昔話 1

昔話 萌葱の羽根

 これは、あせびがまだ、舞子という人間だった頃の昔話。母との優しい優しい、思い出の一端。



 舞子はふと目を覚ました。丁度良い塩梅に積まれた葉っぱがカサ、と音を立てる。大きなあくびをして、目をこすった。


「おはよう、舞子。さ、顔を洗ってらっしゃい」


 優しい声が光が入り込む穴の方から聞こえる。顔をのぞかせたのは美しい女の人だった。


「おはようございます……」


 まだ寝ぼけているのか、こっくり、こっくりと舟をこぎながら朝の挨拶をする。そんな様子を見て、そうびはくすりと微笑んだ。なんて愛おしいのだろう。

 舞子は漸く立つと、ふらふらとおぼつかない足取りで水瓶の所まで歩いて行った。




 舞子がそうびと出会って一週間が経った。家族を突然失い、行き場も失った舞子にとって、そうびの存在はとても助かっている。彼女はどうやら鴆という毒鳥の妖怪らしい。舞子は毒鳥と聞いて少し慄いたが、そうびは狂暴でも、冷酷残忍でもなく、只々温かく穏やかで、優しい妖怪の女性だった。今ではすっかり本当の母娘のように接している。舞子も「お母さま」と呼び慕っていた。

 舞子は冷たい水で顔を洗い、やっと目が覚めた。手ぬぐいで水滴を拭うと、大木の根元に空いた大きな穴に戻っていく。ここがそうびの住処である。

 

「ただいま戻りました」


「おかえりなさい。おいで」


 そうびが袖で手招きをする。舞子は鏡台とそうびの間に座った。そうびは、袖の中に隠された羽根が舞子に触れないように気を付けながら、丁寧な手つきで髪を梳いていく。


「舞子の髪は綺麗ねー。こんなにも艶やかで……羨ましいわ」


「……!えへへ……私はお母さまの髪のほうが美しいと思います」


 舞子は憧れにも似た眼差しを鏡越しにそうびに送る。舞子自身、そうびを初めて見たときに一目惚れしてしまったのだ。こんなにも美しい人は知らない、と。


「はい。出来た」


 そう言って、そうびは櫛を直す。舞子が動きやすいように、左右で二つに結い、前に垂らしている。賊から逃げていたあの晩、身の丈以上あった髪は地面で擦れて痛んだりちぎれていたりした。そこで、思い切って腰まで切ってみたのだ。


「さ、そろそろ薬草を取りにいかなくちゃ」


「私も行きます!」


 舞子がそうびの後を追う。今日も穏やかな一日が始まった。




 ざるいっぱいの薬草を手に、そうびと舞子は、山の中にたたずむ一軒の小屋にやってきた。


「こんにちは。薬草取ってきましたよ」


 そうびが扉を叩く。すると扉が開き、中から一人の老婆が出てきた。その容姿に、舞子は少しばかり驚いた。くちばしと頭の上に皿がある。手足には水掻き。河童だった。


「ん、お前さんかい。……そっちにいるのは?」


 そうびは舞子の背に手を当てて、紹介する。


「この子は一週間前から一緒に暮らしている、舞子よ」


「ああ、この間話していた娘か」


 舞子は一礼する。


「ま、舞子と申します。よろしくお願いしましゅ」


 緊張で噛んだ舞子をよしよしと慰める。河童の老婆は二人を小屋に招き入れた。

 

「薬草を分けていくのに、これを使うと良い。わしはちょいと来客の相手をしてくるでな」


「お客さん、いらっしゃるの?薬草の選別くらい外でやるけれど……」


「構わんよ。患者じゃなく、姉分に怒られて拗ねて逃げてきた子猫じゃからな」


 そういって河童の老婆は奥へ消えていった。


「じゃあ、舞子。私たちは仕事をしましょうか」


「はい」


 そうびと舞子は黙々と薬草の選別を始めた。舞子はまだしっかりと選別できるほどの知識はない。とりあえず見た目で判断しているが、たまに似ているものも混ざっている。そういうときは、優しくそうびが教えてくれるのだ。そんな母親がかっこよくて、舞子は懸命に母の役に立とうとする。そうこうしているうちに、2時間もかからず分けることが出来た。河童の老婆は、まだ奥で子猫とやらの相手をしているらしい。


