裕昌と鈴鳴の陰陽師 3

 居間に通された晴明は礼儀正しく正座している。菜海がお茶を運んできた。店番には黒龍が行き、菜海も合流する予定だ。居間には晴明と雫、裕昌と、その膝の上に座らされた不知火がいる。


「ひろくん、後は任せて」


「ありがとう」


 手を振って菜海が出ていく。


「ふーん、彼女は視えないんだねー。あれほどの霊力があるのに。不思議なもんだ」


 ずず、と雫が晴明のお茶を啜る。そして、裕昌にも不思議そうな視線を送った。


「一方で、霊力は凡人以下。生まれつきの霊感もない君がどうして視えるんだろうね」


「俺も知らないよ。黒音によれば、なんか妖気と同調したんじゃね?とかなんとか」


「黒音?」


 あ。と裕昌は声を漏らす。そういえば黒音のことは言っていなかった。


「もう一人、猫又の少女が家にいるんだけど。ちょっと今は臥せってる」


「ああ、あの晩一緒にいた黒猫の女の子だね」


 雫が納得したように頷く。裕昌はあの晩?と首を傾げるのだった。


「昨日、橋にいたところを見かけたんだ。あの時も俺に依頼が来てたはずなんだが、裕昌たちがなんか勝手に解決してたからさ」


 ってか、いつの間に俺のことを呼び捨てになってるんだ。

 裕昌は晴明の距離の詰め方に若干怯える。だめだ。引きこもりで人見知りの俺にはこういうタイプがつらい。多分友人は沢山いるんだろうな、と少し嫉妬する裕昌だ。


「まあ、それは置いといて。今日は裕昌に協力してもらいたくて来たんだ」


 はあ、と一応相槌を打つ。


「俺がここ数週間探しても見つからない妖怪がいてね。そいつの退治の依頼を受けてるんだが、これがなかなか姿を現さない。俺が陰陽師ってバレてるのもあるかもしれないけど」


「そこで、妖怪に好かれる体質の君がいればすぐに見つかるんじゃないかってね。僕がひらめいたわけさ」


「ひらめいたのはあんたかよ」


 雫がへへん、となぜか誇らしげにする。


「裕昌。君の安全は俺と雫が保障する。力を貸してくれないか」


 晴明の目はいたって本気だ。仕事には真面目な人物らしい。ふと、学生時代の記憶が僅かに蘇った。放課後、忘れ物を取りに戻った際誰かが残って勉強していた気がする。

 誰にも会わないようにそっと出入りしたためあまり覚えていないが、もしかすると、あれが晴明だったのかもしれない。


「まあ……いいよ。俺も一応自分の身は自分で守るし」


 裕昌には水仙からもらった藍染めの羽織がある。翌日は黒龍か黒音の手厚い介助が必要になってしまうが。

 

「本当か!?助かるよ!」


 晴明の表情が明るくなる。その子供のような顔が意外で、裕昌は呆気にとられる。

 裕昌は自分の身を守ってくれるという二人に声を掛けようとして、言葉が詰まった。


「えっと……」


 晴明のことはなんと呼べばいいのだろうか。


「好きに呼んでくれていいよ」


「じゃあ、晴明、雫、身の安全はお願いします」


 そこまで言って、裕昌はあ、と声を上げた。


「黒音が今寝込んでるから、流石に離れるのは不味いな……」


 せめて誰か付いていてほしい。黒龍かそれとも。


「ひろくん、お客さんの流れが止まったからお昼にしようと思うのだけれど」


 店と居間を繋ぐ扉から菜海が顔を出す。


「ありがとう。菜海ちゃん」


 菜海は視えない。それ故黒音の看病は頼めない。水仙かあせびを呼んでもいいのだが、あの二人はそれなりに忙しい。不知火に任せると喧嘩が勃発して収拾がつかなくなりそうなので除外。やはり黒龍が適任か。


