかして君?」


 付喪神は遠慮がちにこくりと頷く。


「な、なんというか、ギャップ萌え……?」


 裕昌の中での付喪神のイメージは、あの事件で「恐ろしい」「強い」などといったマイナスなものが定着している。思ったより面倒見がよく、几帳面なのだろうか。


「君は……ってか、名前がないと呼びづらいな。名前はなかったんだっけ?呼び名とかも?」


 刀の付喪神はふるふると首を横に振る。


「そうか……名前、か……」


 名前はとても大切なもので、おいそれと決めてはいけない気がする。特に妖怪ならなおさらだ。


「もし、良かったら……、名前、俺がつけてもいい?」


 付喪神は少し驚いている。


「今はちょっと、いい名前が思い浮かばないけど。でも、君とは多分長い付き合いになりそうな気がするから、いつか」


 裕昌は心の中で思うことがあった。黒音が庇って、重傷を負った。あの時の血の熱さと黒音の体の重みは忘れないだろう。今も思い出しそうになって手が震える。

 自分は何もできなかった。そして、妖怪を知らなさ過ぎた。

 ならどうすればいい。前者はどうにかできる可能性は低い、なら後者は。知ることなら出来るのではないか。妖怪と関わることを恐れ、消極的だったが、黒音といる限り、今一度ちゃんと向き合わなければならない。彼らも生きているのだ。生き物なのだ。死霊も怨霊も、霊とはいえ、妖怪としての命がある。矛盾しているとは思うが、裕昌はそう解釈している。

 

『怖くても、ちゃんと向き合おう。もう逃げないように』


 裕昌が心の中でひそかに決意する。そこにあせびから毛布が届いた。


「どうぞ。ちょっとぼろいものですが」


「ありがとう。おやすみなさい」


「おやすみなさい」


 あせびがまた隣の部屋へ移動する。どうやら、黒音のことは頼んだということだろう。裕昌は膝を抱えて寝る体勢にうつる。


「君も、おやすみなさい」


 刀の付喪神にそう言うと、裕昌は目を閉じた。よほど疲れていたのだろう。すぐに規則正しい寝息が聞こえ始めた。


「…………おやすみなさい」


 刀の付喪神は、小声でつぶやくと、かけ忘れている毛布を裕昌の肩に掛けた。

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