7話 陰陽師と追憶の花
陰陽師と追憶の花 1
* * *
暗い廊下。月の光もない、朔月の夜。たった一か所灯りが付いている。光を求めて小さな体は音を立てないように歩いていく。
何やら騒がしい。柱の影から玄関の方を伺う。母も祖母も式神も、見知った男も集まっている。
どくん。
いつもより心音が大きく聞こえた。不自然に息苦しくなる。懸命に肺に空気を送ろうとする。
式神がこちらを見た。そして、小さな手を取って母や祖母の元へ連れていく。母が俯き、祖母は悔し気に歯噛みしている。見知った男は傷だらけの身体で申し訳なさそうな表情を浮かべている。いつもは明るい式神も、見たことがないほど悲し気な顔をしていた。
どくん。
もう1人、母の膝の上。ぼろぼろになり、所々赤黒く変色している着物。肌色の皮膚からは赤色の液体がとめどなく流れ落ちている。
どくん。
力なく閉じていた瞼が開かれ、その瞳はまっすぐ自分を見た。頬に触れた大きな手は、氷のように冷たかった。
どくん。
「―――――――――よ……」
どくん。
触れていた手が、横たわった体が闇に呑まれていく。母の姿も、式神の姿も、皆消えている。
待って。行かないで。
「……っ、待って…………!!
* * *
がばっ、と晴明は飛び起きた。布団を握りしめる手は、力が入りすぎて白くなっている。呼吸は乱れ、汗をぐっしょりかいている。
「っ、……はっ……はあ……」
額に張り付いた前髪を手で掻き上げる。
「夢……」
久方ぶりにあの夢を見た。最近は漸く見なくなったと思っていたのだが。
晴明は傍らにあった上着を羽織ると庭に降りた。涼しい夜風が吹く。
ふと、庭の片隅で揺れる草花に気が付いた。片方は季節が過ぎて花は既に散っている。その隣で小さな紫色の蕾が。
母が植えたものだ。父を亡くしてから悲しみに暮れていた母が、一つの和歌になぞらえて育てていたのだ。
「……忘れ草……、垣もしみみに、植ゑたれど……鬼のしこ草、なほ生ひにけり……」
晴明はそう、呟くとそれぞれの花を手に取った。
「一つずつ貰うよ」
夜が明ける。空が紫色へと変化していた。
「二人とも―、朝ごはんできたぞー」
裕昌が一階の階段下から呼びかける。その声に反応した猫の姿の黒音と黒龍が階段を降りてくる。
くわあ、と大きく欠伸をする黒音。
「おはよー」
「おはようございます主」
「二人とも元気そうでよろしい。何してたんだ?」
珍しく黒音と黒龍は何やら二人で話し込んでいたらしいのだ。
「何でもない。ただ、大蛇について何か知っていることはないか詳しく聞いてただけだ」
「やっぱりまだ諦めてなかったんだな」
裕昌が一つ嘆息する。あまり危険な真似はしてほしくないのだが。
「話を照らし合わせたところ、私を付喪神として無理やり起こしたのはその大蛇で間違いないことがわかりました」
「え、そうだったの!?」
裕昌がぎょっと目を丸くする。それは知らなんだ。こんなに身近な人物に絡んでいたのなら、やけに黒音が大蛇について嗅ぎまわっているのも頷ける。
「あいつは愉快犯だ。黒龍を呪って凄惨な悲劇でも生み出そうとしたに違いない」
あの時もな、と黒音は鈴鳴怪道が襲われたときのことを思い出す。そしてもう一つの光景も。
裕昌は黒音のどこか思い詰めているような様子に、思わずその小さな身体を抱え上げる。
「お?」
不思議そうに裕昌を見上げる黒音に、裕昌はゆるゆると首を振った。
「何でもないよ」
嘘だった。何故か大蛇の話題を出すたびに、黒音が消えてしまうような気がして怖いのだ。黒音を抱きしめる手が、僅かに震えている。それに黒音も黒龍も気が付いていた。
「さ、ひとまずは朝ごはん。早く食べないと冷めるぞ」
「うん。そうだな」
黒音は優しい声音で答える。こんなにも大切に思われているのだ。もし、大蛇と遭遇し戦わなければいけなくなった時、裕昌だけは死なせない。今はここが、この腕が帰る場所だから。そう黒音はひっそりと決意するのだった。