「……あの、晴明さん。私を視えるようにすることって出来ますか?」


 裕昌は予想だにしない言葉で飛び上がった。


「菜海ちゃん!?」


「えっと、全部口に出てたから……」


 菜海が苦笑する。しまった。全部口に出ていたのか。気を付けよう。


「ごめんね。盗み聞きするつもりはなかったのだけれど、少し会話が聞こえたの」


 菜海は裕昌たちと視線を合わせるように正座すると片手を胸に当て。いつになく真剣な眼差しをしている。


「私が視えるようになれば、黒音ちゃんの看病もできると思うの」


 菜海がそれに、と付け加える。


「私、不知火とか、ここの妖怪たちの顔を視てみたいの」


 菜海の提案に裕昌は目を丸くする。裕昌の膝の上に乗っていた不知火は尻尾を揺らした。晴明は少し思案するそぶりを見せると、笑顔で答えた。


「できなくはない。でも、それが本当に成功するかは分からない。それでも良いなら」


「お願いします」


 す、と晴明が刀印を作って菜海の眼前に差し出す。


「ちょっと目を瞑って。そっちの方が焦点がすぐに合うと思う」


 菜海は言われたとおりに瞼を下ろす。晴明は人には分からない何かを唱えると、横一文字を描いた。


「はい、終わり。どう?」


 ゆっくりと瞼を開ける。不知火は裕昌の膝を離れ、人間の姿を取った。話を聞きつけた小妖怪、黒龍が店の方から集まってくる。雫もどうかな、とわくわくしている。

 菜海が完全に目を開き数度瞬きをすると、世界の焦点が合う。


「……………!っ、視える……」


 真っ先に視界に入ったのは白い髪に紅い瞳をした青年。中国風の着物を身に着け、腰には中華の剣を佩いている。それがだれなのか、菜海にはすぐに分かった。

 

「……不知火……、あなた、そんな顔をしているのね……!」


 そう言った菜海はとても嬉しそうな顔をしていた。その瞳から、一滴だけ涙が流れ落ちた。

 不知火はぎょっとして、珍しくおろおろし始めた。


「菜海、泣くな。泣かれると困る」


「声もやっと聞けた……私すごく嬉しいの。嬉しすぎて、なぜか涙が……」


 菜海が涙を拭う。不知火は少しだけ照れ臭そうに、菜海の頭を優しくなでた。


「感動の邂逅を邪魔するようで悪いけど、そろそろ僕も自己紹介させてくれないかな」


 菜海は天女のような姿をした雫の方を向いた。


「初めまして菜海ちゃん。僕は雫。晴明の式神をしているんだ。よろしく」


「雫ちゃん、ね?よろしく」


 雫の言葉を皮切りに小妖怪たちが菜海の周りに集まり、僕も私もと挨拶を交わす。


「菜海ちゃん、初めまして。ぼ、僕のことも視える……?一つ目だけど、怖くない?」


「ええ。もちろん。怖くないわ」


「俺たちは鼬の三兄弟。いつも商品の陳列を手伝ってたのは俺たちだぜ」


「私は高いところのものを担当していました。侍の霊です」


 やいのやいのと一気に騒がしくなった部屋で、裕昌は楽しそうに妖怪たちと交流する菜海をみて眩しそうに目を細めた。

 よかったね。菜海ちゃん。

 そう小さくつぶやいた。そのつぶやきを聞き洩らさなかった黒龍が同じように笑顔を浮かべる。

 菜海は一通り挨拶を済ますと、晴明のほうに向きなおった。


「晴明さん。ありがとうございます」


 何気ないお礼の言葉。晴明はいささか面食らった顔をしたが、すぐに笑顔で対応する。


「これくらいなんてことないよ。あ、でもこの術は俺の霊力が尽きたり、俺が死んだりすると切れるからそこはご了承ください」


 菜海はふるふると首を横に振る。


「大丈夫です。今見ている世界が今限りだったとしても、私は嬉しいんです。大切な人たちの顔が漸く、見ることができたので……!」


 本当にありがとうございます。と心からの感謝を述べる菜海。その偽りのない本音。晴明はしばらくじっと菜海を見つめていた。


「良かったじゃないか、晴明。喜んでもらえて」


「……ああ」


 晴明はどこか戸惑っているような、腑に落ちていないような表情を浮かべた。楽しそうに妖怪たちと会話する菜海に視線をやると、困ったような笑みを浮かべたのだ。

 その様子に気が付いていた裕昌は、何故かその笑みこそが晴明の素顔なのではないかと思ったのだった。その時、カチッと秒針が合わさる音が響き、正午を知らせる音が鳴った。


「……と、そろそろ黒音の様子を見に行かないと……」


「じゃあ、俺達はそろそろ帰るか」


「そうだね。じゃあまた明日の夜、よろしく頼むよ」


 晴明と雫が立ち上がる。裕昌と菜海は店の入り口まで見送る。


「じゃあ、明日の夜ここに迎えに来るから」


「うん。よろしく」


「またね、裕昌、菜海ちゃん。今度は晴明の可愛いエピソードでも持ってくるよ」


「持っていかなくていいからな」


 裕昌と菜海は手を振って二人を見送る。歩き出した晴明と雫は徒人に分からないほどの小さな声で会話を交わす。


「いい子たちだったじゃないか。これでお前の陰陽師仕事も増えるかもねー」


「……そうかもな」


 晴明は適当に雫の言葉に相槌を打ちながら、こめかみのあたりを人差し指で掻いた。


「……あんなに真剣に感謝されると、なんか調子狂うな……」

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