「今日は早く終わったわ。舞子、手伝ってくれてありがとう」


「こ、これくらい……お母さまのためなら、どうってこと……」


 褒められたことに照れているのか、舞子は顔を赤らめてもごもごと答える。すると、河童の老婆が奥から出てきた。その隣には舞子と同い年くらいの少女がいる。


「あら、子猫って火夜のことだったのね。久しぶり」


「久しぶり。あたしは姉さんの薬をもらいに来ただけだけど」


「何を言うか。さっきまでほむらに怒られたと拗ねていたのはどこのどいつじゃ」


 ぶす、と火夜とよばれた黒猫の少女が頬を膨らます。その様子を見ていたそうびはころころと笑うのだった。

 ふと、火夜はそうびの隣にいる舞子をまじまじと眺めた。


「舞子、すまんがこやつの遊び相手になってくれんかの?」


「そうね、是非遊んでらっしゃい」


 河童の老婆とそうびが促す。舞子は恥ずかしさからどうしようと悩んでいるところに、火夜が手を引いて外へ出る。


「舞子っていうのか?あたし火夜。みんなからそう呼ばれてる」


「あ、えっと、舞子っていいます。よろしくおねがいします」


「別に敬語じゃなくていいよ。妖怪の世界じゃ、そんなのほとんど関係ないし」


 そう言った火夜は無邪気に笑った。




 河童の老婆とそうびは玄関に座って言葉を交わしていた。


「すっかり母親じゃな……いや、じゃったか」


「ええ。水仙様」


 そうびは二人が出ていった扉を眩しそうに見つめた。その瞳には慈しみとどこか悲しみが混ざっている。


「あの子たちを失って、もう子育てをすることはないと思っていたのだけれど」


 夢を見たかった。もう少しだけ、あの日の続きを。そう思っていたのが、まさか本当に叶う時が来るとは。きっとその夢はあと数年で終わってしまう。だから、あの少女には温かな思い出を残してあげたい。自分は、穏やかな気持ちで眠りたい。

 それは少し寂しいけれど、誇れると思うのだ。それでやっと、あの子たちに顔向けができる。


「こんなに幸せになって、いいのかしら……」


「幸せになる権利は誰にでもあると、わしは思うがな」


 友人の水仙の声が優しい。すると、扉が勢いよく開いた。火夜と舞子が帰ってきたのだ。


「ただいま」


「む、戻ったか」


 火夜の後ろから舞子が顔を出す。かなり振り回されて疲れたようだ。


「うう……黒音ってば、私が人間であることを忘れてそれはもう激しいんですから……」


 お母さまあ、とそうびに抱き着く舞子。そうびはそれを優しく抱きとめた。


「舞子、楽しかった?」


「……はい」


 疲れているけれども、答えた舞子の顔は年相応の少女の笑顔だった。その様子がとても微笑ましくて、火夜は仲良しだなー。とぼやく。


「そろそろお主も戻らんか。ほむらがまた眉を吊り上げて待っておるかもしれんがな」


「うっ、……あと二刻ぐらい経ったら戻る……」


 水仙に窘められた火夜はばつの悪そうな顔をして視線を明後日の方へ向けた。


「では、私たちはそろそろ帰りますね」


「うむ」


 そうびが舞子を連れて小屋を出る。見送る水仙と火夜に手を振って別れを告げる。


「またな。舞子」


「またね。火夜」


 そう言って、舞子は初めての友人と再会の約束をした。







 よほど火夜と遊んではしゃぎつかれたのだろう。舞子はそうびの膝上で眠ってしまっていた。その髪を優しくなでる。血も繋がっていなければ、そもそも種族も違う。本来交わるはずのない人間と妖怪が、こうして家族として暮らしている。周りからは奇異な目で見られるに違いない。それでも、この髪が、この寝顔が、この寝息が、一つ一つが全て愛おしい。

 願わくば。この夢が最期の時まで続きますように。

 そうびは唄う。亡き子らと膝の上の娘を思いながら。かつて子供たちに送った子守唄を。


 萌葱の羽根 銅の嘴

 山奥深く 鳴いている

 静かに 穏やかに 時を経る

 帰りなさい 還りなさい

 美しい鴆の羽根よ

 愛しい愛しい、私の子

 暁には腕の中

 人間に見つからないように

 ゆっくりおやすみ

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