黒猫と呪いの刀 4

*     *       *

 泣いている。誰かが泣いている。何かを泣き叫んでいる。

 風の音だろうか。雑音が酷くて聞き取れない。

 なんと言っているのだろう?

 ただただ闇の中に慟哭がこだまする。

 ああ、ここは闇なのか。

 だとしたら、なんて悲しい色をしているのだろう――――――。

*     *      *






 はっと瞼を開けると、見慣れた天井が視界に飛び込んできた。


『何だったんだ?今の夢……』


 裕昌はおもむろに体を起こす。ずしりとした重みを感じて腹の上を見ると黒音が丸くなって寝ている。確かに昨日の夜は猫用のベッドで寝ていたはずなのに。

 

「……っ、可愛い……」


 なぜ猫という生き物はこんなにも見ているほうを癒してくれるのだろうか。裕昌は数度深呼吸をすると、黒音を起こさないようにベッドから出た。


「あいつ、俺を敷布団か枕かどっちかだと思ってるだろ」


 今度黒音を抱き枕にしてやろうとひそかに心に決める裕昌であった。人間と猫用の朝ごはんを用意する。今日もあの駅に向かうつもりだ。正直人ならざるものと向き合うのはまだ怖い。黒音があれは危ない、これは大丈夫、と言うものに従っているから今はいいが、自分一人でそれを判断しろと言われるのは難しい。


「はあ、俺なんで視えてるんだろう……」


 この数日で世界が一転した。せわしなく過ぎる日々に既に疲労困憊している裕昌である。睡眠はしっかりとっているのだが、精神面が追い付かない。

 

「ふぁあ~……朝早いんだな、お前」


 声のするほうを見ると、大きなあくびをして黒音が廊下をとことこと歩いてきた。まだ眠いのか、むきゅ、と目を瞑ったままだ。


「おはよう、黒音」


「ん。おはよう」


 裕昌は黒音にさっきの夢のことを伝えるか迷った。だが、関係ない夢かもしれない。あの刀に関係する夢にしては、どこか悲しげだった。以前見た夢は、激しい情念のようなものが渦巻いていた感じだったのに。裕昌はとりあえず今は伝えないことにした。


「今日はあの女に聞き込みか。頼んだぞ裕昌。あたしが行くと警戒される」


「話せるかな……、俺、人見知りなんだけど」


「五十鈴屋の次期店主が何言ってるんだ」


「次期店主って、そんな話出てないぞ」


 まだまだ老夫婦曰く現役らしい。自分は仕事を探していた時に、親戚である二人から誘われたのだ。雑貨屋である五十鈴屋は、和風の小物が多く、お土産として買いに来る観光客も多く訪れる。そんな人たちと楽しげに会話する老夫婦がいつも裕昌には眩しい。


「刀はどうするんだ?置いていくのか?」


「ああ。今日はおいていく。まあ大丈夫だろう」


 黒音が刀が置かれている資料館の扉をちらりと見た。昨日あの霊に遭遇したものの、反応がなかったということは大丈夫だろうという見立てだ。


「あたしもあの方には触れていたくないし。いやな気が移る」


「まあ俺も黒音に近づけないのはちょっと苦しい……」


 昨日は話すのも一苦労だった。あんなに周りの目を気にしながら会話をすることはこれからもないだろう。出来ればあってほしくない。

 朝の時間は緩やかに過ぎてゆく。






霧笠駅、昼。裕昌と黒音は、昨日女の霊を見かけた時計の前で霊が現れるのを待っていた。昼時だというのに目の前の歩道にも公園にも、人は見当たらない。無人の駅前の広場はどこか不気味な雰囲気を漂わせている。


「いないな……」


「なあ黒音、霊って常にフワフワしてるものじゃないのか?」


「んなわけなかろう。ちゃんと歩くやつもいる。まあ飛んだほうが早いのは事実だが」


 人身の姿をとった黒音が裕昌の横で欠伸をする。かれこれ三十分以上はこの状態だ。


「うーん。出てくる気配がない……」


 裕昌がそう呟いた時だった。音もなく歩く影が目の前からやってきた。足音一つたてず、衣擦れの音一つたてず、儚げな雰囲気をまとわせた、長い黒髪の人物が。裕昌の目の前まで来ると、顔を上げる。裕昌と黒音は思わず呆気にとられた。透明感のある肌に、それを縁取るような艶やかな黒髪、透き通った瞳。綺麗な人だと思った。


「うわ、久々に見たぞ。こんな絶世の美女」


 なんて黒音は呑気に言うが、裕昌は妖の類を前にして恐れと美しさに呑まれていた。ふと、女が手のひらを横に向け、裕昌のほうへと伸ばした。


「……?握手?」


 裕昌が何気なく手を伸ばす。


「おいばか!」


 黒音の焦る声が聞こえるが、もう遅い。指先が触れた瞬間、裕昌の頭の中に広場に似た風景が流れ込んできた。

音はない。映像だけだ。若い男がこの時計前にやってくる。待ち合わせか。月日が流れる。太陽が昇り、月が昇り、雲が流れ、雨が降る。いつしか女は、一人で待つようになった。それがどこか悲しげだった。裕昌はすこし引っ掛かりを覚えた。思い出すのはあの日記の内容だ。


『あれ?たしか日記では上木さんのほうが待ってたって……』


 日記とこの風景の食い違いに戸惑う裕昌。だがもしも、この女性が来ていない部分が反映されていないとしたら、二人は互いに待つ日がすれ違っていることになる。それはあまりにも悲しい。ただ一人で待ち続ける姿に、苦しみを覚えて裕昌は胸を押さえた。