数時間後。裕昌一行と菜海、不知火は突然晴明に呼び出された。場所は御門家。五十鈴屋から北西に徒歩三十分。裕昌は御門家の住所を知り、そこそこ近所じゃあないかと驚いたのだった。
「家に呼び出すなんて、何かあったのか?」
「さあ……」
黒音の問いに歩きながら裕昌は首を傾げる。思い当たる節もない。いつもなら晴明が訪ねてくるケースの方が多い。
「大丈夫かしら……」
「心配することはないだろう。あいつはそんなにやわじゃない」
不知火の言動に、菜海はくすりと笑みを浮かべる。何だと言わんばかりに視線を投じる不知火だが、なんでもない、と菜海は微笑む。
随分と仲が改善されたようだ。
「御門」と書かれた表札の屋敷前までたどり着いた。
「おわー……でかー……」
裕昌は家の大きさに舌を巻く。どちらかというと横に広い。一目で日本の伝統的なお屋敷です、と分かるようなほど。
「何を驚いてるんだ。昔はこんな屋敷ゴロゴロあったぞ」
「江戸時代と現代じゃ規模感が違うんだからなっ」
黒音や不知火、黒龍までもがけろっとしている中、裕昌は抗議の声を上げる。菜海はそれを楽しそうに聞いている。
「おやおや、皆揃っているみたいだね」
門の引き戸が開かれると、雫が姿を見せた。その後ろに続いて晴明が顔を出す。
「みんないらっしゃい。急に呼び出してごめん。おばあ様がどうしても、日頃お世話になっている礼をしたいらしくて」
晴明はあと、と付け足す。
「こっちから出向きたかったんだけど、ちょっと今こんな状態で……
晴明が少しだけ横に避けると、小さな影がそれを追うように晴明の背後へ回った。その様子を見て晴明が苦笑する。
「こればかりは仕方ない。
「はい!雫お姉様!」
雫が呼ぶと、奥の方から元気いっぱいに少女が飛び出してきた。裕昌たちは見知らぬ顔に目を丸くする。
「今朝召喚されたばかりの晴明の式神、紫苑だよ。仲良くしてやってくれ」
「初めまして!紫苑って言います!よろしくお願いします!」
「よ、よろしく」
裕昌が若干面食らって返事がたどたどしくなる。その横から黒音が胡乱げに眉を寄せる。
「なんの神霊だ?」
「その名の通り紫苑の花の木霊だよ。僕や御門の人間が毎日水をやっていたから影響されたのかもしれないね」
へえ、と黒音は紫苑をじ、と見つめる。紫苑の花飾りを付け、服装は平安装束を思わせるが、大分軽装化されたものになっている。
「それと、紫苑より先に召喚された、姉分の
晴明が背後に隠れて出てこない萱を紹介する。
「あ……、えと……よろしくお願いします……」
消えそうな声で挨拶を交わす萱は、萱草の花の髪飾りを付けている。性格は紫苑と正反対。ちらりと顔をのぞかせたが、又すぐに引っ込んでしまった。
「恥ずかしがり屋だから、慣れたら出てくると思う」
「よろしくね、二人とも」
菜海が優しく語りかけるが、元気よく反応したのは紫苑だけだった。
「晴明、皆にそろそろ上がってもらおう。じゃないとまた光子が……」
「晴明、雫。お客様を立たせて何をしているのですか」
げ、と晴明と雫が呻いて振り向く。そこには二人に冷たい目を向けている媼がいた。落ち着いた色合いの着物をまとい、きちんと着こなしている様子から見て、厳しく真面目な人物であることは一目瞭然だった。
「……今案内しようとしていたところです」
「早くなさい。五分は経っていますよ」
媼が踵を返して姿を消す。それと入れ替わりで、呆れたような顔をしている女性がやってきた。
「まったく……お母さんは人前でも……。ごめんなさいね。ささ、皆さんどうぞ上がって」
一同はお邪魔します、と一声かけて上がった。
黒猫妖奇譚ー主人と猫の奇妙な契約ー 胡蝶飛鳥 @kotyou_asuka1231
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