 風景が元の時空に戻ってくる。すぐ隣で黒音が裕昌を揺さぶっている。


「…裕昌、裕昌!こら!この命知らずめ!」


 べちんっと裕昌の頬を引っ叩く。その衝撃に裕昌は頬を押さえながら、目に涙を浮かべた。


「く、黒音……酷い……」


「こっちのほうがきやすい…って、そんなことはどうでもいいっ!」


 黒音が腰に手を当てて仁王立ちになっている。明らかに怒気というものが背後に立ち込めている。


「気安く正体や目的がわからない妖に触れたりするんじゃない!場合によっちゃ死ぬぞ!?」


「う……ごめん……」


 じんじんと痛む頬を擦りながら、少しだけ反省の色を見せる裕昌である。それならそうと、もう少し早く止めてほしかったと思ったが、突然の出来事であったため、流石に無理だなと思い直し、諦めた。これは不用意に触れた自分が悪いと改めて反省した。


「で、あんたは何者だ?やっぱり桜■か?」


 あれだけ警戒されるからと言っていた黒音自身が問う。裕昌は自分の見せ場を奪われてちょっと残念なような、話さなくて良いとちょっと安心したような複雑な気持ちに襲われた。

 黒音の問いに女性の形をした念は無反応だ。


「……上木、さん……」


 たった一言、そう呟いた。だがそれだけで十分だった。聞きなじみのある名前が彼女の口から出たことにより、疑いが確信へと変わった。


「当たりだな。ほら裕昌。あの刀のこと聞いてみろ」


「えっ。やっぱり俺なの?」


 げ、と呻いて渋い顔をした。恐る恐る聞いてみる。


「あの……刀って持ってませんでしたか?」


「……裕昌、お前さては人見知りだな?」


「それ朝にも言ったけど!?」


 明らかに会話が苦手な声の調子をしている裕昌を黒音があきれ顔で眺めている。気を取り直して、女性の答えを待ってみる、が。


「…………」


 そのまま反応はない。黒音が少し思案するそぶりを見せる。裕昌もその状況を不思議に思い、考える。そして二人は同じ思考にたどり着く。


「もしかして……記憶がない……?」


「もしくは曖昧……?」


 裕昌は先ほど見た光景を思い出した。わかったのは女がただ待っていただけ。会話の詳細もなく、周りの音もなかったのはそれしか覚えていないから。

 これではあの刀に関する情報が手に入れられない。


「……これはどうしよう……」


「仕方ない。とりあえず帰るぞ、裕昌。帰ってから考える」


 黒音が渋い顔をしている。手詰まりか。裕昌と黒音は仕方なく帰途につくことにした。裕昌は一応女性に向かって礼を言うと、黒音の後を追う。今日は時間がある故、徒歩で帰ることにした。二駅分離れているとはいえ、歩ける距離ではある。


「どうする、黒音?」


「どうもこうも覚えていないんじゃなあ……さてどうするか」


「……前から思ってたんだけどさ」


「あ?」


「黒音って、意外と計画性無い……?」


 黒音の方がぎくりと固まる。図星だ。


「行動派だ行動派。考えるより先に行動するタイプなんだよあたしは」


 やけに早口になっている。裕昌は薄々昨日から気づいていたのだ。黒音が後先考えず行動するような性質であることを。

 そして、裕昌自身もどちらかといえば同じ類ということをこの数日で嫌というほど自覚したため、言い辛かったのだが。


「まあそれはさておき、裕昌、体とかに異常はないか?」


「?ないけど」


「それならいい。一応あの刀の妖気が残ってる可能性が高いからな。それに、今あの女と接触したし。万が一だ」


 裕昌は体の不調がないかくまなく意識をやるが、それらしい不調は見当たらない。黒音が治療してくれたおかげだろう。


「一段落ついたら労ってやらないとな……」


 黒音のぴこぴこと動く耳を見ながらふと思う裕昌であった。





*     *       *


 殺してやりたいと思うほど、憎んでいた。

 殺してやりたいと思うほど、恨んでいた。

 殺してやりたいと思うほど、妬んでいた。

 殺してやりたいと思うほど、羨んでいた。

 裏切られて、心も身もずたずたに切り裂かれて、泣きはらして。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――、

かわいそう。

すごく、かわいそう。

たすけたい。あなたのちからになりたい。

この、やいばでーーーー?


*       *       *






 真夜中。静かになった木造の廊下を、ぽてぽてと小さな音を立てて、小さな影が歩いている。歩くたびに長細い尾がゆらゆらと揺れる。


「たく、この家の周りは雑魚妖怪どもの巣窟だな」


 どこか疲れたような声をしているのは黒音だ。つい先ほどまでは五十鈴屋の周りを見回っていたのだ。


「あいつが近くにいるかもしれないしな……」


 苦虫を百匹潰したような顔をする。思い出すだけでも忌まわしい。

 黒音は階段を上がり、裕昌の部屋へ戻る。ふと、開けっ放しにしておいた扉から、風が吹き込んでいることに気が付いた。


「?裕昌?起きてるのか?……っ!」


 人の姿になると、扉を開ける。扉を開けた先には寝床がある。その寝床には主が眠っている……はずだった。しかし、布団は捲られ、寝床はもぬけの殻だ。そして何より、窓が開いている。


「しまった!あの刀……!」


 妖気を張り巡らせ、妖刀の気配を探る。本来あるべきところに、それの気配がなくなっている。黒音は血相を変えて窓から飛び出る。


「くそっ、やけに静かだと思って放置しておいたのが甘かったか……!」


 あの刀が人の体を依り代とすれば、向かう先はただ一つ。その怨みの矛先だ。全速力で屋根を飛ぶように移り、走る。


「頼む、間に合え!」

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